タバコが値上げされてから1ヶ月になる。
今回の値上げを機会にタバコをやめた人は、全国でどのくらい
いるのだろうか。
データがあれば知りたい。
ここ10年で日本の喫煙環境は大きく変わった。
法律で公共の場所における喫煙を制限したことは画期的だった。
学校、企業など人々の集まる場所では禁煙になり、新たに喫煙場所を
設けるようになった。
私の記憶では2003年あたりから分煙が始まったと思う。
加えて健康ブームも後押しをした。
かつてはタバコを題材とした歌も多かった。
五輪まゆみの「煙草のけむり」は有名だ。
吉田拓郎も「暮らし」という曲のなかでタバコを登場させている。
学生時代に随分と影響を受けた曲のひとつである。
タバコを吸える場所がどんどん減っていく。
これも時代の流れである。
政治・経済・社会を眺望したコメント、趣味嗜好を掘り下げた雑感を綴ります。皆様の心に響くものがあれば、それは筆者の喜びであります。☆★☆2018年6月にブログ名を刷新。毎日更新を目標にしておりますが、予告なくサボることがあります。☆★☆
2010年10月31日日曜日
2010年10月30日土曜日
日中関係 2010.10.30
相変わらず日中関係がギクシャクしている。
ASEAN関連会議でハノイ訪問中の菅首相、温家宝首相による
トップ会談が中国側からキャンセルされてしまった。
報道から判断すると、中国の国内事情、前原外務大臣への反発、
クリントン国務長官の発言、などが複雑にからみあっているようだ。
両国は経済的な依存関係が大きいだけに、その影響は小さくない。
日本の立場からすればレアアース輸入が今、絞られると痛い。
観光産業も中国から多くの人が来てくれないと苦しい。
一方、中国も日本企業の投資が冷え込んだり、企業の撤退があれば
成長に陰りをもたらしプラスには働くことはない。
かつて日韓関係もけっして良いとはいえない時代があった。
経済的な依存関係の高まりや、ワールドカップの共同開催、韓流スター
など両国が互いに親近感を高めていった結果、今では昔と較べて
格段と身近な隣人になった実感がある。
なんといっても民主主義という共通項が前提にあるのは大きい。
中国は共産党一党支配体制で民主主義国ではない。
それでも経済的には開放政策がとられ、日本からも多くの企業が進出し
21世紀になって飛躍的な経済成長をとげた。
日中の相互依存が強くなれば友好も深まるはずと思っていた矢先に
躓(つまず)き始めてしまった。
政治体制の違いはやはり大きいものだ、と私は改めて感じている。
中国が間もなく日本を抜いて世界第二位の経済大国になるのは間違いない。
軍事力は米国が警戒感を隠さないくらい、年々増強している。
ますます勢いづく隣の大国とうまくつきあっていくことは簡単ではない。
我が国の国益にかかわることなので、慎重に事を運んでほしいと願う。
ASEAN関連会議でハノイ訪問中の菅首相、温家宝首相による
トップ会談が中国側からキャンセルされてしまった。
報道から判断すると、中国の国内事情、前原外務大臣への反発、
クリントン国務長官の発言、などが複雑にからみあっているようだ。
両国は経済的な依存関係が大きいだけに、その影響は小さくない。
日本の立場からすればレアアース輸入が今、絞られると痛い。
観光産業も中国から多くの人が来てくれないと苦しい。
一方、中国も日本企業の投資が冷え込んだり、企業の撤退があれば
成長に陰りをもたらしプラスには働くことはない。
かつて日韓関係もけっして良いとはいえない時代があった。
経済的な依存関係の高まりや、ワールドカップの共同開催、韓流スター
など両国が互いに親近感を高めていった結果、今では昔と較べて
格段と身近な隣人になった実感がある。
なんといっても民主主義という共通項が前提にあるのは大きい。
中国は共産党一党支配体制で民主主義国ではない。
それでも経済的には開放政策がとられ、日本からも多くの企業が進出し
21世紀になって飛躍的な経済成長をとげた。
日中の相互依存が強くなれば友好も深まるはずと思っていた矢先に
躓(つまず)き始めてしまった。
政治体制の違いはやはり大きいものだ、と私は改めて感じている。
中国が間もなく日本を抜いて世界第二位の経済大国になるのは間違いない。
軍事力は米国が警戒感を隠さないくらい、年々増強している。
ますます勢いづく隣の大国とうまくつきあっていくことは簡単ではない。
我が国の国益にかかわることなので、慎重に事を運んでほしいと願う。
2010年10月29日金曜日
10月 2010.10.29
投稿する余裕がない一週間となってしまった。
珍しく仕事で帰宅の遅い日が続いた。
昨日は比較的早かったので投稿しようかなと思ったのだが、
疲れを感じて早めに寝ることを選んだ。
気がついたら10月も終わろうとしている。
精神的にダメージを受けることも2件続いて起こった。
具体的に今は書けないし、書くべきではないと思う。
自分のなかで消化しておきたい。
明日は時ならぬ台風が襲う予報が出ている。
帰宅するまで、土曜出勤するつもりでいたが予報を知って
出勤することをやめた。
こんな時は、ゆっくり・ゆったりしろということである。
”メリハリ”という言葉がある。
”ハリハリ”では壊れてしまう。
珍しく仕事で帰宅の遅い日が続いた。
昨日は比較的早かったので投稿しようかなと思ったのだが、
疲れを感じて早めに寝ることを選んだ。
気がついたら10月も終わろうとしている。
精神的にダメージを受けることも2件続いて起こった。
具体的に今は書けないし、書くべきではないと思う。
自分のなかで消化しておきたい。
明日は時ならぬ台風が襲う予報が出ている。
帰宅するまで、土曜出勤するつもりでいたが予報を知って
出勤することをやめた。
こんな時は、ゆっくり・ゆったりしろということである。
”メリハリ”という言葉がある。
”ハリハリ”では壊れてしまう。
2010年10月24日日曜日
バンキシャ!(大田区立道塚小学校) 2010.10.24
箱根旅行 2010.10.24
箱根湯元温泉 撮影:10月23日
ようやく寒涼しさが感じられるようになった。
朝晩の外気温は低くなった。
一昨日の金曜日午後。
私は仕事を午前中で切り上げ、午後半休をとった。
以前からの計画通り、実兄と箱根旅行へ出かけたのだ。
新宿から小田急ロマンスカーに乗車。
ウィークデーだけあって車内は空いていた。
驚いたのは多くの乗客が町田で下車したことだ。
ビジネス客が新宿→町田を特急利用していることを知った。
町田から箱根湯本まで車内はガラガラだった。
実兄と旅行に出かけたのは訳がある。
兄は行政の保護下で社会復帰訓練にあたっている。
今年の4月くらいに、彼に先の楽しみを与えようと思い立ち
旅行を計画した。
前回、兄と旅行したのは約10年前のことだ。
そのときは彼の妻も一緒だった。
その後、彼は妻を亡くして独り暮らしになり、無茶な生活で
経済破綻した。
破綻後は行政の世話になり今日に至っている。
その軌跡を振り返ると、まさに感無量である。
感謝の気持を忘れてはいけない。
改めてそう感じた一泊二日の旅であった。
2010年10月21日木曜日
羽田の国際空港化 2010.10.21
羽田が国際空港化された。
遅すぎたとはいえ、喜ばしいことである。
成田は心理的にも時間的にも都心から遠い。
誰が考えても羽田を国際空港化したほうが利用者にとって
便利であることは明らかだ。
これで韓国・仁川(インチョン)空港とアジアのハブ空港として
競争するインフラが整った。
観光立国・ニッポンの国家戦略上、大きな一歩である。
私が生まれ育った蒲田周辺の地価も上がるかもしれない。
そのことも喜ばしいことである。
素人の戯言(たわごと)だから保障の限りではない。
遅すぎたとはいえ、喜ばしいことである。
成田は心理的にも時間的にも都心から遠い。
誰が考えても羽田を国際空港化したほうが利用者にとって
便利であることは明らかだ。
これで韓国・仁川(インチョン)空港とアジアのハブ空港として
競争するインフラが整った。
観光立国・ニッポンの国家戦略上、大きな一歩である。
私が生まれ育った蒲田周辺の地価も上がるかもしれない。
そのことも喜ばしいことである。
素人の戯言(たわごと)だから保障の限りではない。
2010年10月19日火曜日
静かな朝 2010.10.19
今朝の通勤は静かで快適だった。
銀座駅で降りて会社まで歩くこと約5分。
「今朝は静かな朝だったな」と感じながら歩いた。
朝は静かなほうがいい。
私の感じる静かな朝とは以下のような状態のことだ。
1.バス、電車のなかで話し声が聞こえないこと。
2.バス、電車の中でヘッドフォンの音漏れがないこと。
3.田園都市線、東京メトロの遅延がないこと。
朝から電車の中でヒトの会話の声は聞きたくない。
通勤時間は沈思黙考の時であってほしい。
聞こえるのは電車の走る音だけでいいのだ。
女子高生の二人連れのそばにはけっして近づかない。
テンションの高いおしゃべりを無理やり聞かされるハメになる。
今朝は電車の遅延もなかった。
このところ田園都市線の遅延が続いているのだ。
信号故障、車両故障が原因だ。
「きちんと整備しろよ」と言いたくもなる。
やはり朝は静かにスタートしたい。
私には一日を左右するかなり重要なファクターなのだ。
銀座駅で降りて会社まで歩くこと約5分。
「今朝は静かな朝だったな」と感じながら歩いた。
朝は静かなほうがいい。
私の感じる静かな朝とは以下のような状態のことだ。
1.バス、電車のなかで話し声が聞こえないこと。
2.バス、電車の中でヘッドフォンの音漏れがないこと。
3.田園都市線、東京メトロの遅延がないこと。
朝から電車の中でヒトの会話の声は聞きたくない。
通勤時間は沈思黙考の時であってほしい。
聞こえるのは電車の走る音だけでいいのだ。
女子高生の二人連れのそばにはけっして近づかない。
テンションの高いおしゃべりを無理やり聞かされるハメになる。
今朝は電車の遅延もなかった。
このところ田園都市線の遅延が続いているのだ。
信号故障、車両故障が原因だ。
「きちんと整備しろよ」と言いたくもなる。
やはり朝は静かにスタートしたい。
私には一日を左右するかなり重要なファクターなのだ。
2010年10月16日土曜日
いつも音楽と共に生きてきた その2(愛燦燦) 2010.10.16
名古屋駅前 撮影:10月15日
青木隆治氏の歌で愛燦燦の素晴らしさを再認識したことは今朝の
投稿で書いたとおりである。
そもそも人並みはずれた歌唱力がある彼だからこそ、モノマネも
上手なのである。
青木氏に触発されて本家・美空ひばりの愛燦燦も聴き込むことに
なった。
さずがは歌姫。
余力を充分残した声量には圧倒される。
YouTubeを漂っているとさらに作者・小椋佳へと行き着く。
亡き美空ひばりの映像とともに流れる彼の唄は、その歌詞の素晴らしさを
感じざるを得ない。
(訂正:NHK紅白歌合戦での演出のようです。場所を違えて同時に
歌っているのでしょう。)
歌詞を聴いて涙腺が緩むのはなかなかあることではない。
音楽って本当に素晴らしい。
生きていて良かった。
いつも音楽と共に生きてきた(青木隆治:愛燦燦) 2010.10.16
夕暮れ(名古屋) 撮影:10月15日
忙しくしているうちに今月も半月が経過してしまった。
学生3大駅伝のひとつ・出雲駅伝も先日行われた。
大好きな正月の箱根駅伝も近い。
このところ、頭の中から愛燦燦(作詞・作曲 小椋佳)が
離れない。
以前から知っていた曲だが、この曲の素晴らしさをテレビの
ものまね大会で青木隆治という人が歌うのを聴いて再認識した。
読者の方でもこの番組を観た人は多数いると思う。
男性なのに美空ひばりにそっくりな歌い方、歌の上手さに
舌を巻いた。
なんという才能の持ち主であろう。
渡辺真知子の真似も抜群にうまい。
モノマネと言えばコロッケが有名だ。
五木ひろし、野口五郎、ちあきなおみ、岩崎宏美など何を演じても
上手だし、おもしろい。
彼はもちろん歌もモノマネもうまいが、顔を崩したりして笑いも
とる路線である。
一方、青木隆治は歌手の歌い方を真っ向からマネする正統派だ。
YouTubeのアクセス数もうなぎのぼりだ。
モノマネで食べていけるだけの才能の持ち主である。
人間って素晴らしい。
2010年10月13日水曜日
チリ・サンホセ鉱山救出劇 2010.10.13
2010年10月11日月曜日
夕暮れ 2010.10.11
2010年10月10日日曜日
三連休 2010.10.10
三連休の中日(なかび)。
何も予定のない一日である。
予定に縛られずのんびりできるのが何よりの喜びだ。
昨日は夕方からゴルフレッスンがあった。
一時間半の間、正しくスウィングしようすることだけに集中するから
余計なことを考えず真っ白になることができる。
気分転換には最適である。
しかし、自分で決めたことなのだが、休日の夕方に決められた用事が
あると一日が窮屈に感じられるのも事実だ。
これが朝一番とかの時間帯だったら窮屈感はかなり違うのに、と思う。
一昨日(金曜日)に仕事でとても嫌な出来事があった。
ショックは強かった。
金曜日の晩から今朝までの二泊三日は本当によく眠った。
昨晩は夕食後、ソファで3時間眠ったあと布団に入ったのが1時。
今朝11時半まで眠った。
いつもはこんなに眠れない。
嫌な出来事を忘れようとする自己防衛本能が働いているのだろうか。
時間でしか解決できないことがある。
一昨日の出来事を冷静に捉えることができるまで時間がかかると思う。
現実世界は楽しいことばかりではない。
苦い水もまた人生の糧(かて)になるのか。
2010年10月6日水曜日
旧姓Sさんへ 2010.10.6
森美術館
Sさん(旧姓)、コメント投稿ありがとうございます。
今朝、ケータイの電源をONすると同時に、GMailに受信がありました。
貴女からの投稿コメントがあったことを知らせる自動メールです。
コメント投稿があってもリアルタイムにアップされず、管理者(私)の
許可を経てアップされるという設定になっていることを私自身が認識して
いませんでした。
さきほど設定を変えましたので、今後は投稿と同時にアップされるはずです。
ナイトウさん、ハヤシさんがお辞めになったことを知り残念に思います。
Sさん同様、営業マンである私に温かく接して頂いたことを忘れません。
時はためらいもなく過ぎ、あの頃のこともあっという間に思い出になって
しまいますね。
お元気でお過ごしください。
引き続きご愛読頂ければ幸いです。
2010年10月4日月曜日
東名集中工事と亡母の思い出 2010.10.4
森美術館 撮影:10月1日
今年も例年通り、東名高速で集中工事が行われる。(10/4-10/15)
私は東名集中工事と聞くたびに、亡き母が病に倒れた秋のことを
思い出さずにはいられない。
1994年10月初めのこと。
神戸で勤務していた私のもとへ兄から電話が入った。
「母が入院した。」
思いもかけないことだったので私は動揺した。
入院する直前の症状も尋常ではなかった。
肺に水がたまり呼吸困難とのことだった。
私は母を見舞うために大阪・豊中からブルーバードSSS(スリーエス)に
乗り、東名高速で数回帰京した。
その時期がまさに東名集中工事期間だったのだ。
工事で車線が縮小され渋滞した。
早く母のもとへ駆けつけたいのだが、どうすることもできず焦燥に
かられた気持を忘れることはできない。
大阪からクルマで駆けつける私を母は心配していた。
「新幹線で来てね」と毎回見舞うたびに母は言った。
そう言われても私はクルマで帰ることを止めなかった。
親の心、子知らずとしか言いようがない親不孝者だった。
母の病気は死に至る病だった。
11月20日に私たち家族に看取られ、母はあの世へと旅立った。
私も兄も精神的に立ち直るまでかなり時間がかかった。
つらく悲しい秋だった。
東名集中工事の時期になると、あの秋を必ず思い出す。
あれからもうすでに16年が経過する。
2010年10月3日日曜日
期初の休日 2010.10.3
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