小学生の頃から今に至るまで、ボクシング観戦には強い興味がある。
ボクシングが好きになったきっかけは、ファイティング原田が
エデル・ジョフレ(ブラジル)を破って世界バンタム級チャンピオンに
なったことだったと思う。
記録をひもとくと1965年5月18日のことで、
当時私は小学校四年生であった。
ハワイ出身で日系3世の藤猛(ふじ たけし)も短命だったが
破壊的な強打で人気が高かった。
勝利インタビューでの「オカヤマのおばあちゃん」というコメントが
流行語になったのを覚えている人も多いはずだ。
無名の西城正三がフェザー級王座についたのは
1968年9月27日。(中学一年)
彼が異色だったのはその端正なマスクに加えて、日本人ボクサー
で初めて海外で世界タイトルを取ったことだ。
ノンタイトル戦でラウル・ロハスを破ってチャンスをつかみ、
その勢いでベルトまで取ってしまった。
クロフォードとの防衛戦では初回にダウンを奪われたものの、
その後挽回して勝っている。
防御面に不安はあったが、軽快なフットワークとチャンス時の
ラッシュを見て、チャンピオンになるだけのことはあると私は
納得したものである。
ファイティング原田との対戦をファンはかなり望んだが実現する
ことはなかった。
私には原田側が対戦を避けているように感じられた。
もし負けたら、彼が築き上げた名声に傷がつくのを恐れたのでは
ないかと今でも思っている。
中学生の頃(1968-1970)日本のボクシング界は黄金時代と呼ばれた。
大場政夫、沼田義明、小林弘、柴田国明などのスターが活躍した。
一方、海の向こうでは、カシアス・クレイ(後のモハメッド・アリ)が
ベトナム戦争への徴兵拒否で話題になっていた。
アリのいない間にチャンピオンに君臨したジョー・フレイザーと、
カムバックしたアリの対戦は私の関心を掻き立ててやまなかった。
この対戦は1970年に実現し、結局、脂の乗ったジョー・フレイザーが
ブランクの長いアリに判定勝ちして決着した。
(その後、この2人は二度対戦して今度はアリが
二度とも判定勝ちしている)
当時のヘビー級はビック・イベントに事欠かなかった。
チャンピオン ジョー・フレイザーと、メキシコ・オリンピック(1968年)の
ヘビー級金メダリスト ジョージ・フォアマンの対決が待っていた。
1973年のことである。
当時、高校2年生だった私は秋葉原の電気店でこの試合を観た。
なぜ秋葉原にいたのかは覚えていない。
待望の対戦であったが、ジョー・フレイザーがわずか2ラウンドで
フォアマンの強打の前にマットに沈んだのは衝撃的だった。
誰を出してもフォアマンに適(かな)う相手はいないと感じた
ものである。
そのフォアマンをアリが破る”奇跡”を起こすのは1974年。
これだからボクシング観戦はやめられない。
大好きなボクシングだが、最近、K-1などの格闘技人気に押され気味だ。
テレビ中継もめっきり少なくなってしまった。
そのことを私は大変残念に思っている。