2007年6月24日日曜日

ボクシング    2007.6.24

小学生の頃から今に至るまで、ボクシング観戦には強い興味がある。


ボクシングが好きになったきっかけは、ファイティング原田
エデル・ジョフレ(ブラジル)を破って世界バンタム級チャンピオンに
なったことだったと思う。
記録をひもとくと1965年5月18日のことで、
当時私は小学校四年生であった。


ハワイ出身で日系3世の藤猛(ふじ たけし)も短命だったが
破壊的な強打で人気が高かった。
勝利インタビューでの「オカヤマのおばあちゃん」というコメントが
流行語になったのを覚えている人も多いはずだ。


無名の西城正三がフェザー級王座についたのは
1968年9月27日。(中学一年)
彼が異色だったのはその端正なマスクに加えて、日本人ボクサー
で初めて海外で世界タイトルを取ったことだ。
ノンタイトル戦でラウル・ロハスを破ってチャンスをつかみ、
その勢いでベルトまで取ってしまった。
クロフォードとの防衛戦では初回にダウンを奪われたものの、
その後挽回して勝っている。
防御面に不安はあったが、軽快なフットワークとチャンス時の
ラッシュを見て、チャンピオンになるだけのことはあると私は
納得したものである。
ファイティング原田との対戦をファンはかなり望んだが実現する
ことはなかった。
私には原田側が対戦を避けているように感じられた。
もし負けたら、彼が築き上げた名声に傷がつくのを恐れたのでは
ないかと今でも思っている。


中学生の頃(1968-1970)日本のボクシング界は黄金時代と呼ばれた。
大場政夫沼田義明小林弘柴田国明などのスターが活躍した。


一方、海の向こうでは、カシアス・クレイ(後のモハメッド・アリ)が
ベトナム戦争への徴兵拒否で話題になっていた。
アリのいない間にチャンピオンに君臨したジョー・フレイザーと、
カムバックしたアリの対戦は私の関心を掻き立ててやまなかった。
この対戦は1970年に実現し、結局、脂の乗ったジョー・フレイザーが
ブランクの長いアリに判定勝ちして決着した。
(その後、この2人は二度対戦して今度はアリが
二度とも判定勝ちしている)


当時のヘビー級はビック・イベントに事欠かなかった。
チャンピオン ジョー・フレイザーと、メキシコ・オリンピック(1968年)の
ヘビー級金メダリスト ジョージ・フォアマンの対決が待っていた。
1973年のことである。


当時、高校2年生だった私は秋葉原の電気店でこの試合を観た。
なぜ秋葉原にいたのかは覚えていない。
待望の対戦であったが、ジョー・フレイザーがわずか2ラウンドで
フォアマンの強打の前にマットに沈んだのは衝撃的だった。
誰を出してもフォアマンに適(かな)う相手はいないと感じた
ものである。


そのフォアマンをアリが破る”奇跡”を起こすのは1974年。
これだからボクシング観戦はやめられない。


大好きなボクシングだが、最近、K-1などの格闘技人気に押され気味だ。
テレビ中継もめっきり少なくなってしまった。
そのことを私は大変残念に思っている。