早かったような長かったような三か月だった。
3月11日を境に我々の生活は目に見える形で変化した。
それは劇的、といってよいほどの変化である。
福島第一原発の事故は当初、一刻一秒を争う緊急事態だった。
原子炉建屋が水素爆発を起こした時には、多くの国民が強い
恐怖を感じたと思う。
使用済み核燃料棒貯蔵プールを至急冷却する必要があり、急遽
派遣された東京消防庁スーパーレスキュー隊が注水をする時には、
テレビくぎ付けになった。
つい最近のことのように感じる。
事態はまだ収束していない。
関係者の懸命な努力が続けられている。
原発事故と同時に首都圏の電力危機が大きな関心事となった。
需要をまかなう供給が出来ない可能性があり、前代未聞の計画停電が
行われた。
私の住む地域も日中、夜間に数回の停電があった。
社会全体で節電が行われ、屋内は以前と比べて暗い場所が多くなった。
私の通う会社でも照明を間引いての勤務を行っている。
5月からクールビズも始まった。
これから迎える本格的な夏がどうなるか気懸りである。
首都圏では震災直後から商品不足が顕著になった。
トイレットペーパーなどの生活用品、牛乳・米・パン・ミネラルウォーター
などの飲食品がスーパーの棚から消えた。
首都圏の製油所が被災した結果、一時的にガソリンがひっ迫した。
ガソリンスタンドにクルマが列をなすという信じがたい光景も出現した。
ごくわずかな期間ではあったが、街からクルマが姿を消したこともあった。
無駄な使用を人々が控えたためである。
震災から一か月くらいは終わらぬ余震に不安をかきたてられた。
いつか大きな余震があるのではないかと落ち着かない日々だった。
二か月経過後は余震も数えるくらいに減った。
大地が揺れなければ気持ちも落ち着いてくるものである。
一昨日の金曜日夜、筆者は品川にいた。
どこの飲食店でも入店待ちの行列ができていた。
人々の生活が平常に戻ったんだな、と実感した次第である。
新聞によれば被災した東北の部品工場もかなり立ち直ってきたようだ。
滞っていた自動車、電機メーカーの生産も先が見えてきたようだ。
一時はお先真っ暗な状態だったが急ピッチで回復してきている。
明けない夜はないという。
明日を信じ、前向きに生きていきたいと思うものである。