11月もまもなく終わる。
いつもの繰り返しになるが、月日の経過スピードは実に速い。
またたく間に1年がたってしまう。
昨日、会社を午後早退して兄の入院に付き添った。
入院先は三鷹市内の精神科病院である。
ここまでたどり着くまでに結構な時間を要してしまった。
兄がホームレスになったことを知ったのは9月下旬である。
彼の行動範囲に網を張った結果、連絡がつき再会を
果たしたのが9月末のことだ。
ここ3年ほど私と兄は絶縁状態だった。
再会して2ヶ月のうち、はじめの1ヶ月は数少ないアテを求めて
さまよう彼を、なんとか
生活保護のルートへ導くために費やした。
ホームレスになる前、つまりお金に余裕のあった時期に金銭を
施した人のところへ救済を求めに行ったり、いよいよ困り果てて
親戚の家に転がり込んだり、彼もサバイバルにもがいていた。
いつまでも親戚の家に世話になれない以上、そこから彼を
追い出して一刻も早く行政の生活保護下におかないと寒い冬を
迎えてしまう。
私も内心、焦っていた。
紆余曲折の末、なんとか生活保護の流れに乗ったのが
10月28日のことである。
都の路上生活者緊急保護センター(世田谷区喜多見)に
役所の誘導で彼は入所した。
入所する前日、本人から私に連絡が入りそのことを知った。
私もひとりで役所に足を運び、スタッフからどんな施設なのかを
情報収集した。
これでひと安心かと思ったのも、つかの間。
事態はそんなに甘くなかった。
役所スタッフから私に連絡が入ったのは保護センター入所の
わずか1週間後だった。
他の入居者とうまくやっていけず退去させられてしまったことを
告げられた。
その後、やはり役所の紹介でNPO法人が経営する福祉施設に
入所するも、そこでもトラブルを起こして2泊で退去させられた。
その後は役所が川崎市の簡易宿泊所(俗称:ドヤ)へ彼を
泊まらせたが、そこでもトラブルを起こし一晩で宿泊を断られて
しまった。
この時点で、役所の係員からは
精神科入院のプランを
勧められた。
あちらこちらでトラブルを起こす彼の精神的疾患を感じ取った
からである。入院には弟である私の同意が必要だが、無条件で
そのプランに賛成した。
ここ数年の彼の不可解な行動は精神疾患によるものだと
確信していたからである。
彼と再会してちょうど2ヶ月になる昨日、精神科病棟に入院
できたことになる。
はじめの1ヶ月で生活保護の流れに乗り、2ヶ月で精神疾患
治癒の徒についた。
まだまだ先は長いと思う。
でも私は彼の再起に希望を抱いている。
彼にはもう、かつてのような贅沢な生活は待ってはいない。
しかし、彼の残された時間を穏やかな心で、静かに慎ましく
送ってもらいたいと心から願っているし、それは可能だと
信じているのである。