2011年4月29日金曜日

サプライチェーンの寸断 2011.4.29

たんぽぽ



ゴールデンウィークを迎えた。
今日から三連休、月曜日に出勤したら再び三連休、そして
金曜日に出勤して土日(連休)、というのが今年の暦だ。
例年通り遠出はせず、のんびり好きなことをして過ごす予定だ。



4月の自動車販売は前年比5割を超える減少見通しであることが
今朝の新聞で報道された。
部品不足でクルマの製造が滞っているからだ。
知人の話だが、車検が迫っているため買い替えようとディーラーに
出掛けた。
大衆車ヴィッツを求めたかったのだが、納車が年内は無理と
言われたそうだ。
実態はここまでひどくなっていたのだ。


「原料資材購入 → 部品製造 → 完成車組み立て」という一連の
流れを経済用語でサプライチェーンという。
クルマに限らず、あらゆる製造業での用語として使われている。
ここ十年くらい、経済界ではサプライチェーンの改革が改善テーマの
ひとつだった。
作り過ぎ(過剰生産)、品不足(過少生産)がないよう、受注情報に
即した生産が行われることを是とした改善活動が行われてきた。


今回の大震災では工場の被災により、部品製造が滞った結果
サプライチェーンが寸断されてしまった業界が多々ある。
その代表格が自動車業界である。
身近な例では、ペットボトルのキャップが不足して飲料水の製造が
滞っているという話もある。


以前も書いたが、世の中は多くの会社、工場が互いに関わり合い
モノづくりが行われていることを痛感した。
今回の大震災で教えられた。


2011年4月27日水曜日

厳しい季節の到来   2011.4.27

チューリップ


4月末にもなると暑くなってくるものだ。
今日午後、ビルの中にある事務所で今年初めて暑苦しさを
感じた。
我慢できないほどではないが、ネクタイを絞めた首まわりが
少し汗ばむ感覚を覚えた。


今からこんなにも暑いと、迎え来る夏が思いやられる。
電力不足に伴う節電が必須だから、昨年までのようにエアコンを
存分には使うことができない。
通勤電車も今日時点では冷房は入れずに送風だけだった。
窓開けで対応するよう車内アナウンスが流れていた。


まだ実感を伴わないが、相当厳しい夏になると覚悟しておいたほうが
よさそうだ。
今までになく厳しい季節を迎えている。
我慢と工夫で乗り切るしかないのだ。

2011年4月24日日曜日

新緑   2011.4.24





新緑を渡りゆく風香ばしくどこぞ林に鶯は鳴く      天祐









2011年4月23日土曜日

東京電力  2011.4.23

東京電力の清水社長が福島県を訪れ、県庁、町役場、震災避難所など
各地でお詫び行脚をした。
原発事故を引き起こした会社の責任者としての責務を尽くしている。
立場、役割とはいえ、なんと大変な時に社長を務めている人なのだろう。



当然ながら、清水社長が事故を招いたわけではない。
設計上、重大なる過失があったわけでもない。
原発建設当時から今に至るまで、考えうる限りの安全策を講じて稼働
させてきたが、想定をはるかに超える津波があの日に福島第一原発を
襲ったがためである。



事故が起きた後になって冷却用電源設備をあれこれしておけば
よかった、というのは後出しジャンケンである。
想定外があってはならない、という意見もあるが、私は世の中には
想定外はつきものだと考える。
人間はそこまで賢くはないし、自然の猛威は時として人智など軽々と
越えて牙をむく。



私は東京電力に事故の責任がなかったと言っているのではない。
事故の収束努力や巨額に及ぶ賠償も責任のうちである。
社長が関係区に頭を下げるのも仕事に伴う責務である。
しかし、大地震→大津波→原発事故の因果関係の中で、あらゆる
責任を東京電力にかぶせるのはいかがなものかと感じている。
しらばっくれているが、かつての自民党政権にも責任はあるだろう。
テレビで解説している学者にも全く責任はないのだろうか。



昨日夕方、たまたま東京電力本社の前を歩いて通った。
テレビ局のマイクロバスにまじって警視庁の車両も警戒にあたっており
ものものしい雰囲気だった。
同社に集中する非難のなかで、あってはならない事件を未然に防ごうと
いう意思なのであろう。



すべての責任を東電に負わせることには反対である。
不幸にも起きてしまった今回の事故を教訓に変えて、より安全な原発へと
進化させるべきである。
日本の電力の30%は原発から生み出されている。
原発なくして日本の経済、人々の豊かな生活は成り立たないのである。

仕事がはかどった夜  2011.4.23

内幸町にて  撮影:4月22日


思いのほか仕事がはかどった昨日の金曜日。
夕方、早めに会社事務所をひけて帰路につく。


最寄駅(銀座)に向かう足取りが軽い。
「そうだ、こんな日こそ少し歩いて頭を切り替えよう。週末でも
あるし」と思い、新橋・虎の門方面へ歩くことにした。


思えば大地震の朝に歩いた以来の道のりである。
あの日以来、虎の門から銀座まで歩くのをやめていた。
先を争うように電車に乗って、まっすぐ帰る日が多くなっていた。
久しぶりに歩いてみると、オグラ氏の元職場(ビル)が建て替えの
工事をしている。
飲食店の店先を見て歩くだけでも楽しい。


疲れも感じなかったので、虎ノ門を越して溜池山王まで歩いた。
会社を出て約40分。
暑くもなく寒くもなく快適な歩行ができた。
電車に乗ったら、なんだかとても気分がスッキリしている。
やはり歩くということは心身の栄養になる、と再認識した夜だった。
 

2011年4月20日水曜日

震災躁 2011.4.20

暖かくなったと思ったら、今日は朝晩冷えた。
コートが必要なほどではないが、少し身体が縮じこまる感覚を
味わった一日だった。


大震災に見舞われてから私自身で変わったことがある。
それはかなりしばらく続いた変化だった。
まず、食欲が旺盛になった。
とにかく腹が空き、たくさん食べられるようになった。
会社の同僚にも同じことを言った者がいた。
彼曰く、生命の危機に瀕した時の自己防衛本能なのではないかと。


もう一つの変化は、夜寝るのが遅くなったことである。
以前は疲れてさっさと寝ていたのだが、地震の後はおそらく興奮して
いたせいだろう、毎晩24時をまわる日が続いた。
しかも翌日、疲れを感じない。


4月5日の朝日新聞夕刊に作家・池澤夏樹氏のコラムが掲載された。
そのなかに「震災躁の後で、震災鬱がやってくる。」というくだりがある。
そうなのだ。私の変化は震災躁という言葉で説明できると思った。
精神がファイティングポーズを取っている状態である。
心身が妙に活性化されているため、ハラも減るし夜も眠くならない
躁状態に入っていたのだ。


躁状態は知らず知らずのうちに身体に負荷がかかるから、いつまでも
続くものではない。
さすがに今週くらいから、以前のように夜22時をまわると眠くなるように
なった。
日中も、昼食後などが特に眠い。
鬱にはならないが、躁状態は終わったのだ。


身体というものはきっちりバランスを取るものなんだなと感じる。
ここ1か月近く、私はまさしく震災躁状態にあったのだなと思う。

2011年4月17日日曜日

政権の対応を支持する  2011.4.17

浜離宮


好天の休日を迎えた。
マンションの窓から見える銀杏の木々には緑の新芽が芽吹き
それが日に日に成長しているのがわかる。
冬物のコート類も昨日クリーニングに出した。


今回の大震災に際して政府の対応を批判する声があがっていると
報道されている。
自民党はもちろんのこと、同じ民主党内でも小沢氏が批判の声を
強めているらしい。
私はこのことに強い違和感と不快感を感じている。


大地震の翌日、菅総理は自衛隊機で被災地を空から視察した。
震災の大きさを確認すると、すぐに10万人の自衛官を被災地に
派遣することを決めた。
当初は5万人規模を考えていたが、自らの目で見て決断した。
報道されている通り、自衛官たちは現地で被災者の救援や復旧
活動に貢献した。
10万人規模の派遣を決めたのは菅総理である。


福島第一原発事故に対して東電に檄を飛ばしたのも菅総理である。
政府のスポークスマンとして枝野氏の活躍も素晴らしかった。
もともと地味だが「できる男」であることを証明し男をあげた。


計画停電の了承など個々の判断が万全だったかは今はまだ判断
できない。
結果的に間違ったジャッジも混じっているだろうと思う。
しかし、未曽有の大震災に見舞われた非常時・混乱時でのことである。
すべてがベストに運べるほどヒトは賢くない。


私が社会人になりたての頃に教わったことがある。
「他人を批判することは、批判する相手の10%の能力があればできる」
ということだ。
こんな事態に際してもなお、時の政権を批判することしかできない
一部政治家には失望を禁じ得ない。
私は民主党びいきではないが、菅総理をはじめとする政権の奮闘を
強く支持するものである。

2011年4月13日水曜日

がんばろう!日本  2011.4.13

浜離宮の桜


すっかり暖かくなった。
季節は完全に春へと移行した。


大地震のことは忘れてしまいたいのだが、連日襲ってくる余震が
そうはさせてくれない。
一昨日(4月11日)夕方には大きな揺れがあり、昨日も二度ほど
身体に感じる強い揺れがあった。
こんなに頻繁に揺さぶられるから、私の地震酔いは治りそうにない。
四六時中、揺れているような錯覚に悩まされている。


その一方で、生活必需品のモノ不足はほぼ解消したようだ。
米、パン、牛乳、納豆などは潤沢にスーパーの棚に並んでいる。
飲料水が足りないくらいだろうか。
ガソリンスタンドに、クルマが列をなすことはもうない。


被災地が復興するまでには気の遠くなるくらいの時間が必要だろう。
福島第一原発事故の収束もかなりの時間を要することが確実視
されている。
余震がおさまり、人々が普通にお金を使って経済が活性化するまで
どのくらいかかるだろうか。
余震を感じるたびに悲観的な気分に捉われてしまうが、希望を捨てず
前を向いて生きていきたいと思う。
まさに、がんばろう!日本である。

2011年4月10日日曜日

大震災から一か月  2011.4.10





大震災から一か月が経過する。
列島では余震が発生しない日がない状態が続いている。
揺れを感じるたびに、いったいいつまで続くのだろうかと不安になる。


私は毎晩寝る前に祈っている。
寝ている間に大きな余震が来ないことを。
家族・友人・会社の仲間が無事でいられるように。


本当に恐れているのは余震もさることながら、首都圏直下型の
大地震だ。
これが本当に怖い。


大地はどっしりとしていてほしい。
グラグラ揺れてほしくない。
テンプターズの曲ではないが、神様お願いという心境である。

2011年4月7日木曜日

春来たる 2011.4.7

昨日、今日と俄然暖かくなってきた。
開花が例年より遅かった桜の花も、今を盛りと咲き誇っている。
春がやってきたのだ。


今週は勤務時間中に余震を感じることがなくなり、ようやく業務に
集中できるようになった。
少しずつ日常が戻りつつあることを感じる。
しかし、その一方で、日増しに震災の影響の大きさを実感する
ことも多い。


被災地で行われていた各種部品製造が滞ることにより、最終製品の
生産にまで影響を与えている。
その代表格がクルマだ。
米国メーカーの生産までもが影響を受けているという。
紙製品、インク類も足りないため、印刷に悪影響を及ぼしている。
企業活動がいかに多くの協力工場がからみあって成り立っているかを
思い知った。


我が国の経済がしばらく縮小・停滞することはやむを得まい。
やがて部品製造が立ち直り、最終製品の生産も回復していくことだろう。
個人の消費も国内経済に占める割合は高い。
いま大切なのは、何でもかんでも自粛しないで皆で普通にお金を使うこと。
義援金を収めた後は、今まで通り普通にモノを買い飲み食いすることだ。
まさに「お金は天下のまわりもの」なのだから。

2011年4月3日日曜日

いつも音楽と共に生きてきた(モンキーズ)  2011.4.3

 桜の花をついばむ野鳥 




Wikipedia によるとモンキーズの「恋の終列車」(Last Train to Clarksville)は
1966年10月にリリースされた。筆者が小学校5年生の頃である。


当時、ビートルズは難解な音楽へと傾斜していた時だった。
それだけにビートが効いてシンプルなモンキーズのサウンドは、聴いていて
耳にとても心地よかった記憶がある。
かっこいいリードギターのイントロで始まるこの曲は大いにヒットした。
(リードギターを弾いているのはベンチャーズのジェリー・マギーである)
 
 
ビートルズの真似をした米国の「作られた」バンド、楽器が弾けないなど
よく言われない面があったことも事実だった。
しかし、彼らの曲は今聴いても素晴らしい。
小学生の頃の淡い思い出とともにいつまでも忘れることはできない。
 
 
ちなみに私は Davy Jones が唄う I Wanna Be Free が大好きである。
カラオケ向きな曲は Daydream Believer だ。結構、盛り上がる。



 
なつかしいモンキーズナンバーを聴いてみてください ↓
 
恋の終列車(Last Train to Clarksville)
I'm A Beleaver
Daydream Believer
Valleri
I Wanna Be Free
 
 
 



2011年4月1日金曜日

期末、期初  2011.4.1




昨日(3月31日)は社会人になって、まる33年が経過した日である。
昨朝、出勤するとき「よく続いたものだな」と小さな感激があった。
一言で33年といえども、振り返れば山あり谷ありの日々だった。



明けて今日。
新たな年度がスタートした。
期初は何年やっていても心新たな気持ちになる。



大地震から3週間が経過した。
あの恐怖はなかなか消えないけれども、怯えていても何も変わらない。
心配な福島第一原発も、米軍や諸外国の支援も受けながら関係者が
懸命に事態を鎮静化させようと努力を続けてくれている。
我々が心配しても事態は改善しない。


今朝の天声人語(朝日新聞)で、そろそろ震災から普通の日常へ
戻ろうという提言があった。
私も普通に生活して、普通にお金を使いたいと思った。
今朝、東急・田園都市線に乗ったら車内アナウンスで「明日から
急行電車が走り、来週月曜から朝夕は通常ダイヤで運行する」ことを
知った。
震災から気持ちを切り替える、リセットの時期を迎えている。