JR北浦和駅 撮影:9月27日 by GRDⅢ
昨日(27日:火)、休暇を取った。
今月、中旬に土曜日出勤をしているのでその代休を取得したのだ。
午後、電車を乗り継いで約2時間。
JR北浦和に住むオジマ氏宅を訪ねた。
オジマ氏はもともと南相馬の住人だが、福島第一原発事故のせいで
母親とともに北浦和の兄宅に避難しているのである。
母親の介護をしているので、気軽に外出もできない状況が続いている。
今月初めに携帯へ電話をもらった時、「外で会えないのなら北浦和宅で
会おう」ということを決めていた。
到着したのが午後3時。
私は缶ビール、彼は缶チューハイを手にしながら、大震災以来の彼の身に
降りかかった激変生活に耳を傾けてきた。
下記の写真(右)は、枝野大臣が「弁護士の私が読んでもよくわからない」と
批判した東電の賠償手続き案内書である。
パラパラめくってみたが、なるほど一見して複雑な内容になっている。
南相馬に戻ろうにも、母親が入る病院がない。
加えて、戻っても仕事もない。
先の見えない状況のなか、オジマ氏は懸命に母親の介護に精を出して
いる毎日だ。
東電の補償がいつまで継続されるのか。
それが彼の現在の最大関心ごとのようだった。
私は半径20km以内など、限られたエリアに住んでいた住人は人数が
決まっているのだから、悪いようにはされないと思うと考えを述べた。
実際そうなるだろうし、そうでなくては被災者は浮かばれない。
滞在すること約3時間。
夕方、彼が母親の食事準備を始める時刻がきた。
再会を約束して、オジマ氏の未来に幸あれと祈りながら、ちょっぴり複雑な
気持で北浦和をあとにした。
これは同情とかの感情ではない。
大震災が人の人生を大きく変えてしまったこと、その現実をリアルに
見たことで、私の中で整理ができない思いに捉われたのである。