2009年5月10日日曜日

足ることを知る  2009.5.10

             てんとう虫    撮影:5月9日



人の関心ごとや問題意識は時期や環境によって変化する。
置かれた状況や遭遇する事件・できごとで変わっていく。
年齢を重ねることにより、今まで意識しなかったことが見えてくる
こともある。



人それぞれ、関心ごとや問題意識の対象は違う。当然である。
同世代であれば共感できる領域は確かに広い。
しかし同じ世代だからといって、皆同じことを考えている訳でもない。
むしろ違っている前提で入る必要がある。
まず、会話をしてみないと他人はわからない。



では、会話をすればすべてわかるかというとそれも違う。
相手が本心をすべて語っている保証はないし、大人になると
言いたくても言えない、言わない場合だって多いものだ。
また、そのときの気分でたまたま語っている場合も多い。
実(げ)に人の心はわかりづらい。



そうであっても他人と語り合う意義はある。
表情を含めた話す気配から本音が透けて見えてくることもあるし、
語る言葉の裏側に潜むニュアンスだって感じ取れる。
話さないと何もわからない。



前置きが長くなってしまった。
私は最近、「足ることを知る」ということに気持が向いている。
もともとあれこれ考えていたところに、吉田拓郎の新曲が触発した。


【フキの唄  作詞:吉田拓郎】

人が生きる道もまた
おいしい事ばかりじゃない
足りなくて満たされぬ日が多くある
何かが足りない時も
その事を受け止めたい
何もかも求めすぎずにおだやかに



何かが足りない、それが何だかわからない・・・と絶叫した
「人間なんて」と比較すると、この歌詞は対極をなしている。
拓郎も歳を重ねることによって変わった。
彼の変化は成熟という良い方向に向かっているように感じられる。



昨日の朝日新聞にも「足ることを知る」に関連した情報があった。
江戸時代の学者・中根東里(なかねとうり)の残した言葉だ。

出る月を待つべし。散る花を追うことなかれ。


当分、この言葉は私のなかから離れないだろう。