写真 汐留シティセンター 1階の絵画
(港区東新橋1-5-2)
撮影 2007.7.13
小・中・高等学校では夏休み期間に入った。
この時期は子供達が乗らない分、通勤電車が空くのでありがたい。
小学生の時代、夏休みは圧倒的な魅力を持っていた。
なにしろ休日が連続するのである。
しかも40日間という、気が遠くなりそうな長さだ。
学校へ行くことは、大人が勤めることと同じで子供にとっての勤めである。
誰もそこから逃げることはできない。
そうした束縛から40日間も解放されるのである。
嬉しくないはずがない。
友人といくらでも遊べる。どんなに遊んでも、翌日も休みだ。
学校の授業という時間的束縛もない。夜、明日の宿題をやらなくてよい。
自分の裁量で夏休みの宿題消化スケジュールを立てればよい。
好きなだけテレビを観てもよい。
いつもはできない夜更かしだってできる。(親に禁止されなければ)
夏だからプールや海水浴にも行ける。
私は両親に京浜急行で金沢八景や馬堀海岸に連れていってもらった。
海の家で食べるかき氷が好きだった。
萩中公園のプールは10円払えば無制限に楽しむことができた。
学校のプールとは違って、自由があるから好きだった。
私の右ひざには、不注意で萩中公園プールのコンクリートにぶつけた傷が
今でも残っているが、それすらもなつかしい記憶だ。
田舎に泊まりに行ける。
行けば小遣いももらえるだろう。
いつもと違う環境の中に飛び込むことができる。
パターン化された日常からの脱出である。
子供だってマンネリから離れたいものだ。
夏休みって、なんて素晴らしいんだろう!
しかし、長い長い休みも必ず終わる。
子供達は学ぶ。永遠に休みは続かないということを。
宿題も先に片付けておかないと、最後にツケがやってくることを。
休みを満喫したあとは、もとの日常生活に戻らなければいけないということを。
改めて夏休みを考えてみると、楽ばかりはできないという人生の
大原則を学んでいたことに気付く。
子供達が大切なことを学ぶ夏休みが今年も始まった。
おおいに学んでもらいたいと思う。
いや、大人が押し付けなくても通過すれば自然と学べることなのである。
<夏休み> 作詞・作曲 吉田拓郎
姉さん先生 もういない
きれいな先生 もういない
それでも待ってる 夏休み