2007年7月24日火曜日

タバコ 2007.7.24

タバコをやめて8年になる。
今、私の生活は喫煙とは無縁である。
あの時、決断してやめておいて本当に良かったと思っている。



喫煙は趣味・嗜好、つまり嗜(たしな)むという優雅なものではなく
その本質は「ニコチン依存症」である。
タバコがないと精神的・肉体的に安定できない状態なのである。
それは人間がタバコというものにコントロールされていることを意味する。

喫煙によって体内に入ったニコチンは、脳に化学的変化を引き起こし、
ニコチンを補給しないと本来の正常な機能が営めない状態にしてしまう。
程度こそ違うが、麻薬などの薬物依存と同類である。
だからいったん習慣化すると簡単にはやめることができなくなる。
そこが怖いし、厄介だ。



喫煙は他人迷惑な側面も備える。
空気を汚す、吸殻を散らかす、他人に火を押し付けてしまうこともある。
私は中学生か高校生の頃、品川駅の階段で歩きタバコをしていた人に
すれ違いざまタバコの火を手に付けられた経験を持っている。
付けられた瞬間、熱さではなく「痛い!」と感じたことを忘れない。

かつて都内に勤務していた頃、狭い事務所で喫煙するということが
いかに他人迷惑かを実感したことがある。
当時の私は喫煙者だったが、誰かが喫煙すると文字通り煙が目にしみて
辛いのである。
責任者に改善要望を出したが、その責任者自体が喫煙者だったため
彼との関係も悪くなってしまった。


その時、私の中には公衆での喫煙に関してイメージができあがった。
それは昔、川の水を共同使用しているイメージだ。
上流から流れてくる水を村人が共に使っていたとする。
食事、洗濯、飲み水として。
そこに誰かが小便をしたとしたら、村人全員が迷惑を蒙ることになる。
空間を汚染する公衆での喫煙はそれと同じである。
汚れをブロードキャスト(拡散)させてしまうのである。


2003年に健康増進法第25条が制定された意義はきわめて大きい。
喫煙者の出す煙を、結果的に他人に吸引させる環境が許されなくなった。
事務所、学校、食堂などの施設管理者に受動喫煙の防止措置を講ずる
義務が法令化されたのである。
私の勤務する会社でも、喫煙者は喫煙ルームなる隔離された空間でしか
喫煙できなくなった。



続きは次回に。
書きたいことが多過ぎて、一回に収めるには厳しくなったから。