2008年1月15日火曜日

阪神大震災     2008.1.15



寒い日が続いている。
今朝の通勤時は凍えた。



一年の中でこの時期が一番寒いそうである。
この寒さを迎えるとあのことを否が応でも思い出す。
明日はマスコミのニュースメニューの一つになることだろう。
13年前の1月17日未明に阪神・淡路地方は突然の大揺れに襲われた。
阪神大震災である。



当時、私は豊中市西緑丘に住んでいた。
千里中央から新大阪で乗り換え、1時間半かけて神戸・三宮に通勤する
毎日を送っていた。39歳の働き盛りである。
地震の時はまだ布団の中にいた。
すでに覚醒し、うとうとしていた記憶がある。
グオーンという地鳴りのあと、激しい上下の揺れに襲われた。
経験したことのない揺れに翻弄されながら「これで死ぬかもしれない」と
本気で思った。
今でもアパートが崩壊しなかったのは、揺れが40秒ほどで収まったからだと
信じて疑わない。あのまま揺れ続けていたらもたなかったはずだ。



地震直後は情報が乏しく、神戸が壊滅的打撃を受けていることを
知らされなかった。ただ、かなり大きな地震が神戸・淡路を襲ったことだけは
テレビで報道された。
いつものように通勤するためバスで最寄り駅へ行き、そこで鉄道網が破壊
されていることを知った。仕方なくバスで自宅へ戻った。
帰りに近所のミニ・コープ(生協)で水、パンを購入した。
食料がなくなってしまう不安を感じたからだった。



会社事務所はもちろんのこと、直属上司とも地震当日(月曜日)から
木曜日まではまったく連絡が付かなかった。
ようやく木曜の夜、上司から自宅へ電話があった。
「無事だったか? 明日、尼崎の事務所に来れるか?」
尼崎は大阪に最も近い場所に位置する。
つまり兵庫県のなかでは比較的被害が小さく、事務所も無事だった
のである。


一週間ほどは尼崎に出勤し、社員の安否確認を手伝った。
その後、三宮本社の復旧を急ぐことになり本社へ通勤することになったが、
交通網が分断されたなかの通勤は不便だった。
JRは西宮までしか通じていなかったから、西宮から三宮まではバスに
乗り換えなければならない。
傾いた家屋群を眺めながらバス停までの徒歩がひどく寒かった。
ところが2月近くなった時、早朝の寒さがぐっと緩んだ。
寒さは1月下旬までが最も厳しいことを身を持って知った。



災害時の人間性に関する領域でいろいろ嫌なこと、辛いこともあり
13年の年月が経過した今でも、当時のことはできれば思い出したくない。
おそらく一生この状態は変わらないのではないかと思う。