政治・経済・社会を眺望したコメント、趣味嗜好を掘り下げた雑感を綴ります。皆様の心に響くものがあれば、それは筆者の喜びであります。☆★☆2018年6月にブログ名を刷新。毎日更新を目標にしておりますが、予告なくサボることがあります。☆★☆
2009年10月31日土曜日
低迷する日本 2009.10.31
都市美 撮影:10月23日 7:37
内幸町から汐留方面を望む
10月も今日で終わる。
新しい体制のもと、新しい期が始まり新たな6ヶ月が滑り出してから
1ヶ月が経過したことになる。
いついかなる時でもビジネスに課題、懸案は絶えることはない。
ひとつ問題を解決したと思ったら、次なる問題が押し寄せてくる。
まるで川の流れのごとく、流れる水は変わっても水が流れてくることに
変わりはない。
どうしようか、と言う前にどうしたらよいかを個人の頭で考え抜くことが
大切だ。
問題にいちばん近い人が分析して考え抜かずして、他の誰かが解決策を
提示してくれるはずもない。
担当者が考え抜く前提があって、さまざまな経験、見識を備えた人材の知恵
という組織のフィルターが活きてくる。
前半6ヶ月(4-9月)の企業業績結果が10月に出揃った。
大手電機メーカー各社の中間決算は惨憺たるものだった。
日立、パナソニック、ソニー、東芝などは大きな赤字、または僅かな利益を
ようやく出している状態だ。
まだまだ国内の景気が好転していないことは明らかである。
しかし、お隣の韓国サムスン電子、LG電子は大幅な利益向上を達成した。
ウォン安のせいだろうと思ったが、そうではなかった。
中国、インド、中南米など高度成長している国への浸透と、競争力の高い
製品で成功しているとの報道だ。
まさに経営力の差以外のなにものでもない。
我々の知らないところだが、英語教育は韓国に大きく水をあけられている。
グローバルに活躍できる人材の層の差は広がる一方なのである。
戦後の日本は加工貿易に徹することで世界第2位の経済大国に成長できた。
世界が激変するなか、国民がいかにメシを食べていくかをもう一度真剣に
考えるべき時である。
そのくらい、日本の低迷は深刻な状態にあると思う。
2009年10月28日水曜日
進路指導 2009.10.28
秋空
進路指導について書いてみたい。
長男(1982年生まれ:27歳)が中学生3年の頃のことだった。
青葉区の公立中学で進路説明会があり、家内から頼まれて私が出席した。
担任、および進路指導教員の説明を聞きながら、疑問に感じたことが
忘れられない。
担任教員は進路指導の常道として、まず進学、就職の選択肢を提示した。
中学校以降は義務教育から外れるから当然である。
次に彼(担任の男性教員)が話したのは、「就職するのであれば、子供さんが
やりたいことを職業にするよう指導してください。」と話した。
まず、ここで私はひっかかるものを感じた。
たかだか15歳の子供に職業イメージなどあるはずもない。
やりたいこと、しかもお金を稼ぐ手段として”やりたいこと”がそのまま
職業になるほど世の中は甘くない。
私は彼が心の底からそう思っているのか、いささか計りかねた。
大人げないと思ったから、その場は黙って聞き流した。
次に進路指導担当の女性教員が登場した。
この中学の卒業生が進学した高校名、人数を説明していく。
そのなかでも当時、開校して年数が浅く普通科ではない”ユニークな”
公立高校の説明には熱が入っていた。
言葉にこそ出さないが、新しいユニークな学校があるのでイチ押しですよと
言わんばかりの説明だった。
説明を聞くうちにある疑問が生じたので、質問の時間がきた時に挙手した。
私は彼女がイチ押しの公立高校に関して、その高校を卒業した生徒たちの
進路状況を質問した。
ところが女性教員はその件に関して全く情報を持っていないことが判明した。
私は開いた口がふさがらない思いだった。
親ならば高校進学は子供たちの最終目的であるはずはなく、その先のことに
関心があるのは当然である。
結局、進路指導教員の目標(管理項目)はどの高校に何人送り込むことに
あるのだな、と気がついたのである。
不遜な考えかもしれないが、この一件で私は確信した。
この人たちにまともな進路指導を期待してはいけない。
親である自分が真剣に考えなくてはいけないと思い知ったのである。
もう一歩、踏み込んで言うならば、進路指導を学校教員に強いてはいけない
のではないかと思う。
学校教員は別のもっと大事なミッションの専門家だ。
進路指導こそ、学校以外の実業界で生きている我々が担うべき事項ではないか
と思えるのである。
2009年10月25日日曜日
記念日 2009.10.25
花札の絵柄のような・・・撮影:10月12日
雨の日曜日。
外はかなり冷え込んできた。
ひと雨ごとに秋は深まっていく。
今日は予定がなにもない。
先週は町内会の運動会に駆り出された。
昨日はマンションの理事会だったから、久しぶりの完全フリーだ。
朝から一歩も外出していない。
したがってヒゲも剃っていない。
10月は私だけの記念日が2日ある。
ひとつは10月13日。
31年前に新入社員として札幌に赴任した日だ。
いくつになってもこの日を特別な感慨を持って迎えている。
あの時に感じた心細さと期待感を忘れることはない。
北国の秋特有の寒さとともに、なつかしく思い出す。
もうひとつは10月24日。
10年前のこの日に禁煙を開始した。千葉勤務時代だ。
風邪をひいたことをチャンスと捉え、タバコとおさらばしようと
決めた日である。
タバコをやめて本当に良かったと思う。
やめて10年にもなるのに、年に数回、ふと喫煙したくなることがある。
もちろん吸うことはしないのだが、いかにニコチンの魔力、習慣性が
強いのかを改めて実感する時だ。
今週で10月は終わり、紅葉の美しい11月を迎える。
食べ過ぎに気をつけながら秋を満喫したいと思う。
2009年10月24日土曜日
マンション理事会 2009.10.24
竹林
休日である。
天気のほうは朝から曇りでイマイチだ。
午前中、マンションの理事会があり10時に集会所へ出向いた。
来年、10年に一度の大規模修繕を控え討議に熱が入ってきた。
大きな予算を使うし、何よりも自分たちの住環境をメンテナンスすること
だから、今年の理事5人の責任は重大である。
もっとも管理を委託している会社(東急コミュニティー)の担当者が
他マンションでの事例など情報を持っているから、彼らの提示する内容や
日程をベースに討議を行える気楽さはある。
その一方で、住民は大規模修繕の専門家ではないから管理会社の”言いなり”に
なる怖れも内在している。
建造物に対する専門知識がないから管理会社に対する「信頼と信用」に託す
しかない領域も多い。
理事5人はそうした制約のなかで一生懸命役割を果たそうと頑張るのである。
住民の合意を取り付けていくプロセスは企業での経験が役にたつ。
マンションでは企業のようなトップダウンはないから、論理的に、民主的に
進めていくことが前提になる。
仕事で取引先の納得を取っていく経験が役に立つのだ。
管理会社の担当者は若いし、彼らのこの事案に対する立ち位置はあくまでも
”仕事”であることを理解しておく必要がある。
仕事であって住人ではないから、どこをどこまで修繕するかという工事内容の
住民合意取り付けアプローチに踏み込みの足りなさが感じられた。
私は今日、そこを主張してアプローチをもう一歩深めるよう注文を付けた。
担当者はできれば楽に早く工事を受注したいと考えても不思議ではない。
会社からのプレッシャーもあるだろう。
こちらがきちんと言うべきことを主張しておかないと、大事な大規模修繕が
住民満足度を満たさないことになってしまう。
秋から冬は住民の意見を充分に収集しながら工事内容を決めていく期間だ。
国家の予算編成、事業仕分けに似たような作業である。
全体利益を考えた工事内容に収斂できるよう、役割を果たそうと考えている。
2009年10月22日木曜日
吉田拓郎が語る加藤和彦 2009.10.22
2009年10月21日水曜日
郵政官営化の失政を問う 2009.10.21
田園風景
一言(ひとこと)で言うならば、嫌な感じである。
日本郵政㈱の西川社長が退陣を余儀なくされ
後任に元大蔵官僚・斉藤氏が就任することになった。
この人事は後世に悔いを残すものとなるだろう。
政権交代の犠牲者となった西川社長を気の毒に思う。
私が嫌な感じを覚える理由は3つある。
1.論理的判断でないこと
国政に亀井郵政大臣の私怨に基づく情緒的判断が堂々と持ち込まれて
それに誰も異論をはさむことなくまかり通っている。
亀井氏は郵政民営化に反対し自民党を追放された人である。
その彼を郵政大臣に任命した時点で、この結末は予想できた。
政権交代の意義は国民生活を良くすることにあるのだが、そこから逸脱して
ただ単に自民党が敷いた路線を否定することだけが目的になっているように
感じている。
2.芝居が肯定されている
鳩山邦夫氏の大騒ぎ(簡保の宿売却問題、西川社長退陣要求)が正当化
されかねないこと。
鳩山氏は見るからに自己顕示欲が強い輩である。
顔にそう書いてある。顔は生き様を現わす。
安っぽい”正義”を振りかざし国政の場で大騒ぎした男の行動が、
今のところ肯定されてしまっている。
この点からも西川氏が気の毒でならない。
3.国民へのマイナス
民営化したはずの郵政のトップに元官僚がつくことによって、郵政民営化
どころか”官営化”に後戻りすることになった。
これは国営事業にお決まりの「低生産性、高コスト体質」を受け入れる
ことを意味する。
そのツケは税金の無駄使いで私たちに回ってくるのである。
私は民主党政権のベクトル、実行力には強い共感を感じている一人だ。
しかし、この事案に関してはとうてい賛成できないことを主張しておく。
読者の皆さんにも冷静に考えて頂きたいと思う。
2009年10月19日月曜日
加藤和彦 2009.10.19
落葉
加藤和彦死去のニュースを衝撃と共に知った。
17日(土)の朝日新聞・夕刊をひろげて知るところとなった。
ちょうど土日のどちらかで、はしだのりひこに関する原稿をアップ
しようかと構想を練っていた最中だった。
「いつも音楽と共に生きてきた」シリーズの10月編を書き上げようと
思っていたのだ。
そこに飛び込んできた悲報。
衝撃が強く、筆が進まなくなってしまった。
加藤和彦氏は思えば不思議な存在である。
私は氏に格別強い思い入れは持っていない。
フォーククルセダースでデビューし、「帰ってきたヨッパライ」を
大ヒットさせた人。
瞬(またた)く間に解散し、北山修氏とデュオを組んで名曲「あのすば」
(あの素晴らしい愛をもう一度)をヒットさせたメロディメーカー。
サディスティック・ミカバンドに至っては、活動していることはもちろん
承知してはいたが、その音楽には触れたことはない。
そんな加藤和彦氏ではあるが、カラオケではノムラ氏とよく歌った。
「イムジン河」の普通パートを彼が担当し、高音パートを私が担った。
その高音を歌い上げた人こそ、私の好きな”はしだのりひこ”氏ある。
また、「花のかおりに」も私とノムラ氏の持ち歌である。
やはり加藤和彦をノムラ氏が、はしだを私が歌うことになっている。
我々の育ってきた時代を象徴する歌い手は加山雄三だったり、Beatlesで
あったり、ブルコメ、タイガース、そして吉田拓郎、井上陽水、ユーミン
などになるだろう。
そのなかにあってフォークル、加藤和彦はけっして代表格ではなかった。
しかし、カラオケで昔を歌う時、はずすことのできない存在なのだ。
これを脇役と表現しては失礼だし、違うと思う。
代表格ではなかったけれど外すことのできない貴重な存在・・・。
きっと No1 ではないけど only1 だったのだろう。
私の中ではこの表現がしっくりいく。
今夜はノムラ氏と加藤和彦氏を偲んで思い切り歌いたい気分である。
偉大なミュージシャンを失ってしまった。
心より冥福を祈りたい。
ノムラくん、また一緒に歌おうじゃないか。
2009年10月16日金曜日
朝に歩く 2009.10.16
歩道橋の上で
(銀座から汐留方面を望む)
撮影:10月16日 17:49
秋が進行するにつれ、朝晩はかなり涼しくなってきた。
私は朝の通勤時に虎ノ門で降りて銀座の会社まで歩いている。
最寄駅は地下鉄・銀座線の新橋だから駅一つ分を歩いているのだ。
これだけ涼しくなれば長く歩いても汗が出ないと思って始めた。
約20分の徒歩だが、継続できればダイエット効果があると確信している。
知らない場所を歩くと発見がある。
「こんなところに、こんな飲み屋があったのか」「一度、会社帰りに
寄ってみるかな」など、思いを巡らせるのは楽しいものだ。
これで75kgの体重が71kgにまで落ちてくれれば一石二鳥だ。
先日、人間ドック(8月)の結果を受けて会社の産業医との面談があった。
私の場合、やはり肥満がネックとなっており、なんとしてでも体重を減らす
必要があるとの見立てだった。
自分の身体は自分でしか守れないから、やるしかないと思う。
朝の歩きを開始して今日で三日。
これで止めたら文字通り三日坊主になる。
来週も必ずやるぞ、と決意して週末を迎えている。
2009年10月14日水曜日
時代の変化(川崎市長選挙) 2009.10.14
JR川崎駅 撮影:10月11日
今月25日、参院補選と同日に川崎市長選挙が行われる。
私は横浜市在住なので、つい先日までこの選挙があることを知らなかった。
たまたま11日(日)に平和島まで行く用事があり知った。
溝の口駅で東急からJRへ乗り換えようと連絡通路を歩いていた時、かなりの
人だかりができていて「何だろう?」と思った。
若い候補者(福田紀彦氏)が街頭演説を行っていたのだ。
取り囲む聴衆は老若男女を問わず多く、一目見て人気の高い候補者であると
直感した。
やがて演説が終わると大きな拍手が沸き起こるではないか。
この熱気、そして幅広い年齢層の聴衆が聴いていることから市長のイスも
近いのかなと思わせるものがあった。
かつてわが国のリーダーはある程度の年齢を必要とした。
たまに若い候補者が立候補しても厚い壁に跳ね返されるのが常だった。
ところが最近は千葉市長を初めとして、若さが評価されるようになった。
先の衆議院議員選挙でも、民主党が多くの若手候補を立てて大量当選を
勝ち取った。
明らかに選挙の常識が変化している。
かつては自民党系の高齢候補者は圧倒的に強かった。
固い組織票に守られて安泰な選挙戦を戦っていた。
ところが昨今は違う。
かつて強かったベテラン現職候補ほど苦戦し、落選する傾向がある。
このトレンドで川崎市長選挙を占うと、現職で三選を狙う阿部候補も
うかうかしてはいられまい。
おそらく相当な危機感を抱いているだろう。
時代の変化を確認する意味で、この選挙を私はかなり注目している。
溝の口駅連絡通路にて
2009年10月12日月曜日
夕映え 2009.10.12
この三連休はおおむね好天に恵まれた。
今日も朝のうちこそ曇っていたが、時間の経過とともに気持ちよい青空の
祝日になった。
私は朝夕二回、自宅の近辺を歩き秋を満喫した。
涼しくなったので長袖シャツ着用だ。
それでも一時間半ほど歩き、帰宅する頃には頭にうっすら汗をかく。
それすらも心地よく感じられる。
夕方、沈みゆく落陽を見た。
遠くの山に姿を消してゆく太陽は、空に漂う雲にオレンジ色の陽光を
反射させとても美しい。
いかなる人も、美しい夕映えを目にすれば敬虔(けいけん)な気持になる
のではなかろうか。
自然のなかで生かされていることを知り、今日一日の営みに感謝の心が
湧いてくるだろう。
明日に希望を抱いて今日という日を終えることができる。
沈む夕日は素晴らしい。
明日も良い日になりますように。
2009年10月11日日曜日
天高く(私の愛する散歩道) 2009.10.11
2009年10月10日土曜日
目標 2009.10.10
台風翌日の朝(銀座) 撮影:10月9日
最近、ぼんやりとした目標を意識するようになった。
欧州先進国(ドイツ、フランス、イタリア)を訪れてみたいという
目標である。ノルウェーなどの北欧にも行ってみたい。
10年前に行った英国も、もう一度訪ねたい。
小学生の頃、地図帳を眺めるのが好きだった。
北海道、本州、四国、九州の隅々まで、見ていて飽きることがなかった。
実際にどんな所だろうかと想像を巡らすことは楽しいことだった。
豊かで便利な時代だから、私の目標は時間さえ作れば可能だと思う。
「いつか行こう」と言っていても実現はおぼつかない。
常日頃から地図でも眺めて、より強い目標に”昇格”させる必要がある。
今はPCという便利なツールがあるから、地図を眺めるよりももっとリアルに
イメージを膨らませることが可能だ。
目標があると楽しくなる。
実現を目指して今日からイメージを鮮明にしていこうと思う。
2009年10月8日木曜日
台風18号襲来 2009.10.8
台風がやってきた。
昨夜0時過ぎには、いよいよ雨足が強くなった。
私の住むマンションの駐車場は大雨に弱い。
雨水が流れるルートに木々の葉などが詰まって軽く冠水するのが
常だ。
駐車場内の安全な場所へクルマを移動させて朝に備える。
明けて朝。
通勤時間が風雨のピークにあたらないよう祈りながら自宅を出る。
いつもは乗ることがない急行電車を選択したことが幸いした。
新橋に着き地下鉄駅から地上に出ると、まだ雨足は強くない。
会社まであと3分という地点まで歩いた時、突然、風雨が強くなった。
小走りに会社へ。
少し濡れたが、私はラッキーだった。
会社に到着した後、ビルの窓から見える外の様子はすごいものが
あったから。
台風が去るのも早かった。
「えっ?これでもう終わり?」という声があがるほどあっけない。
ウソのような青空、白雲、陽光。
こうして台風は去っていった。
撮影:10月4日
昨夜0時過ぎには、いよいよ雨足が強くなった。
私の住むマンションの駐車場は大雨に弱い。
雨水が流れるルートに木々の葉などが詰まって軽く冠水するのが
常だ。
駐車場内の安全な場所へクルマを移動させて朝に備える。
明けて朝。
通勤時間が風雨のピークにあたらないよう祈りながら自宅を出る。
いつもは乗ることがない急行電車を選択したことが幸いした。
新橋に着き地下鉄駅から地上に出ると、まだ雨足は強くない。
会社まであと3分という地点まで歩いた時、突然、風雨が強くなった。
小走りに会社へ。
少し濡れたが、私はラッキーだった。
会社に到着した後、ビルの窓から見える外の様子はすごいものが
あったから。
台風が去るのも早かった。
「えっ?これでもう終わり?」という声があがるほどあっけない。
ウソのような青空、白雲、陽光。
こうして台風は去っていった。
撮影:10月4日
2009年10月6日火曜日
亀田大毅に望むこと 2009.10.6
WBAフライ級タイトルマッチをテレビで観戦した。
私のなかでは注目していなかった試合だが、帰宅してたまたま
放映があることを知りチャンネルを合わせた。
チャンピオン・内藤との”失礼な”戦い方は記憶に新しい。
謹慎期間を経てのカムバックだ。
チャンピオン・デンカオセーン・カオウィチット(タイ)はかなり
強そうで、亀田はあっさりKO負けするだろうと思っていた。
それを期待していたと言ったほうが当たっているだろう。
結果は僅差の判定で敗れた。
そこそこの戦い方はできたし、それなりに成長の跡も見えた。
しかし、あえて苦言を呈したいことがある。
本当に強くなりたいなら喧嘩ポーズのボクシングはやめなさい、と。
チャンピオンのクリンチに納得できないのは見ていてわかる。
しかし、いちいち首をかしげたり不満そうな顔をしてアンパイアに
アピールしたげな態度はよくない。
ラウンド終了のゴングが鳴って自らのコーナーに戻る時、相手を威嚇
するようなガンつけも見苦しい。
ボクシングは喧嘩ではなくスポーツである。
正確に表現するならば、喧嘩をスポーツにまで昇華したものである。
力量が同じなら冷静に戦える選手が勝利をものにする。
圧倒的な力量差がない限りは下手な挑発行為も不要だ。
そこを克服して、ぜひとも良きボクサーに成長して欲しい。
兄・興毅も同様だ。
モハメッド・アリを真似た薄っぺらなパフォーマンスなどいらない。
目の肥えた観客をうならせるようなボクシング技術を身に付けて
スカッとした試合を見せて欲しいと願うものである。
私のなかでは注目していなかった試合だが、帰宅してたまたま
放映があることを知りチャンネルを合わせた。
チャンピオン・内藤との”失礼な”戦い方は記憶に新しい。
謹慎期間を経てのカムバックだ。
チャンピオン・デンカオセーン・カオウィチット(タイ)はかなり
強そうで、亀田はあっさりKO負けするだろうと思っていた。
それを期待していたと言ったほうが当たっているだろう。
結果は僅差の判定で敗れた。
そこそこの戦い方はできたし、それなりに成長の跡も見えた。
しかし、あえて苦言を呈したいことがある。
本当に強くなりたいなら喧嘩ポーズのボクシングはやめなさい、と。
チャンピオンのクリンチに納得できないのは見ていてわかる。
しかし、いちいち首をかしげたり不満そうな顔をしてアンパイアに
アピールしたげな態度はよくない。
ラウンド終了のゴングが鳴って自らのコーナーに戻る時、相手を威嚇
するようなガンつけも見苦しい。
ボクシングは喧嘩ではなくスポーツである。
正確に表現するならば、喧嘩をスポーツにまで昇華したものである。
力量が同じなら冷静に戦える選手が勝利をものにする。
圧倒的な力量差がない限りは下手な挑発行為も不要だ。
そこを克服して、ぜひとも良きボクサーに成長して欲しい。
兄・興毅も同様だ。
モハメッド・アリを真似た薄っぺらなパフォーマンスなどいらない。
目の肥えた観客をうならせるようなボクシング技術を身に付けて
スカッとした試合を見せて欲しいと願うものである。
2009年10月4日日曜日
休日の悦び 2009.10.4
2009年10月3日土曜日
Fさん 2009.10.3
期末から期初へ変わる一週間があわただしく終わった。
仕事上の懸案もあったし、考えさせられるできごとも多々あり
体力的・精神的に疲労した週になった。
期末(水曜日)が職場の送別会。
昨日は関係会社の仕事パートナー・Fさんと私的に送別を行った。
Fさんは10月に別セクションへ異動することが決まった。
今回の異動は本人にとって不本意なものであることは明らかだった。
理由をここでは詳しく書くことはできないが、不祥事など問題を起こした
訳ではない。
私は一年半前に現職場へ赴任した。
彼も同時期に赴任し、以来、東京地区における仕事のパートナーとして
何かと相談したり、時には共に行動したりで私にとって頼りになる人だった。
彼を失うことは私にとっても痛手である。
今回の異動でひとまず付き合いが切れることになるが、私は共に行動して
くれた彼に感謝の意を表する趣旨で飲むことにした。
異動の心境に触れるかは彼次第とした。
飲み始めてすぐ、彼は今回の異動がいかに意に沿わないかを語り始めた。
無念さ、悔しさがごちゃ混ぜになった今の心境をあらわにした。
心配させることになるから家族には多くは話せないこと、寝付いても夜中に
目覚めてあれこれと考えてしまう夜が続いていることを告白した。
話を聞きながら、私は彼がウツの初期段階にあることを察知した。
早朝覚醒はウツの典型的な症状である。
夜中から明け方にかけて目覚めてしまい熟睡感が損なわれる。
眠れないから頭( = 精神)が休むことができず、昼間の集中力が落ちる。
体力的にも疲労感が蓄積されていくので、この状態が続くと危険だ。
私は彼に心療内科受診を強く勧めた。
ウツ症状は早めに手立てをすれば回復も早い。
有効なクスリを服用して熟睡感を味わい、消耗している心身のエネルギーを
平常レベルに戻すことが肝要であることを説いた。
彼もこの状態がずっと続いたらどうしようと困惑していたという。
心がダメージを受けて悲鳴をあげているのであって、精神的に弱いから
起きていることではないことも繰り返しインプットした。
おそらく今日、彼は心療内科へ行ったと思う。
適切なクスリを服用し、今夜はぐっすり眠れることを祈っている。
苦しい状況は変わらないけれども、心身のエネルギーがあれば立ち向かう
ことができるのだ。
2009年10月1日木曜日
期初に思う 2009.10.1
銀座のホコ天 撮影:9月27日
2009年度も中間期を終え、後半戦へ突入した。
最悪期は脱したものの企業業績はごく一部の会社を除けば依然厳しい状況が
続いている。
世界中を奈落の底に突き落とした米国発の忌まわしい金融危機、経済危機から
1年が経過した。
強欲(英語では greed と表現するようだ)資本主義と言われる、ルールなき
金融商品を発端とするバブルがはじけたのだ。
そのあおりを受けて銀行などの金融機関が大損をし、経済がおかしくなった。
そもそもバブルとはよくぞ言ったもので、ハイ・リスクな取引が積極的に
行われていた。
低所得者に持ち家をという思想自体は悪くはないと思う。
どんどんローンを組ませたが、多くの返済が滞ってしまった。
貸した金が戻ってこなかったのだ。
借り手がしっかり返済してくれていれば多大な利益をあげるローンだが、
成立しなかった。
日本には身の丈にあった暮らし、とか分相応という言葉がある。
稼ぎや所得に応じた買い方、借り方をするのが常識というものである。
リスクなき人生はあり得ないが、自分の足元は見ておかなければならない。
バランスを崩してひっくり返るのは自分なのだ。
起きてしまったことを恨んでも時を元には戻せない。
後半戦も厳しい状況は変わらないだろうが、我慢・知恵・工夫を惜しまず
組織に貢献していきたいと、期の初日に思う。
追伸
私たちの年代は「若手の邪魔をせず。お荷物にならず」が肝要ではないかと
最近つくづく思う。
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