2009年10月19日月曜日

加藤和彦    2009.10.19


                        落葉




加藤和彦死去のニュースを衝撃と共に知った。
17日(土)の朝日新聞・夕刊をひろげて知るところとなった。



ちょうど土日のどちらかで、はしだのりひこに関する原稿をアップ
しようかと構想を練っていた最中だった。
「いつも音楽と共に生きてきた」シリーズの10月編を書き上げようと
思っていたのだ。
そこに飛び込んできた悲報。
衝撃が強く、筆が進まなくなってしまった。



加藤和彦氏は思えば不思議な存在である。
私は氏に格別強い思い入れは持っていない。
フォーククルセダースでデビューし、「帰ってきたヨッパライ」を
大ヒットさせた人。
瞬(またた)く間に解散し、北山修氏とデュオを組んで名曲「あのすば」
(あの素晴らしい愛をもう一度)をヒットさせたメロディメーカー。
サディスティック・ミカバンドに至っては、活動していることはもちろん
承知してはいたが、その音楽には触れたことはない。



そんな加藤和彦氏ではあるが、カラオケではノムラ氏とよく歌った。
「イムジン河」の普通パートを彼が担当し、高音パートを私が担った。
その高音を歌い上げた人こそ、私の好きな”はしだのりひこ”氏ある。
また、「花のかおりに」も私とノムラ氏の持ち歌である。
やはり加藤和彦をノムラ氏が、はしだを私が歌うことになっている。



我々の育ってきた時代を象徴する歌い手は加山雄三だったり、Beatlesで
あったり、ブルコメ、タイガース、そして吉田拓郎、井上陽水、ユーミン
などになるだろう。
そのなかにあってフォークル、加藤和彦はけっして代表格ではなかった。
しかし、カラオケで昔を歌う時、はずすことのできない存在なのだ。
これを脇役と表現しては失礼だし、違うと思う。
代表格ではなかったけれど外すことのできない貴重な存在・・・。
きっと No1 ではないけど only1 だったのだろう。
私の中ではこの表現がしっくりいく。



今夜はノムラ氏と加藤和彦氏を偲んで思い切り歌いたい気分である。
偉大なミュージシャンを失ってしまった。
心より冥福を祈りたい。
ノムラくん、また一緒に歌おうじゃないか。