2014年9月30日火曜日

明日は国慶節、心配な香港   2014.9.30






明日10月1日は中国の建国記念日・国慶節である。




1949年10月1日、毛沢東は天安門にて中華人民共和国の樹立を宣言した。
日本が敗退した後、蒋介石率いる国民党との内戦を制して
共産党独裁政権が誕生して65年。
20世紀こそ貧困国家であったが、鄧小平のリーダーシップで
経済自由化を進め、今世紀に入って目覚ましい躍進を続けているのは
ご存じのとおり。
最近では豊かな経済力をバックに、軍事力を年々強化し
近隣諸国の警戒を招いている。




香港で選挙制度民主化を求めた大規模デモが続いている。
私は明日、流血騒ぎが起きることを懸念している。
中国は民主化運動に対しては徹底的に弾圧する国だ。
天安門事件が証明している。
妥協せず力で封じるのが彼の国の定石である。




香港がイギリスから返還されて17年。
一国二制度で緩やかに中国へ取り込もうとしてきたが
今回のデモが分水嶺になるかもしれないと私は懸念しているのだ。
催涙弾などで排除をはかる軍隊・警察に対して、デモ側が一線を
越えた動きをすると危ない。







2014年9月29日月曜日

フリーアドレス   2014.9.29

秋空




多くの企業は明日で会計年度の半分を終える。
消費増税後の業績がどうだったのか、気になるところである。



フリーアドレスについて書く。

移転などで新たなオフィスを設計する場合、勤務者の座る位置を
固定せず、空いている場所に座るというフリーアドレスが
企画されることがある。
私はこの発想が動物本能に逆らうものであるという確信を持っている。



30年ほど前、私が勤務する部署で実験的に座席をフリーに
したことがある。
個々人の机・椅子はなく、大きなテーブルのどこに位置取っても
構わない、という実験である。
実験でわかったことは、座席フリーといえども皆、ころころ座る場所を
変えることはなく、結局、決まった場所に位置取るということだ。



小学生の頃、鳩を飼っている家へ遊びに行って
鳩の行動を飽きずに観察したことがある。
彼らも鳩小屋のなかで場所が決まっている。
自分の場所を侵されると必死になって侵入者を追い払う。
追い払うことに失敗した場合、以後、その場所は侵入者が
継続して支配する。



人間も鳩もフリーアドレスは馴染まない。
洞窟の中で所狭しとひしめいているコウモリたちは
フリーアドレスなのだろうか。



2014年9月28日日曜日

65歳、75歳、85歳     2014.9.28

夕映え




ニュースは御嶽山の噴火一色だ。
地震、噴火とも予知ができておらず、人知の限界と
地球は生き物であることを思い知らされている。



元・社会党党首 土井たか子氏が20日に亡くなっていた。(85歳)
20数年前、多数の社会党女性議員が当選し、マスコミは
マドンナ旋風と報道した。
土井氏は一時代を築いた政治家だ。
ご冥福を祈りたい。
残念だったのは(北朝鮮)拉致被害者家族が彼女に相談に行った際、
北朝鮮による拉致は存在しないとして対応しなかったこと。
情報がなかったことと同党のイデオロギー(社会主義)が
判断を誤らせた可能性は否定できないだろう。
(北朝鮮は社会主義国である)




私は来年、還暦を迎え会社勤務を終える。
まずは仮寿命 65歳の前提で生きるつもりでいる。
65歳は大瀧詠一が急逝した年齢だ。

65をクリアできたらそこから先はご褒美と考える。
65の次は75。
75の次は85。
85以上生きることができたらそれはボーナスだ。



人の寿命はわからない。
わからないからこそ、私は自分の寿命を「短い前提」で考えている。
寿命に関して私ができることは健康管理である。
栄養と睡眠、適度な運動、精神衛生が最重要項目になる。



自分が努力できることをきちんとやる。
あとは天命に委ねる。
そう考えている。







2014年9月27日土曜日

兄の異変    2014.9.27

横浜市青葉区




薄日の射す曇り空に少し冷たい風が吹く。
秋色濃くなりつつある9月下旬の休日を迎えている。



今週に入って兄に異変が起きた。
二日間(木、金)、急遽、会社を休んで奔走し兄を神奈川県郊外の
新たな病院へ入院させてきた。

以下、プロセスを簡略化して書いてみる。



●22日(月曜日)夜、兄が彼の住むアパートの玄関付近で
倒れているところを住人が発見して119番通報。
駆け付けた救急隊員が意識、脈拍から深刻な事態では
ないと判断。
いちおう家族に知らせるべく私に電話連絡を下さった。



●一晩明けた翌23日(火曜日)の朝、兄に様子を確認するため
電話をした。兄には前夜の記憶がまったくないことがわかった。



●25日(木曜日)早朝、兄が大田区久が原付近で雨のなか
倒れているところを警察官が対応。
田園調布中央病院へ搬送。
家族(私)へ迎えに来るよう要請の電話が入り、会社へ向かうため
バスに乗っていた私は、行先を病院へ変更して急行した。
兄に面会していきさつを尋ねたが、記憶が定かでない。
病院医師の診察では大事には至らないだろうとのことなので
兄をタクシーに乗せて一緒にアパートへ連れ戻した。



兄からのヒアリングから判断して、25日早朝の一件は
前夜から自宅に戻ることができず、大田区を徘徊していた
可能性が高いことがわかった。
これら一連の事実から私は兄の現実認知能力がかなり
落ちていると判断した。
放置すると再び繰り返す可能性が高い。



大田区の福祉職員、兄が通う豊島区の生活トレーニング施設と
相談して入院を決め、昨日、新たな病院へ送り込んできた。
しばらく落ち着いていた兄が新たなステージへ進んだことになる。
しかし、改善可能性もないわけではない。
新たな環境で専門医師・スタッフの診断を待っている。
最低ひと月はかかるだろう。




2014年9月23日火曜日

いつも音楽と共に生きてきた(The Rolling Stones) 2014.9.23

 優佳良織(ペンケース)





Beatles と共に一時代を築いた R.Stones。
今もなお現役グループを続けており、Beatles が短命だっただけに
その長さは驚異的である。




小学校の時から Beatles を聴きながら R.Stones もそれなりに
フォローしながら育った。
彼らはいきなりスターダムにのし上がったのではなく、はじめは
あまりパッとしないグループだった。
Beatles から曲を提供されたこともあったくらいだ。
(I Want To Be Your Man)




大ブレイクしたのは Satisfaction から。
以後、立て続けにヒット曲を送り出し確固たる地位を築いた。
私が小学校5-6年の頃と記憶している。
フォローしていたのは Honky Tonk Women あたりまで。
その後の曲はさっぱりわからない。



昨日、Time Is On My Side を聴きたくなって iTunes から
アルバムごとダウンロードした。
1964 ~ 1971年という、最も勢いのあった時代の作品だ。
あらためて彼らの曲を聴いてみると、当時とは聞こえ方が
違っている。
当時感じていたよりはるかに”いい”のである。




R.Stones は黒人音楽寄りと言われていたから
Gospel に親しむようになったことも関係している気もする。
私の耳が肥えたのかもしれない、とも思いたくなるが
それは思い上がりだと思う。
高かったクオリティがこの歳になってようやくわかるようになった、
というのが正しいだろう。




◆新たに入手した音源◆


Time Is On My Side
Heart of Stone
Play With Fire
(I Can't Get No) Satisfaction
As Tears Go By
Get Off of My Cloud
Mother's Little Helper
19th Nervous Breakdown
Paint It Black
Under My Thumb
Ruby Tuesday
Let's Spend the Night Together

Jumpin' Jack Flash
Street Fighting Man
Sympathy for the Devil
Honky Tonk Women
Gimme Shelter
Midnight Rambler (Live)
You Can't Always Get What You Want
Brown Sugar
Wild Horses



両親    2014.9.23

小田急サザンタワー    アーバンルームからの眺望





お彼岸である。
両親が眠る鎌倉霊園には行けないが心の中で手を合わせている。



父・昇二は大正3年生まれ。
出身は千葉県安房郡鋸南町保田。
男4人兄弟の長男で家を継がず故郷を出た。
兄にあたる昇一氏がいたが早くに亡くなったらしい。
実家は米を中心とした万屋(よろずや)で屋号を末広屋という。
現在は叔母(四男の嫁)が細々と店をやっているはず。



母・とき代は大正14年生まれ。
出身は品川区東大井。
男、女、男の3人兄弟。
実家は「魚六」という魚屋を営んでいた。
店はとうの昔にたたんだが、叔母が家を守っている。




父母は戦後、誰かの仲介で見合いをし結婚した。
昭和26年に兄、昭和30年に私をもうけた。
兄の前に死産(女の子)を経験している。
長女が健康に生まれていたら私はこの世に存在しなかった
可能性が高い。




父は日本鋼管(現JFE)に勤務し、55歳で定年退職した後も
別の会社で65歳まで働いた。
酒・たばこ・ギャンブルをやらない典型的な真面目人間であった。
我々子供にはとても厳しく、頑固な人だった。
私の真面目さ、頑(かたく)なさは父から受け継いだものである。




母はひたすら優しかった。
反面、ストレスを頂点まで貯めると激しく爆発させるという
感情の起伏が大きい人でもあった。
夫婦ケンカすると泣きながら蒲田の家を出ていった。
大井町の実家へ行って御祖母さんと会って、落ち着くと
戻ってくるのがいつものパターンであった。
喜怒哀楽が激しい私の気質は母から来ている。




父母はとても質素な暮らしを信条としていた。
両親に限らず昔の日本人は平均的に貧乏だったから、モノを
大切にし贅沢はしなかった(できなかった)と思う。
高度成長のおこぼれに預かり、家に家電製品が増えていく喜びは
味わえたと思う。




育ててくれたことに感謝し、一日一日を大切に生きていくつもりだ。


2014年9月22日月曜日

3年6組 クラス会    2014.9.22






爽やかな秋晴れを迎えた。
飛び石連休の谷間(○○×○)になる今日は代休を申請して
四連休にした。




昨日は二年ぶりのクラス会に参加した。
1974年卒 九段高校3年6組クラス会である。
会場は二年前と同じホテルセンチュリー サザンタワー。
ここは大平雅幸氏が総支配人を務めている。
外国人観光客にも人気の高い高級ホテルである。




今回のヒットは大阪・箕面市から来てくれた真砂氏と
ロンドン勤務から戻った臼田氏である。
真砂氏は間違いなく高校卒業以来の再会になる。
地味なキャラクターをそのまま維持しながら、関西学院高校教員と
しての貫録と落ち着きを感じた。

臼田氏はギターの名手だが、近々に Gospel クワイヤに
加わるそうだ。
曰く「楽器は人の歌声にはかなわない」。 



私も近況を報告し、度胸試しに歌を1曲披露した。
(I Really Love The Lord)
臼田の他に西田氏(旧姓)もクワイヤで歌いたいという申し出があった。
酔いが覚めてもその気があるかどうかは確認の必要がある。






二次会はホテルラウンジ、三次会はカラオケ。
最後は校歌を斉唱して解散した。
二次会、三次会まで残ることができたのも今日を休みにしたから。
好都合な日程設定であった。




◆参加者◆


足助先生

鈴木(大)、木全、有賀(旧姓)、土屋、佐藤(昌)、田中(信:旧姓)
柴田、田中(幸)、田中(裕)、関戸、大堀、田島、西田(旧姓)
真砂、臼田、大平、篠原(旧姓)、川崎








2014年9月21日日曜日

全体練習    2014.9.21

あずさ   新宿駅




ひんやりとした秋らしい朝を迎えた。
そろそろアイスコーヒーからホットへ替える時期である。



昨日午後、延々5時間にわたって全体練習(歌)を行った。
こんなに長い練習は記憶にない。
3時間がクリスマスコンサート向けの練習で、2時間が
Jazz in 府中に備えた練習である。
片方だけ参加する人は途中で帰ったり、4時前に入室してきたりする。
私は両方に参加するから5時間組になった。



テノール音域が私の音域と合っていたので、腹の底から
声を出せてとてもすっきりした。
喉の調子が良かったのかもしれない。
途中、適度に休憩も入るが歌う時は当然立って歌うので
それも合わせるとかなりの運動量になる。



何よりも歌うときは集中しているから日常生活から隔絶した
無の境地に入っている。
この ON - OFFが心地よい。


歌を始めて本当に良かった。




 

2014年9月20日土曜日

Mull of Kintyre 2014.9.20

代々木駅前   撮影:9月7日





SCOTLAND が英国からの独立可否を問う住民投票には関心があった。
英国ほどの安定した先進国においても、地域独立のニーズが
高いことへの驚きがあったからだ。
日本ではまずありえないことだ。




英国が地域によって文化が異なることを実感したのは
Paul McCartney (& Wings)の Mull of Kintyre という曲を聴いてから。
かなり労力をかけて、たくさんのバグパイプ奏者を集めたという。
風情のある曲で私の好きな曲のひとつだ。
















2014年9月18日木曜日

風立ちぬ    2014.9.18

渋谷の賑わい   撮影:9月7日




会社からの帰り。
最寄駅(あざみ野)でバス待ちで並んでいる時に
軽く肌寒さを感じた。
これが秋の訪れである。



秋の訪れを感じると松田聖子の歌う「風立ちぬ」に結びつく。
作詞:松本隆、作曲:大瀧詠一による名曲である。
このことは去年も一昨年も、もっと前にも書いているはず。
来年も再来年も書くことだろう。



思えば毎年秋になるとこの歌を思い出し、大瀧詠一の消息に
思いをはせるのが常だった。
今年の秋、大瀧詠一はもういない。
そこが今までとは違う。

この歌を歌っていた時代の松田聖子はとても魅力的である。





2014年9月15日月曜日

ファイル復元ソフトに救われる    2014.9.15

9月13日




朝晩、ぐっと涼しくなった。
秋の恒例イベントが終わると夏が終わる。
毎年のことである。



昨日、イベントの様子を写した写真がデスクトップのフォルダから
跡形もなくすべて消えていることを発見した。
誤操作で削除してしまったのだ。
少し慌てたが、私にはファイル復元ソフトという強い味方がある。



上下の写真は復元ソフトで復活させたものの一部である。
252枚の貴重な写真データを失わずに済んだ。
復元ソフトを買っておいて良かった。
救われたのはこれで二度目である。



パソコンを日常的に使い、データを記録している人には
ファイル復元ソフトの購入を強くお薦めする。
amazonn で探せばたくさんある。
数千円で購入可能だ。




2014年9月14日日曜日

引退後のシミュレーション   2014.9.14






今日は日曜日なのだが、朝からずっと土曜日の感覚が
つきまとって離れない。
昨日(土曜日)、取引先イベントで出勤したせいだ。
休みの初日は土曜日、と頭が思い込んでいるのだ。




来年で仕事から引退することを決めたのは7月末。
以来、そのための準備(シミュレーション)を少しづつ始めてきた。



地域のラジオ体操への参加。これが第一の矢。
現役のうちは土日だけ、と思って始めたが毎朝参加している。
このまま続けていくつもりだ。
開脚屈伸が苦もなくできるようになった。
規則正しい生活リズムと健康維持がラジオ体操の目的である。



ベターホームの料理教室へ11月から通う。これが第二の矢。
私が通勤しなくなることで家内の食事の手間が増えることは
家内のストレスに直結する。
お互いの精神衛生上、これは好ましくない。
私も自分の分を自力で作れるようになればそのリスクは減る。




そして今週、第三の矢の弓を引いた。
自宅から近い溝の口で活動する Gospelクアイヤに入会したのだ。
このクアイヤの存在は以前から知っていて、時たまWebページを
見てフォローしていた。

メールを送って入会希望であることを伝えたのが一週間前。
「練習風景を見学に来ませんか」とリターンが入ったのが火曜日。
翌日の水曜日、さっそく練習場へ行き、加入を決めてきた。
活動は毎週水曜日の夜。
代々木のレッスン(月二回)は今のまま継続する。
これで月に6日は通う場所ができたことになる。




アベノミクスは三本の矢だが、私の引退後の生活は
三本とは限らない。
当初から考えていた三本の布石を打っただけに過ぎない。
時間とお金のバランスもあるし、ガチャガチャと忙しい生活は
送りたくないからまずはここまで、と思っている。



気の向くまま、心の赴くままに暮らしたい。
あてのない旅もしてみたい。
夏季は札幌で暮らし、残りを横浜で暮らすという選択肢もある。
まだ時間があるから、ゆっくりと考えながらベストなスタイルを
作り上げていこうと思う。



2014年9月11日木曜日

取引先イベント  2014.9.11






金曜日、土曜日は6月から準備をしてきた取引先イベントを迎える。
私にとっては仕事における「発表の場」である。
習い事に発表の場があるように。
やるべきことはやってきたから、今は心静かに
金曜日を楽しみに待つ心境だ。




自社商品・サービスをアピールして取引先に数多く販売して
もらうのがイベント出展の目的である。
そのために知恵を絞り、準備に労力をさく。



成果のカギを握るのは企画力である。
製品製作における「設計」にあたる。
何を、どのようにアピールするか。
社内外にアンテナを張り、どんな商品・サービスがあるかを
把握しておく必要がある。



商品・サービス群を頭に入れたら、それらが本当に取引先で売れる
可能性を持つかをわが心に問いかける。
ここはまず、勘と経験に頼る。
さまざまな人とディスカスするプロセスも必要だ。
自分の持つ情報と経験からくる”引き出し”だけで速断するのは
間違いのもとである。



出展する商品・サービスを決めたら、商品担当区へ出展イメージを
ぶつけてディスカスする。
このプロセスを疎(おろそ)かにすると、イメージとかけ離れた
冴えのない出展になってしまう。
過去何度も失敗してきたから身に染みている。



商品担当区の出展品質とどこまで妥協し、どこまで要求するかも
自分次第である。
最高品質を求めて行けるところまでは行くように心がけている。



さて、その結果はいかに。
近い将来の結果で判定できるからこれがまた楽しいのだ。



こんな楽しい仕事も今回を含めてあと二回。
悔いのない仕事にしたい。
いや、必ずそうしてみせる。



2014年9月9日火曜日

中秋の名月 + 1       2014.9.9






午後から天候が回復した。
今夜は月がとても美しい。
昨日が中秋の名月だから今夜の月はプラス1である。



昔の風流人は月を眺めながら酒を酌み交わしたという。
私も神立園の屋上で満月を眺めながら風流人を気取ってみたい。
彼なら花鳥風月の趣(おもむき)を共にできると思う。



共に尊敬する亡き大瀧詠一も花鳥風月を詠(うた)った。

弥生の空に桜がさいたので、皆で笑って見に行こう (春)
引っ越し間際の赤坂のアパートから月を眺める(秋)



自然と共に生きている感覚をもっと大切にしなければ。
月を眺めるとつくづくそう思う。









2014年9月7日日曜日

ベターホームの料理教室   2014.9.7






秋雨前線が日本列島に停滞し、朝から雨模様。



雨さえ降っていなければ熊野神社(蓮沼:現 大田区西蒲田)の
お祭りを撮影に行くつもりだった。
荻野氏から撮影を勧められていたのだ。
久しぶりに氏と会えるのを楽しみにしていたが先にお預けだ。



予定が空いていればの話だが、10月のお会式(池上本門寺)に
出かけてみようと思う。
どうせ蒲田へ行くなら三好さんにも連絡して、来年の還暦同窓会の
打ち合わせもおこないたい。



11月から月1でベターホームの料理教室へ通うことを決めた。
教室名称は「お料理はじめての会」。
男性だけのクラスだ。
半年分の受講料を払い込んだ。

<実習内容>

11月  グラタン、スープ、サラダ
12月   さば味噌煮、きのこ汁
1月  牛肉オイスター炒め、にんじん中華あえ、ゼリー
2月  豚肉生姜焼き、わかめの味噌汁、かぼちゃサラダ
3月  オムハヤジ、だいこんサラダ
4月  鶏肉竜田揚げ、ひじき煮物、菜飯




これだけマスターできれば、そこそこ実用的だと思う。
5月以降10月までの半年はマーボ豆腐、スパゲッティ、炊き込みご飯、
ハンバーグ、肉じゃがなど。



家内は「習うだけじゃダメで実践あるのみ」とプレッシャーを
かけてくる。
そんなもん、言われなくてもわかっている。
Gospel 仲間の女性陣からは「上手になったら食べてあげるからね」と
からかわれている。
かならず上手になって彼女たちの鼻をあかせてやるつもりだ。



2014年9月6日土曜日

リベンジ安倍政権 Part2     2014.9.6

札幌市厚別区    撮影:8月17日 朝




内閣改造が終わり第二次安倍政権が発足した。
正確に言えば、一度は短期間で挫折した旧・安倍政権の
リベンジ Part2である。



誰が知恵袋だったかは知らないが、リベンジPart1は
大成功と言ってよいだろう。
黒田日銀総裁とタッグを組み「異次元の金融緩和」で円安へ誘導。
企業が高水準の利益を出せるようになり、それを原資に賃金上昇、
そして人々の消費を上向かせ景気上昇を演出しつつある。
素人の集まりだった民主党政権ではけっしてできなかった
円安・株高を実現できた功績は大きい。



リベンジ安倍政権 Part2の最重要テーマはいうまでもなく
真の「アベノミクス成功」である。
日本が再び力強い経済成長軌道へと誘導できるかで
この政権の寿命が決まる。



法人税率の引き下げによる外資の進出 → 雇用の創出 →
消費の向上 → 景気上昇を狙ってくるだろう。
人口減少対策にも着手するし、財政バランス健全化も
国の根幹に関わる重要な課題だ。
まもなく北朝鮮から拉致被害者情報が開示され
国民が明るく沸き立つ予感もある。




こうして考えると国内の政治・経済はそこそこ明るい。
世界の政情改善までは力及ばずとも、日本発の恐慌を
出さないでもらいたい。
そのためには財政バランス健全化がとても重要だと思っている。
膨れ上がった財政赤字(借金)は、最後には国民が税という形で
負担しなければならない。
景気浮上による法人税収増で消せる部分もあるだろうが
まずは節度ある税金の使い方を実行してもらいたい。
お題目でなく。


2014年9月5日金曜日

月初一週間   2014.9.5

今朝の空(汐留)




月初の一週間を終えた。



8月で締めた販促策の数字集計、起案、社内関係区への
発信までを今週の目標にしていた。
来週は大切なイベントがあるから何としてでも今週中に
片付けなければならない。
最前線(販売現場)に迷惑をかける訳にはいかない。



昨日、現場が作業できるようにするためのブレイクダウンが
うまくいかなかった。
一晩明けて、今日、朝から集中力を高めて丁寧に作業を進めた。
途中、数字が合わないため元データを確認したり、計算式を
チェックしたり危ない局面もあったが、午後早々に
数字がピタッと合った。
数字さえ合えば、できたも同然である。



精神と脳みそが疲労しているのがわかったので
2時にアイスクリームとアイスミルクで休憩をとった。
デスクへ戻って、最後の仕上げ工程を難なく済ませ
社内関係区への発信も4時すぎに完了。



自身もスイスイできない作業であるにもかかわらず
近い将来、後任者へ引き継ぐ局面を迎える。
イベントを終えたら、先々困らないよう今回の集計作業工程を
マニュアル化するつもりだ。



2014年9月2日火曜日

ラジオ体操   2014.9.2






写真はマンションに隣接する公園である。
今朝は久しぶりに気持ちよく晴れあがった。



ここでは毎朝、近所の住人が自主的に集まって
ラジオ体操を行っている。
私より少し先輩と思われる女性がラジカセを持ってきて
6時半少し前からNHKラジオを流す。
6時半には20名ほどの人数になり、ラジカセを囲んで
大きな輪になって体操を行う。



私も現役のうちは土日だけ参加しようと思っていたが
昨日(月曜)、今日(火曜)と続けて参加した。
涼しくなったこともある。

朝から身体を動かすことはとても爽快だ。
ラジオ体操第一、第二でちょうど10分間。
手足をきちんと伸ばして正しく体操すると、けっこうな
運動になる。
終わると小汗をかいている。



習慣化するかもしれない。