2014年5月4日日曜日

カンダチ氏との出会い    2014.5.4





筆者が大田区立御園中学から都立九段高校に入学したのは
昭和46年(1971年)の春である。




当時の東京都高等学校学校群制度で大田区は
第一学区にカテゴライズされていた。
千代田区、港区、品川区、大田区で第一学区を形成した。
そのなかで日比谷、九段、三田の三校を11群と称した。
11群に受験し合格すると、合格者は三校に振り分けられる。
どこの高校に行くことになるかは運任せである。




第一学区にはほかに12群、13群、14群、15群、91群があり
内申書の成績と入試得点の組み合わせで合否判定が行われた。


12群 赤坂 城南 八潮
13群 大崎 南 雪谷
14群 小山台 田園調布
15群 大森 羽田
91群 一橋 忍岡 竹台


当時の担任・上田先生(故)の薦めもあり、私は11群を受験するのが
規定路線のような雰囲気があった。
私自身も都心の学校へ通学したい気持ちが強く、九段に
通うようになって満足した。




クラスは一年四組に所属した。
担任はイケメンの大貫先生(故)。
専門は体育、かつサッカー部の顧問でもあり惚れ惚れするくらい男前
だったので、女子生徒たちは黙ってはいなかった。




四組は名前のあいうえお順で席順を決めたので、
私の真後ろがカンダチ氏だった。
(現 煎茶販売業経営、兼 コメンテイター 足立の育爺)
休み時間になると後ろを振り向いては、何かと会話をしていた。
大田区とは別地区から通う氏が何者かを懸命に知ろうと
していたのだろう。




そんなカンダチ氏と途中、途切れはしたものの今日まで
交際が続くとは当時は思いもしなかった。
座席が前後に並んだ縁、そもそも名前の読みが近かった縁である。