工事進行中の東急池上駅(池上線:大田区池上) 撮影:5月24日
急激に、かつ広い範囲で失われた日常が少しづつではあるが戻ってきた。 緊急事態宣言が解除され、通勤バスの乗客数がかつての3割~4割まで戻った。 2割まで落ちていた時期に比べたら増えている。 このままで留まるのか、来週からさらに急増するのかはわからない。
さて、ぶらり多摩川ウォーキング 最終回。 下丸子・暁庵で飲み食いした二人が向かった最終目的地は池上である。 二人とも疲労でこれ以上歩く気力・体力がなく、下丸子から東急電車で池上に向かった。
池上はかつて筆者が6年間、生活の拠点を置いた場所だ。 札幌勤務を終え東京に戻されて、両親の住む新蒲田に近い賃貸住宅を探して池上に決めた。 長男は日赤病院で生を受けてここで育ち、幼稚園生活のほとんどもこの地だ。 長女も赤ん坊時代をここで送った。 今となっては遠い昔の思い出だ。
シオイ氏は大田区立徳持小学校、蓮沼中学校を経て都立田園調布高校(14群)へ進学した。 池上は彼にとって、かつて実家のあった地、生まれ育った地である。 大学進学で浪人して、卒業後、R社へ入社したから年齢は私より1年上になる。 R社での私と氏の接点は唯一、山中湖での新入社員研修だけである。 数年して彼は実家の家業を継ぐためR社を退社した。 その後、年賀状だけはお互い欠かさず交換していた。
一度だけ、私が池上に住んでいる時、商店街でシオイ氏にばったり出くわしたことがある。 すでに彼は横浜市港北区を生活の場にしていたが、たまたま気分転換に池上を訪れた時のことだ。 駅前の「パーラー榎本」でお茶をしたことを覚えている。 単なる偶然なのだが、今となってみると細い縁に手繰り寄せられた邂逅だったように思える。
昨年、年賀状だけの付き合いを脱して武蔵小杉、自由が丘でウエハラ氏交えて飲み食いし、ついには東伊豆へ合宿旅行へ出かけた。 ひとつ、ブレークした感がある。 これからの人生、折に触れ、彼と仲間と楽しい時間を共有できればありがたいと思っている。
ウォーキング、お疲れさまでした。
東急蒲田駅
|