生田緑地 枡形山展望台からの眺望 撮影:5月30日 生田緑地を訪れると必ず立ち寄る場所がある。 「枡形山(ますがたやま)展望台」だ。 ここの見晴らしはいつ来ても素晴らしい。 空気が澄んでいれば大山山系、富士山まで望むことができる。 写真は東京北西部方向の眺望である。 川崎市教育委員会のホームページに枡形山に関する記述がある。 編集引用する。 以下 枡形山は天然の要害をなした山城として、鎌倉時代から戦国時代の武将たちの目にとまるところとなり、たびたび利用されてきたものと考えられます。 古くは、源頼朝が鎌倉に幕府を開いた頃、稲毛三郎重成がここ枡形山を城としたと、江戸時代に書かれた『新編武蔵風土記稿』は伝えています。 稲毛三郎重成は北条政子の妹を妻に迎え、源頼朝の重臣として活躍した人物です。 その後、室町時代の永正元年(1504)には、山内上杉氏の討伐を狙っていた北条早雲が軍勢を進めて枡形城に入りました。 そして、扇谷上杉朝良を助けて、山内上杉顕定の軍と多摩川の河原で戦い、激戦の末、山内上杉軍を破ったと『宗長手記』や『松蔭私語』では記しています。 また、先の『新編武蔵風土記稿』では、戦国時代の永禄12年(1569)、甲斐(かい)の武将・武田信玄が小田原へ出兵してきた時、この土地の豪族であった横山式部少輔弘成は、枡形山に土塁を築いて後北条氏のために守りを固めたと伝えています。 昔から、見晴らしの良い場所は戦いの要塞として権力者たちに利用されてきた。 高い場所から下界を見下ろすこと自体が権力の象徴だったのだと思う。 今でも山の手・下町というように、高台は富める者が占有する場所である。 枡形山展望台に上ると、昔、権力者の胸に去来した思いを感じることができる。 皆さんも機会あれば、ぜひ訪れてみてください。 |
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