2016年6月18日土曜日

誰のなかにもある”舛添的”なるもの  2016.6.18

堂ヶ島





昨日に引き続き今日も暑くなるようだ。
真夏日(30℃超え)の予報が出ている。
朝から日差しがまぶしい。



東京都知事が辞任するまでマスコミは執拗に公私混同疑惑を報道した。
わかりやすい話なので高い視聴率が取れ、やめられない止まらない状況だったとあるディレクターは語っている。
また、定例記者会見で知事が露出する回数・時間が多く、テレビ局にとっておいしいコンテンツだった、とも語っている。
普通、疑惑の人はあまりメディアに露出しない、と。



新たな疑惑の報道 → 知事の答弁 → 国民の憤り が繰り返され沸騰していった。
知事の答弁は常識で考えれば”怪しさ100%”で、火に油を注ぐ結果になった。

正月の家族旅行では同時に会議を行った・・・ 
正月から重要な会議 ? 2年続けて ?



今回、国民が怒ったのは知事の贅沢外遊、公用車での別荘通い、家族旅行を会議費で処理などなどの行為が腹立たしかったからだ。
一方で、そうしたズルさ、がめつさは人間の性(さが)であることも否定できない。
残念ながら誰のなかにも存在するものだ。
人間とは高貴なる心と卑しい心が同居しており、卑しい心を制御しながら生きている存在である。



知事の行為を知らされるたびに、自分の心にも宿る卑しさ・浅ましさをあからさまに見せられて嫌なのである。
だから人々は今回の騒動に強く反応した。
私はそう分析している。
誰の心にも舛添的なるものは宿っている。