緑に囲まれて(近所)
モハメッド・アリ(カシアス・クレイ)は小・中・高時代の思い出につながっている。
小学校高学年の頃、クラスメイトからカシアス・クレイというめっぽう強いヘビー級チャンピオンがいることを知らされた。
クラスメイトはマンキンというニックネームの、運動神経に優れる男だった。
クラスメイトはマンキンというニックネームの、運動神経に優れる男だった。
残念なことにベトナム戦争徴兵拒否で彼はボクサー資格をはく奪され、私がそのファイトを観ることはできなかった。
ただ強いらしいということだけは私の頭にしっかりとインプットされた。
その後、無罪になった彼のカムバックファイトを観たのが中学3年の時である。
ジェリー・クオーリー、オスカー・ボナベナを破りチャンピオンへの挑戦権を得た。
しかし、3年のブランクと体重が増えたせいだろう、「蝶のように舞い蜂のように刺す」姿とはほど遠い印象があった。
しかし、3年のブランクと体重が増えたせいだろう、「蝶のように舞い蜂のように刺す」姿とはほど遠い印象があった。
あの頃、オオキ氏もボクシングが好きで、よく情報交換したものだ。
1971年3月8日がタイトル挑戦の日である。
中学卒業まじかだ。
当時のチャンピオンはジョー・フレイザー。
彼はとても強かった。
前へがんがん出ながら強烈なパンチを出すファイターだ。
アリが戦ってくれるのは喜ばしいことだったが、内心では勝ち目は薄いと思っていた。
結果はダウンありの判定負けだった。
驚かされたのはジョージ・フォアマンをKOしたタイトル戦である。
この試合を私は秋葉原の電器店で観ている。
いかなる用事でそこに居たのかは覚えていない。
フォアマンはジョー・フレイザーをあっさりKOしてチャンピオンになった男である。(私が高2のとき)
そのフォアマンに勝てるとは露ほども思わなかった。
さすがはカリスマだと強く感動した。
私は大学1年になっていた。
私は大学1年になっていた。
その後、アトランタオリンピックで聖火台に火をともす姿を見た。
パーキンソン病のせいで全身がぶるぶる震える姿にショックを受けた。
最近の動静はほとんど知らない。
時代も変わりボクシングの人気も落ちた。
アリの生涯は波乱万丈ではあったが、ファンを楽しませてくれる素晴らしいボクサーだった。
享年74。
安らかなれ。