2008年3月31日月曜日

人生は動く  2008.3.31



今期の最終日を迎えた今日。
顧客のなかで今日付けで退職される方が二名おられるので
そのお二人にご挨拶することを今日の最優先行動にした。
朝からあいにくの雨模様ではあったが営業車を走らせ辻堂、
平塚、町田の4顧客を訪問して回った。
かなりの強行軍ではあったが、予想以上に道路が空いていて
予定通りの行程をこなすことができた。




夕方、帰社してしばらくすると期末の全体夕礼が始まった。
異動者の挨拶が行なわれる場だ。
私は予め用意した短めのスピーチを話した。

①四年前に赴任。現セクションの成長とともに四年間を過ごしてきたこと。
②メンバーとの別れはとても寂しいこと。
③残る人々に対して、伝統を継承しながら新しい組織を創造して欲しいこと。

1分もかからない位の短い話を乱れる事もなく終えた。
営業車で移動している時から不安だったから、ほっとした。
部下の前では取り乱さず、毅然とした姿を見せていたい。



昨日、長女が就職する会社の新入社員研修で出かけた。
二泊三日の泊まり研修である。
彼女も新しいスタートを切ったのだ。

私も明日は新職場の朝礼に出て、着任の挨拶を行なう。
まだ引継ぎが残っているので、今週いっぱいと来週前半は横浜の
事務所に出入りするが、とりあえず今日が区切りとなる。



人生が動いていることを感じている。

2008年3月30日日曜日

さらば みなとみらい  2008.3.30



今日は3月30日の日曜日。

パリの朝で・・・。
このフレーズで新谷のり子の「フランシーヌの場合」を
連想する人は筆者と同世代の人である。知らない人は若い読者である。
あの唄がヒットしてから40年が経過する。



一昨日の3月28日。
横浜・中華街そばのイタリアンレストランにて、現職場の幹部による
送別会を催して頂いた。横浜から出て行くのは私を含めて二名である。
トップや同僚からの送る言葉(スピーチ)、歓談のあと予定通りお別れの
挨拶をする順番を迎えた。


おおよそ事前に用意していた内容で話し始めた。
四年前に赴任し、新たに集められたメンバーと共に新たな市場を開拓
してきた思い出。
気持を込めて仕事に取り組んできたこと、などなどを話した。
ここまでは良かった。


次の職場について触れ始めてから、こみ上げるものを押さえることが
できなくなった。
もう、今のように燃えた気持で取り組むことができないかもしれない・・・

結局、涙まじりのスピーチになってしまった。
終わった後、同僚から「心に残るスピーチだったよ」と言われはしたが、
かなり恥ずかしい気持が残った。


明日(3/31)全体夕礼で再び全員に話をするが、今度は取り乱さないように
するつもりだ。
長く話すとどうしてもこみ上げてくる。
極力短く簡単に、さらっと終わりたい。






2008年3月27日木曜日

新横浜    2008.3.27




12時過ぎにJR横浜線で移動していた。


昨日、オープンした新横浜駅ビル CUBICPLAZA(キュービックプラザ)で
昼食をとろうと思い、新横浜で下車して訪ねてみた。


さすがに昨日オープンしたばかりで、物見高い人であふれていた。
あまりの人出に恐れをなし、今日のところは食事するのはやめた。


また一つ、新しいスポットができた。
首都圏の発展を見るとうれしくなる。



2008年3月26日水曜日

月末・期末   2008.3.26




月末であり期末である。
だが4月1日付けの異動が決まり、いつもとはかなり調子の違う
月末・期末となった。



気持がフワフワして集中力が明らかに落ちている。
どうしても次の職場のこと、4月からのことが気にかかるのである。
内なる声が「最後まできちんとやろう」とささやくこともしばしばだ。



一昨日は後任のマネージャーと、昨日は直属上司と飲みに出た。
二日続けて外で飲むのも私には珍しいことである。
おかげで今日の午後は強い眠気に襲われた。



そんななかでも引継ぎ事項は少しずつ整理している。
あとが困らないように、顧客に迷惑をかけないように配慮しなければならない。
私のしてきた仕事は個人に属するものではなく、組織に属するものである。



着任して四年。
課題は多々あるものの一応の成果を残して次に託すことができたのは
幸せだった。
大切な情報や人脈を正確に受け渡して、静かに去ることが今の私の
仕事である。

2008年3月24日月曜日

浅草へ  追伸    2008.3.24




昨日、書き忘れたことがある。




日の出桟橋 → 浅草のルートは一昨年の初秋に御園の代表幹事である
オギノさん、シンクンことタカハシさん、ヤマムラさんの三人で探訪したルート
そのものであります。



おかげ様で親戚を案内する引き出しを持つことができました。
この場を借りてお礼申し上げます。

2008年3月23日日曜日

浅草へ    2008.3.23

            日の出桟橋から臨む



札幌の親戚も今週末に帰る。
旅の土産に東京見物でもと思い、日の出桟橋から水上バスで浅草へ
向かった。


かなり春めいてきて暖かく過ごしやすい午後だった。
水上バスでも浅草でも海外からの旅行客であふれていた。























2008年3月20日木曜日

万年筆   2008.3.20

             横須賀美術館



万年筆集めに凝った時期があった。
中学一年の頃である。


進学祝で両親からプレゼントしてもらったプラチナ万年筆の14金が
きっかけである。価格は千円くらいだっただろうか。
当時は学生服の胸ポケットに万年筆をさす男子学生が多かった。
万年筆を持ったことで中学生になった実感があった。


その頃、大橋巨泉のテレビコマーシャルが話題になっていた。
パイロット万年筆の18金ものの宣伝だ。
18金と14金とはどのくらい書き味が違うのだろうとどうしても知りたくて
小遣いを貯めて買った。
言うほどの違いはないことがわかったが、1ランク上の商品を持つ喜びを
覚えてしまった。
以降、パーカーやセーラー、モンブラン、はては中国製のものまで次々に
集めた。
こうなると筆記具としての機能はどうでもよくなり、ただ所有したいという
願望を満たすためだけの収集へと転じていた。
買い集めた万年筆群を眺めている時が至福の時だった。



当時の自分としてはかなりの投資をして集めた万年筆ではあったが、
いつしか収集熱も醒め私の関心は違うものへと移っていった。
あの時買い集めたペンは今では一本も残っていない。



時は流れて昨年のこと。
打ち合わせをしていたら、相手が万年筆を持っていた。
彼が書く万年筆の文字が私にはとても美しく、粋に見えた。
それ以来、再び万年筆を持ちたいと思うようになった。
かつてのように是が非でもという情熱はないから、わざわざ買いに
出ることはしなかったが、今日たまたま購入するチャンスが来た。
そして買った。


パイロット万年筆の18金、太字仕様である。
4月の転勤後は新たな仕事だから、メモもたくさん取る必要があるはずだ。
今日買ったばかりの万年筆をフル活用しよう。
中学一年生の時のように再び万年筆と共に、新たなスタートをきるつもりでいる。



追伸



最近、姿を見せないノムラくんを意外なサイトで発見!


2008年3月18日火曜日

異動発令    2008.3.18

太田記念美術館



子会社への転籍について書いたのは最近のことである。
(2月18日付投稿  タイトル:勤続30年)



ところが昨夕、自分では予想もしなかった人事異動が発令され、
もう戻ることはないと思っていた親会社への異動が決まったことを
知るところとなった。
現職務に愛着を感じ日々情熱を傾けていたが、離れなければならなくなった。



今回の異動はメリットも当然あるが、かなり残念で辛い。

現職務での顧客との付き合いが切れる。
部下セールスとの切磋琢磨が切れる。
上司とも切れる。



「冷静になれ」とささやく自分もいる。
異動発令後に何を言っても無駄であることは明らかである。
新しい所属に適応し、期待されるミッションを果たすことを考えるのが
務めである。
こんな異動に伴う悲喜こもごもは、あちらこちらの企業にいくらでもある
ことである。企業従業員にはつきもののイベントだ。



私だけではないんだ、と何度も何度も心の中で自分に言い聞かせて
今日一日が過ぎていった。
いちばん仲良くなった顧客にメールを書いている時、突然こみあげるものを
感じ、席を離れて独りになった。

2008年3月16日日曜日

河口湖   2008.3.16

              ↑ マウスで一回クリック。拡大表示になります。


15日(土)に熱川から河口湖へ移動。
この日は曇りで富士山はお預け。

今朝(16日)は夜が明けてから徐々に雲が流れて、ホテルから
雄大な富士を拝むことができた。


素晴らしい景色は心の栄養になる。

             5:32

6:10



6:22


7:07


7:23

熱川温泉郷    2008.3.16

2008.3.15




北海道から親戚が来た。
土産話にしてもらおうと、伊豆・熱川と河口湖へ二泊三日の旅に出た。

3月14日(金)に出発して熱川温泉に一泊。
あいにくの風雨に見舞われた初日だったが、翌15日は快晴になり
美しい景色を堪能できた。


伊豆は素晴らしい。
これからも機会をみつけて行きたい場所がたくさんある。









2008年3月13日木曜日

待望の製品 SONYから   2008.3.13






SONY がついにやってくれた。

その製品の名は PS-LX300USB。発売は4月15日。




アナログレコードからデジタルメディア(CD-R/CD-RW)へコンバート

できるプレーヤーだ。

わが家には聴きたいけど聴けないレコード盤が数多く存在している。

読者の皆さんにも共通した悩みだと思う。

これでようやく次世代へあの貴重な音源を引き継ぐことができる。

長らく聴くことができなかった曲をパソコンや iPod で聴きまくることができる。



これこそ私が待望したモノだ。

さすがは SONY 。素晴らしいと言うしかない。

私は必ず買う。皆さんにもお薦めします。



川村ゆうこの「風になりたい」がなつかしい、とメールをくれたアキヤマさん。

お便りありがとう。

SONY のおかげで彼女のシングル盤を再生できるようになりましたよ。


2008年3月11日火曜日

諸行無常  2008.3.11




いつの頃からか頭頂部から後頭部にかけての毛髪が薄くなった。
最近、ますます拍車がかかっている。



家族に数年前から「薄い」とか「ハゲ」と言われてはいたが、
鏡を見ても正面からはわからないので、脱毛を自覚した時期は比較的
最近のことである。
洗面所の鏡の前で合わせ鏡を当てた時に我が目を疑った。
ぎょっとしたというのが本当のところだ。
かなり来ているではないか!


それ以来、けっこう気にするようになった。
髪の薄い男性を見るにつけ、自分と比較することも多い。
リーブ21とかアデランスのテレビCMを見るにつけ、効果のほどは
どうなんだろうかと考えたりする。



同じマンションの住人に、年齢は私と同じくらいの男性がいて、
朝のバス停で同じバスを待つことがある。
その男性は明らかにカツラを着用している。
以前はカツラをかぶる人の気持が理解できなかったが、最近は
よくわかる。
とはいえ、私はかぶるつもりはない。
脱毛がもっと進行した時点で、全体を短く剃りあげようと思っている。



若い頃は硬くて量が多く、整髪に困ったものだ。
針金、とかワイヤーとか言われた実績がある。
その私が薄くなっているのだ。時の変遷を感じざるを得ない。



祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す
驕れる者久しからず ただ春の夜の夢のごとし
猛き人も遂には滅びぬ  偏に風の前の塵に同じ
<平家物語>

2008年3月9日日曜日

ボクシング(内藤 vs ポンサクレック戦) 2008.3.9




昨晩のボクシング WBCフライ級タイトルマッチは好ゲームだった。
(内藤大助 vs ポンサクレック戦)


長年ボクシングを観て来た私が好ゲームと判断する基準は
以下のとおりである。

①戦う両者の力量が接近していること。
②クリンチ(意図的な抱え込み)が少ないこと。
③打たれると「効いていない」と言いたげにガードポーズを 
やめて顔を前に突き出して挑発する、などの下品な行為がないこと。



特に私が嫌いなのは③の挑発ポーズである。
かつての辰吉丈一郎、最近では亀田興起がよくやる。
このポーズはもともとモハメッド・アリが始めたものである。
アリのように力が卓越している者がやるならばよい。
辰吉や亀田がやってもシャレにもならない。

辰吉などは明らかにダメージの残りそうな一撃を食らいながら
このポーズを取るから、もっと撃たれてボコボコになったこともある。



他人のポーズをそのままパクる精神が好きになれない。
そこにはオリジナリティのかけらも感じられない。
スポーツマンも芸術家と同様に能力表現者である。
一流のスポーツとは肉体を使った芸術だと私は思っている。
なぜあれほど早く走れるのだろう。
なぜあんなことができてしまうのだろう、と観ていて感激させて
くれるものである。


その意味において内藤は一流の表現者である。
ドロー判定(タイトル防衛)だったが、私の印象では勝っていた。
観る者を魅了する堂々たる戦いぶりであった。
これからも精進してほしいと感じさせる選手の一人である。

2008年3月8日土曜日

初春     2008.3.8



慣れない Linux の研修で疲労した頭脳を休めたいと思い散歩に出た。

さすがに暖かい。
気温はまだ低いのだが陽射しの明るさが違う。
ここからぐっと気温が上がって草木が芽吹くのだろう。


目に埃が入るような風が吹く春の日はまっぴらだが今日のように
風が弱い日は歓迎だ。






2008年3月5日水曜日

Linux 2008.3.5

東急渋谷駅


真冬の寒さこそ緩んだものの朝晩は冷え込むという典型的な早春を
迎えている。
しかも春特有の風が吹くから体感温度は低い。
嫌いな春だけれども、出勤時のバス停待ちなどにふと「暖かくなったな」と
嬉しく感じることもある。
季節は好き嫌いに関係なく動いている。



一念発起して、都内で研修を受けている。
Linux の初級で、会社の現在業務に「間接的に」関係する研修
プログラムである。
間接的であるから受講しなくともなんら実務遂行に困ることはないが、
以前から Linux には興味を抱いていたので受講することにした。



Linux はコンピュータの基本ソフトである。皆さんはこのブログを
Windows XPなどのパソコンで見ていると思うが、Windows とは異なる
基本ソフトがLinux である。

Windows は Microsoft から有償で使用権を提供されている。
世界中で最も普及しているパソコン基本ソフトだ。
世界中の多くのパソコンに採用されたため Microsoft は巨額の富を築いた。
読者諸君のパソコンも購入した代金の一部がビル・ゲイツの懐に収まっている。
使用権とは、あくまでも「使用する権利」である。
Windows そのものの著作権は Microsoft 社にあるからユーザーはアレンジ
したりすることができない。



一方、Linux は無償である。アレンジも自由である。
世界中の技術者が手を加え発展してきたという歴史を持つ。
我々のような一般人には馴染みはないが、大学や研究機関ではかなり
普及している。



研修受講の動機に戻ろう。
OA業界で働く者として Linux という単語だけを知るだけで、実際に
触ったこともないのが嫌だったのである。
触ったからといってもシステムエンジニアではないから筆者の業務にすぐに
役立つものでもない。
ただし、そのうちに何らかの形でこの時間投資が自分に還元される予感はある。
いや、なくたって構わない。
とにかく Linux は私にとって気になる存在なのである。

2008年3月2日日曜日

ラグビー日本選手権二回戦   2008.3.2



昨日、久しぶりに秩父宮ラグビー場へ足を運んだ。
去年の11月23日(早慶戦)以来だから三ヶ月ぶりになる。
日本選手権二回戦が行われるのだ。


出場企業チームの応援旗がスタンドにたなびくなど学生の試合とは
雰囲気が異なっている。
真冬の観戦席は足元から底冷えするものだが、さすがに春である。
吹く風も緩んでいる。



学生チャンピオンの早大がトップリーグの東芝に挑戦したが、
予想通りその壁は厚く敗れ去った。
しかし観戦した仲間全員が納得できるゲームだった。
学生は臆することなくタックルし、ボールを回した。
格上の東芝相手に4トライ、しかも奇策ではなく堂々たるトライを
奪ってくれたからである。



私にとって日本選手権は大好きなラグビーシーズンのおまけに過ぎない。
1月の大学選手権決勝で私のシーズンは終わっているのだ。
この日は大量得点差にならないことと、学生が社会人に一泡吹かせる
局面を作ってくれれば御の字、と思って観戦していた。
そして試合はそのとおりになってくれた。



唯一残念だったのは終了間際、五郎丸歩選手が東芝選手の何かに
キレてしまったことだ。
ゲームとは無関係な場面で、かなり執拗に一人の選手を「攻撃」
していたことが気になっている。
将来は日本ラグビー界を背負う逸材だけに自重してもらいたかった。



帰宅後、ビデオを観た限りでは東芝選手のノーボールタックルに怒った様に
思えるが真相はまだ不明だ。