2007年4月30日月曜日

いつも音楽とともに生きてきた 2007.4.30

幼い頃から音楽を聴くのが好きだった。
クラシックに幼少の頃から親しんでいた、という話ではない。
ラジオから聞こえてくるポピュラーミュージックとともに成人した、という意味である。


小学校三年生の頃、兄から教えてもらったビートルズ。
ラジオの音楽リクエスト番組を聞いていて、自分でも電話してみたら、
今から番組で取り上げるという。
局の人から「これから放送しますから、ラジオの音を小さくして下さい」と言われた。
ハウリングを防止する方策だったんだろう。
リクエスト曲は Please Mr.Postman だった。
九歳の頃のエピソードを今でも忘れていない。


小学校五・六年生の頃は、ピーターとゴードンとかアニマルズも聴いていた。
初めて買ったレコードは確かアニマルズだったと思う。
牛も知ってるカウシルズも良かった。
「花のサンフランシスコ」(スコット・マッケンジー)もヒットした。


中学生になると日本のポップスを好んで聴いた。GSも聴いた。

「花の首飾り」(ザ・タイガース)        68年3月
白いブランコ」(ビリー・バンバン)     69年1月
「風」(はしだのりひことシューベルツ)   69年1月
「遠い世界に」(五つの赤い風船)   69年5月
「真夜中のギター」(千賀かほる)     69年8月
白い色は恋人の色」(ベッツイ&クリス) 69年10月

改めて列挙してみると、素晴らしい曲が溢れていたことに驚く。

「青い影」(プロコル・ハルム)      67年
「輝く星座」(フィフス・ディメンション)  69年
「ヴィーナス」(ショッキング・ブルー)  69年
「恋よ さようなら」(ディオンヌ・ワーウィック)69年
「イン・ザ・サマー・タイム」(マンゴ・ジェリー)70年
「男の世界」(ジェリー・ウォーレス)   70年
「雨にぬれても」(B.J.トーマス)      70年


高校生になると、さらに心ときめかせてくれるスターに魅せられていく。
それについては後日書いてみたい。

2007年4月29日日曜日

花嫁 2007.4.29

こたつに入りながら昔のフォークソングを聴く至福の時。
今夜、”はしだのりひことクライマックス”の「花嫁」を聴いていたら、
想い出の世界に入ってしまった。


時は13年前(1994年)の3月。
神戸の小さな営業所に勤務していた頃。年齢39歳。
誰かと酒を呑みすぎて、終電車がなくなってしまったことがあった。
神戸から当時住んでいた豊中の自宅までタクシーを使ったら
相当の金額になるのは間違いなく、会社事務所に一人戻って
夜を明かすことにした。


春が近いといっても3月の深夜はまだ冷える。
営業所員が外出時に着用するジャンパーを机の上に敷き詰め、
さらに残りのジャンパーを掛布団代わりにして寝る体勢を整えた。
案の定なかなか寝付かれず、ラジオ体操に使うラジカセで
オールナイトニッポンを聴きながら夜明けを待つことにした。


その時、ラジオから流れたのがなつかしい”花嫁”。
(はしだのりひことクライマックス)
この歌がヒットしたのは1971年である。
あれから23年後の深夜、営業所で一人聴いた”花嫁”を私はいつまでも
忘れることはできない。
”花嫁”を聴くと今でも必ず思い出すエピソードである。


註:本稿は2004年7月17日に、ある掲示板に投稿したものを一部修正
加筆しました。

2007年4月28日土曜日

ゴールデンウィーク(GW) 2007.4.28

つつじの花が咲く路    撮影4月27日(金) 7:40  場所:みなとみらい


ゴールデンウィーク(GW)が始まった。



私のGWは暦通りなので、5月1日、2日は出勤する。
それでも 連休3日 + 出勤2日 + 連休4日 はうれしい。
社会人3年目の長男は9連休を利用して今朝、海外に旅立った。
シンガポール、台湾、ロスアンゼルスを廻るらしい。
随分と忙しい旅だ。


GWというと行楽がつきものだが、私には無縁だ。
GWはどこへ行っても混むし、宿も施設も必然的にサービスレベルが落ちる。
料金も割高のケースが多く、ちっとも出かける気になれない。
日本の企業は有給休暇を取りづらい風土があるため、GWにまとめて旅行や
帰省するのも仕方がないことだとは思う。



どこにも出掛けず自宅でゆっくりするのが、私には最高の贅沢だ。
寝転がって読書したり、近所を散歩したりして過ごす。
夕方には風呂に入り、風呂あがりのビールを堪能する。
いつもは比較的ストイックな生活を送っている分、ぼーとしている時間が心地よい。
人間はせかせかとした「動」と、対照的な「静」のバランスが必要に思う。
この年齢になると「動」のウェイトが下がるのが自然だろう。



今日、冬背広とコートをクリーニング屋に出した。
毎年の恒例行事みたいなものだ。
冬背広は11月から4月末までの6ヶ月使う。
4月は結構寒い日が多いので冬背広がいい。
連休明けの5月から10月末までサマースーツを利用する。
ただし一昨年からクールビスが導入されたためサマースーツの上着は
5月の一ヶ月だけしか使わなくなった。
こうなると、今後サマースーツは購入することなく定年を迎えるかもしれない。



明日は何をしようか? 
それは明日、目覚めてから考えよう。
だから休日はいい。

もう帰らないあの夏の日......想い出の渚 2007.4.28






写真1          どこかハワイの風景に似ていると思う

写真2          岬の入口の石塔 昔はなかった

写真3          岬から戸田湾の対岸を臨む 海水がきれいだ

写真4          諸口神社の鳥居

写真5          宿の露天風呂 流れる湯の音が心を洗う

2007年4月25日水曜日

波に向かって叫んでみても.....想い出の渚 2007.4.25






写真1          防波堤を歩く
写真2          御浜海岸  この海で40年前に僕らは泳いだ
写真3          御浜海岸  想い出のかけらを探す
写真4          諸口神社(岬にある)
写真5          雨雲に煙る戸田湾

2007年4月24日火曜日

想い出の渚 3 2007.4.24






写真1          宿の窓からの眺め

写真2          宿の窓からの眺め

写真3          宿の窓からの眺め

写真4          漁船

写真5          松の木の向こうに見える戸田湾

2007年4月23日月曜日

想い出の渚 その2 2007.4.23






写真1          駿河湾

写真2          どこまでものどかな戸田湾

写真3          ここが40年前に泊まった宿か?

写真4          昔はなかった遊歩道

写真5          御浜岬・諸口神社の鳥居と釣人たち

2007年4月22日日曜日

想い出の渚 戸田海岸  2007年4月21日-22日








◆写真1枚目          部屋はオーシャンビュー

◆写真2枚目          露天風呂のむこうは戸田湾

◆写真3枚目          御浜岬案内図

◆写真4枚目          遊歩道から見た御浜海水浴場<撮影 4月21日 15:57>

◆写真5枚目          灯台と防波堤<撮影 4月21日 16:08>
40年ぶりに訪れた西伊豆・戸田(へだ)。
その姿は私の想い出そのままに美しかった。
かつてはなかった遊歩道が整備された、という小さな変化はあったものの
戸田の魅力を下げた変化ではなかった。
防波堤も変わらない。
小さな灯台もあの時のまま。
泊まった宿は『にい家 海遊亭』。
部屋の眺め、露天風呂、食事とも文句なし。
残念なのは、建物外観の色使い。センスが悪い。
料金は大人1万1千円(一泊二食)。
天気がイマイチだったため、富士山を眺めることはできなかった。
快晴、駿河湾の向こうに見える富士山を求めて、今後もときどき
訪れることになると思う。
中学一年の戸田臨海学校。
あの頃、私は誰に心をときめかせていたのだろう。
私の記憶のかなたにぼんやりとではあるが、スクール水着姿で
赤く日焼けした可愛い少女がいる。
それが誰だったのか、どうしても思い出せないでいる。
何回かここへ来ればひょっとすると思い出すかもしれない。
思い出したからといって今の私に何ら変化はもたらさないことは
わかっている。
でも、もう一度40年前の自分の気持に戻ってみたい。
少しだけ、そう思う。

2007年4月15日日曜日

40年ぶりに訪れる思い出探しの旅 2007.4.15

今週末に家族旅行を予定している。
長女の就職内定を祝って、西伊豆の戸田(へだ)へ行くことにしたのだ。
長男、長女ともだいぶ大人になったから家族全員で旅行へ出かけられるのも、
これから先はそうそう機会はないかもしれない。


今月初めに「家族で旅行に行こう」と決めた時、行き先は私に任された。
”あまり遠くない近場の温泉”がターゲットだ。
箱根は数回行っているから別の場所がいいかなと思い、あれこれ考えているうちに
西伊豆・戸田がひらめいた。


戸田は御園中学1年の夏、臨海学校で行った場所だ。
在来線で沼津まで行き、港から船で戸田港へ入った。
海の向こうに雄大な富士山が見えたことを記憶している。
海岸沿いに立派な松の木が繁っていたように思う。
海水がビックリするくらい澄んでいた。


残念ながらその他の記憶は今となってはほとんど消えている。
どこへ泊まったのかも覚えていない。
だが私の中で、とてもきれいな場所という良いイメージだけは残っている。
今回、40年ぶりにその地を訪れる。
私にとって、月並みな表現だが少年時代の「思い出探しの旅」になる。
今から楽しみでワクワクしている。

2007年4月7日土曜日

期初 第一週 2007.4.7


期初の一週間がめまぐるしく過ぎた。
顧客対応の合い間をぬって会社へのレポートをまとめたり、
直属メンバーや支援スタッフとの打ち合わせを行うのだ。
何事にも納期があるからボヤボヤしてはいられない。
仕事用のPHSに顧客から直電も入り、その対応に追われることもしばしば。


プライベートで嬉しいこともあった週だった。
直属メンバーとのコミュニケーションのなかで、カチンと来ることもあった。
昨日の朝のことだ。
一晩寝かせてはみたが、いまだに私のなかで納得できていない。
ただし、経験上すぐに行動しないほうが良い結果をもたらすことがわかっているから
昨日は軽く反応したあと、あえて深追いはしなかった。
土日で頭を冷やしてからのほうがいい。急(せ)いては事を仕損じるのだ。


期初で最も大切なことは、組織の目標設定と行動方針である。
そして直属メンバーとはじっくりと会話して統合することが必要だ。
平たく表現すると、行先と道を示し、その理由を説明して納得してもらうということ。
説明するほう(私)もよく頭を整理しておかなければならない。
次の一週間でこれら一連の作業は終了する。


戦略・戦術は非常に大切。これがないと競合他社との戦いに勝てない。
しかし、それ以上に大切なのが顧客と良い関係を築き、それを維持することだ。
私達に売上をもたらしてくれるのは戦略・戦術ではなく、顧客なのだ。
そのためにも、顧客に最前線で接する直属メンバーとのコミュニケーションを大切に
しなくてはならないと思っている。


すでに始まっている新しい期。
顧客、直属メンバーとのコミュニケーションを大切にしながら頑張っていきたい。


<説明>

写真はJR関内駅前の夕映え風景をショットしたものだ。(撮影日は4月5日)
歓送迎会の店に向かう前に撮影した。
カメラつき携帯電話は実に重宝している。邪魔にならず、気軽に撮れるのがいい。
機種はDoCoMo D506i である。足掛け3年使っている。

2007年4月1日日曜日

期末打ち上げ 2007.4.1


目が覚めて時計を見ると朝の5時15分だった。
少し早いかな、とは思ったが「起きちゃえ」と床から出る。


私の休日は朝風呂から始まる。朝風呂は仕事がある日には入れない。休日だけの楽しみだ。
軽めに全身を洗ってすぐ湯船に浸かる。そのうちに頭や顔面から汗が噴出(ふきだ)してくる。
のぼせないように、バスタブから出て洗い場で身体を冷やす。
冷えてきたなと感じたら再び湯に浸かる。これを2~3回繰り返す。
休日であることの喜びがじわじわと湧いてくる。

家内は「夜も入って、さらに朝も入るのはガス代がもったいない」と批判的だが、
私にやめる気はさらさらない。費やすコストに対する効果は大きく、私の中では充分許容範囲である。最近では家内も諦めたのか、うるさく言ってこない。
私の勝利である。”朝風呂戦争”に全面勝利したのだ。


昨日(3月31日 土曜日)は月末・期末の出勤日だった。
普段の土曜日は休めるのだが、期末に限っては伝統的に出勤日となる。
売上計上の〆は前日で終わっており、まったりとした雰囲気が事務所に漂う。
私は外出はせず、来期の予選編成準備や棚卸しに時間を割いていた。

昨日はむしろ昼よりも夜の部が大切だった。
売上計画達成に対する打ち上げ(飲み会)がメインイベントだ。
部下たちの努力と成果を讃え、労(ねぎら)う大切な時間だ。
個人成績は全員達成、グループ業績も達成で大いに意気上がった夜だった。
全員が達成する、というのは滅多にないことである。
営業の世界は甘くないが、この喜びがあるから頑張れる。


そして、明日から新たな期が始まる。
「100%達成おめでとう!」と喜べるのもつかの間。またゼロからのスタートが始まる。
まるで電卓で「オールクリア」ボタンを押すがごときだ。やはり営業の世界は厳しい。

でも私はこの世界で生きていくのだ。
地道に粛々と、最後まで諦めず、顧客からの信頼を最優先にゴールめざして進んでいくしかない。
と、決意を新たにする。