2011年6月26日日曜日

ソフトバンク 第31回定時株主総会 2011.6.26

インターネット配信されているソフトバンクの株主総会を閲覧した。
一昨日(6月24日)に行われた株主総会だから情報としては新しい。


総時間2時間20分にわたり孫正義社長の話を聞いたが、非常に
聞きごたえのある内容である。

まず、驚くのは携帯通信事業での高い成長である。
同社がボーダフォン・ジャパンから携帯電話事業を買収したのが2006年。
以来5年が経過したが、目覚ましい成長を続けている。
買収時点でのユーザー数が1,500万だったのに対して、現在は2,500万
にも増えた。
営業利益金額では国内第三位だ。(2010年度)
ボーダフォン時代は年々ユーザー数を減らし利益も減らしていたのに
ソフトバンクになってからは右肩上がりを継続している。
これこそ経営の力である。


自然エネルギー事業へ参入するにあたり、その想いを熱く訴えるくだりは
感動的だ。
売上・利益をあげることを超越した、彼の使命感を感じることができる。
この事業が形になるまでには、さまざまなプロセス・壁が待ち受けている
だろうが、ぜひ成功してほしいと願う。



孫社長の話は無駄がなく論理的でわかりやすい。
話すスピードもちょうどよく、聞いていて心地よい。
読者のみなさん、なかでも経営に携わる人にはアクセスすることを強く
お勧めしたい。
聞く価値のある2時間20分である。

アクセスは → こちら

2011年6月24日金曜日

振替休日 2011.6.24

銀座にて



五月の休日出勤分を振り替えて休みをとった。
昨日に続いて暑く、風も強い一日だったから休めて幸いだった。


買い物などでちょこちょこ外出したがかなり暑かった。
ピーク時の電力使用量/供給量は91%まで上がったという。
先行きがちょっぴり不安である。
この夏は原発以外でどれだけ電力供給量をアップできるか。
そして企業・家庭の節電効果が試される時が来た。
さすがにエアコンなしでは過ごせないから、ドライモードを活用したり
冷房にするなら高めの28℃あたりに設定することが必要だろう。
気温は高めでも湿度が低く抑えられれば我慢できる。


昨今は「クールビズ」改め「節電ビズ」と言うそうだ。
ここまで世の中が節電へと動くとは、一年前はおろか半年前でも
想像できなかった。
将来、電力不足が解消したらなつかしい思い出になることだろう。
そんな大きな変化を今、私達は体験しているのである。

2011年6月22日水曜日

夏日の始まり 2011.6.22

このページは Google のブログページだが、何やらバグ(不具合)で
一時的に写真がアップできなくなっている。
たまにこんなことがあるが、ソフトウェアのことだからユーザーは
手が出せない。
そのうちにどこかのユーザーが不具合報告を行うのだろう。
いつの間にか Google 側で不具合が修正されているのが常だ。


今日は朝から日差しが強く、天気予報通り暑い一日となった。
この時間でも外は湿って暖かい空気が支配している。
風もない。
昼に食事に出た時に、今年最高の蒸し暑さを感じた。
食事に入った店はあまりエアコンが効いてなく、食べながら頭に
汗をかく始末だった。


いよいよ史上初めて、節電のもとでの夏を迎えている。
電力のほうは今日のところはまだ心配ないようだが、苦手な暑さの
程度が心配である。
厳しい季節を迎えている。
我慢が足りない私は先行きに大きな不安を感じている。

2011年6月19日日曜日

すべて東電が悪いのか? 2011.6.19

ユニクロ銀座店


いかにも梅雨らしく、朝からどんよりと曇った天気である。
スカッと晴れた天気をこの時期に求めても無理で、仕方ないものと
受け入れることにしている。
草木の生育には雨の多いこの季節が必要なのである。



大震災から100日経過した。
マスコミは区切りが好きである。
今朝のテレビでは首都圏各地の放射線量や、被災地の状況に混じって
東電の補償問題を取り上げた番組が多かった。
東電の補償に関するマスコミの論調には私は強い違和感を感じた。




今でも避難している人、先の見通しが立たない企業・産業に対する東電の
補償はどうあるべきかを論じていた。
私が感じた違和感は、「東電が100%悪い = 加害者」 を前提として話が
組み立てられている点に対してである。
特に自民党の河野太郎議員が顕著だった。
国が先に被害者に対して仮払いし、その後、国が東電に請求すればよい
のだと訳知り顔で主張していた。
一見もっともらしく、耳触りがよく聞こえる意見である。



私は東電も震災被害者の一員と考えている。
なぜなら、日本の原子力発電事業は東電が主体的に推進してきたのでは
ないからだ。
国の政策(Plan)を受けて忠実に実行(Do)してきたのが東電なのだ。
予想をはるかに上回る自然災害に起因する事故が起きて、すべての責任を
東電にかぶせるのは筋違いである。



もちろん実行者である東電にも油断というか、事故発生可能性を甘く見てきた
責任はある。
万が一に備えて危機管理をもっと徹底すべきだったとは思う。
しかし、事故責任が100%東電にあるとは思えない。
初めての大規模原発災害の発生 → 被災者への巨額賠償の必要性 → 
事故を起こした東電が悪い → 東電が支払うべき というロジックはものごとを
単純化しすぎている。



不幸にも原発事故が起きてしまった以上、ここは東電に原子力発電を推進
させてきた国、実行者の東電、そしてその恩恵を受けてきた電力消費者が
皆で結果責任を負うべきと考える。
マスコミにはもっとしっかりと考えて報道してもらいたいと思う。
現実世界はドラマのように単純ではないのである。

2011年6月18日土曜日

ドコモの決断 2011.6.18

携帯電話が本格的に普及を始めたのは、記憶をたどると
1998年から2000年あたりのことだったように思う。
PHSはそれよりも若干先行していた。


私が初めて所有したのは1999年だった。
千葉に勤務になった時期だから忘れることはない。
当時,画期的だったドコモの i モードを使いたくて購入した。
携帯電話でインターネットに接続できるということに強い魅力を
感じたのだ。


初めて持った端末(902i?)には、今はないアンテナが付いていた。
その後、503i、506i、LG電子製、そして今のXPERIA へと買替えてきた。
結局、12年で5台の端末を使っているから2~3年で機種変している
ことになる。
短い期間ではあるがこの分野の進歩、移り変わりは激しい。
506i までは三菱電機製だったが、同社が携帯電話事業から撤退して
しまったので、次に使う機種では使い勝手が異なり不便を感じた。


最近の大きな変化はスマートフォンの台頭だろう。
アップルの iPhone をソフトバンクが扱うようになってから、急激に
スマートフォンに人気が集まるようになった。
電車の中で多数のユーザーを見かけるし、ソフトバンクの携帯事業
業績も絶好調だ。


ライバル他社、とくにトップのドコモは追いかけるのに必死だ。
手をこまねいていてはドコモユーザーがソフトバンクに流れてしまう。
ユーザーが減れば通信収入が減るから死活問題なのだ。
XPERIAでも第二世代を出し、さらに GALAXY やOptimus も出して
ユーザーの確保に努めている。


今朝の朝日新聞に小さな記事が掲載されていた。
ドコモの副社長が記者会見で「ドコモは iPhone を扱わないことを決定
した」という記事だ。
iモードならではの独自機能の搭載をメーカーであるアップルが認めない
ことが理由だそうだ。
やはりドコモも 名機 iPhone を扱いたかったことが改めてわかった。


この決断の持つ意味は大きい。
市場が拡大するスマートフォン分野で、ドコモは iPhone ではない機種で
勝負していく道を選択したからだ。
iPhone をドコモが扱えば、相当数のユーザーを簡単に増やすことが
できるだろう。
しかし扱わないという方針が固まったことで、覚悟を決めたのである。
楽ではない勝負にドコモが挑んでいくことになった。
今後の推移に注目していきたい。

2011年6月12日日曜日

大震災から三か月 2011.6.12

早かったような長かったような三か月だった。
3月11日を境に我々の生活は目に見える形で変化した。
それは劇的、といってよいほどの変化である。


福島第一原発の事故は当初、一刻一秒を争う緊急事態だった。
原子炉建屋が水素爆発を起こした時には、多くの国民が強い
恐怖を感じたと思う。
使用済み核燃料棒貯蔵プールを至急冷却する必要があり、急遽
派遣された東京消防庁スーパーレスキュー隊が注水をする時には、
テレビくぎ付けになった。
つい最近のことのように感じる。
事態はまだ収束していない。
関係者の懸命な努力が続けられている。


原発事故と同時に首都圏の電力危機が大きな関心事となった。
需要をまかなう供給が出来ない可能性があり、前代未聞の計画停電が
行われた。
私の住む地域も日中、夜間に数回の停電があった。
社会全体で節電が行われ、屋内は以前と比べて暗い場所が多くなった。
私の通う会社でも照明を間引いての勤務を行っている。
5月からクールビズも始まった。
これから迎える本格的な夏がどうなるか気懸りである。


首都圏では震災直後から商品不足が顕著になった。
トイレットペーパーなどの生活用品、牛乳・米・パン・ミネラルウォーター
などの飲食品がスーパーの棚から消えた。
首都圏の製油所が被災した結果、一時的にガソリンがひっ迫した。
ガソリンスタンドにクルマが列をなすという信じがたい光景も出現した。
ごくわずかな期間ではあったが、街からクルマが姿を消したこともあった。
無駄な使用を人々が控えたためである。


震災から一か月くらいは終わらぬ余震に不安をかきたてられた。
いつか大きな余震があるのではないかと落ち着かない日々だった。
二か月経過後は余震も数えるくらいに減った。
大地が揺れなければ気持ちも落ち着いてくるものである。
一昨日の金曜日夜、筆者は品川にいた。
どこの飲食店でも入店待ちの行列ができていた。
人々の生活が平常に戻ったんだな、と実感した次第である。


新聞によれば被災した東北の部品工場もかなり立ち直ってきたようだ。
滞っていた自動車、電機メーカーの生産も先が見えてきたようだ。
一時はお先真っ暗な状態だったが急ピッチで回復してきている。


明けない夜はないという。
明日を信じ、前向きに生きていきたいと思うものである。

2011年6月11日土曜日

散髪  2011.6.11

朝8時からいきつけの散髪屋に行ってきた。
予約制で待ち時間がなく、料金も手頃だからこの床屋さん以外には
行く気がしない。
ご主人が一人でやっている小さな理髪店である。


最近はきっちり4週間ごとに通っている。
頭髪が少なくなっても、伸びてくると全体のバランスが悪くなる。
整髪がままならなかったり、耳のまわりがうっとうしく感じるようになる。
シャンプー、顔剃りも含めて約30分強の工程である。


終了するといつもさっぱりとした気分になれる。
忙しかった日々ごと、髪とともにリセットしてもらったような気になる。
散髪によって心の区切りができる。


今日、床屋の鏡で自分の頭髪を見てみたが、頭頂部の「アルシンド化」が
一段と進行していた。 註:アルシンドは元Jリーガー選手。
先週までの忙しさが毛髪を直撃したのだろうか。
辛いけれど現実は受け入れなくてはならない。
このまま薄毛化が進行すれば、やがては丸刈りを決意する日が来るだろう。
日々、Xデーが近づいている。

2011年6月9日木曜日

いつも音楽と共に生きてきた(雨に濡れても BJ THOMAS) 2011.6.9

この季節になると、決まってこの歌を思い出す。


Raindrops Keep Falling on my Head
覚えやすい英語だ。
中学3年(1970年)の時、流行った名曲である。
あの頃、深夜放送でよく聴いた。


今、改めて聴きなおしてみると、なつかしさで胸がキュンと軽く痛む。
あれから41年も経過してしまった。
その間、私はいったい何をしてきたのだろうか。
無駄に歳だけとってきたのではないか。
いや、そうともいえないだろう。
私なりに喜怒哀楽の人生を生きてきたのだと思う。

2011年6月8日水曜日

携帯電話 2011.6.8

久しぶりに携帯電話について書いてみたい。


ドコモ XPERIA というスマートフォンを使って1年2か月になる。
毎月支払っていた端末分割金(月額3,332円)も終わり、月々の
支払いが軽くなった。
軽くなったついでに、パケット料金も従量制に変えてみた。
使用量が少なければパケット料金が2,100円で済む。(基本料金)
スマートフォンとしての機能をあまり使っておらず、ほとんどメール
だけだから2,100円で足りるかもしれないと思ったからだ。


従量制に変えて2か月。
さすがに2,100円では済まなかったが、月額支払料金は少なくなった。
しかし、使用を制限することに日々、窮屈感を感じるようになった。
また、スマートフォンを使っている意味がないとも感じるようになった。


再度、今月からパケット料金を定額制に変更した。
同時にスマートフォンらしい使い方をしようと思い、朝日新聞デジタルを
契約した。
朝日新聞の電子版である。


朝日新聞デジタルを使い始めて1週間。
なかなか使い勝手がよく、契約してよかったと感じている。
毎朝、電車のなかでデジタル版の新聞を XPERIA で読んでいる。
混んでいる電車の中で小さく折りたたんで紙の新聞を読んでいる人を、
心の中で「古いな」と思いながら一人悦に入っている。
このデジタル新聞は「新しもの好き」の私にとって格好のおもちゃである。

2011年6月7日火曜日

プロジェクト終了の週明け 2011.6.7

大きなプロジェクトが終わった週明け二日目。
先週はあれだけ追い込みに集中できたのに、昨日も今日もまったく
集中できない。
追い込まれていないと、こんなにも精神が弛緩してしまうものなのか。
やるべき残務は少なからずあるのだが、「まぁ、いいや。ゆっくり
やれば」という気持が先に立ってしまう。


張りつめていた気持がプロジェクト終了と共にどこかへ飛んで行って
しまったようだ。
残務自体にそこそこ緊急度はあるのだが、向かう私の気持がすでに
緩んでしまっている。
眠気さえ催したりもする。


人間はずっと集中していることはできないのだろう。
明日あたりからそろそろテキパキと残務を片付けようと思う。
そのためにも今夜は早く寝よう。

2011年6月5日日曜日

東京スカイツリー  2011.6.5




義母が来ているので土産話になれば、と東京スカイツリー見物へと
連れ出した。
私自身は実物を見るのは一年ぶり、二回目になる。


まだ上層部にクレーンは残っているものの、高さ634m の外観は
できあがっている。
やはり高く、その姿は壮観である。


ただ残念なのは、隣接して建設された高層ビルが景観を損ねて
いることだ。
できれば東京スカイツリーだけがそびえたつほうが見映えはよい。
集まっていた見物客の一人も「ビルが邪魔だな」と言っていた。


今でもかなりの人が見物に来ているから、オープンしたら東京の
新たな観光名所になることは間違いない。
隣接するビルに「上を向いて がんばろう日本」と書いてあった。
世界一高いツリーができることはなんだかんだ言っても国民の誇りに
なる。
オープンが待ち遠しい。





2011年6月4日土曜日

山を登り終えて  2011.06.04


ザ・プリンス パークタワー東京



自宅PCに向かうのは久しぶりである。
昨日、足かけ4か月にわたって取り組んできたプロジェクトが終了した。
大きなプロジェクトであるだけに、最後の1週間は精神的にだけでなく
肉体的にもハードだった。


重圧から解放された気分はいいものである。
まさに肩から重いものを降ろした、というのがふさわしい。
これでようやく普通のペースで仕事ができる。
毎晩遅くまで会社に残る必要もなくなった。


初めて取り組んだテーマを完遂して、大きな山を登った感覚がある。
なんとかかんとかやり遂げたことは自信になる。
ミスや無駄も多くあった。
忘れないうちに全工程を再チェックして、次にはもっと上手にできるよう
記録、記憶に残しておこうと思う。