2008年1月30日水曜日

休肝日   2008.1.30




アルコールは強くないほうだ。
酔いは早く回るし、量の限界もすぐ来る。
限界量を超えた飲酒行為で、若い頃、数え切れないほど”戻した”
経験を持つ。
付き合いやら何やらで飲酒回数だけは人並みだったと思う。



ウィークデイの自宅では仕事を終えた帰宅後に、おかずを食べながら
350cc の ビールを2缶空ける。これが最近の日課だ。
何か特別なことがない限りこのペースは崩さない。



人間ドックでアルコール類を飲まない「休肝日」を設けるように医師から
勧められるが実行したことはなかった。
肝臓自体も病んでいないし、量も飲まないから大丈夫だろうと
思っていたからだ。



そんな私が今年から自主的に休肝日を作るようになった。
年明けから昨日までに計3日、アルコール摂取をやめている。
新年会の翌日、会社での飲み会の翌日、および昨日である。
外で呑んだ翌日は身体(内臓)がアルコールを拒むのを
感じるようになった。
こんなことは今までになかった。
なんとなく内臓が疲れているように感じるのだ。

昨日は風邪気味だったので控えることにした。
おかげで今日は体調が良い。
用心して今夜もやめようと思う。



こうして身体をいたわるようになったのも、やはり歳をとったからだと思う。
無理をせず、細く長くゆっくりと。
今年は健康を何よりも優先する生き方への転換期になると思う。

2008年1月27日日曜日

いつも音楽と共に生きてきた(トワ・エ・モア)  2008.1.27



青空に誘われて散歩に出た。
寒いから頭には毛糸の帽子、両手には手袋、首にはマフラーの
完全防備である。



空が明るく青い。
こんな時、口ずさむのはトワ・エ・モアの「空よ」が多い。
私の中の定番だ。



トワ・エ・モアは山室英美子と芥川澄夫の二人組デュオである。
二人で活動した期間は3~4年と短命だったが、山室英美子の
美声と、歌はあまり上手ではないが当時はイケメンだった芥川澄夫が
良い雰囲気を醸し出していた。
彼らに提供された曲が実に良く、曲にも恵まれたと思う。
有名なヒット曲は5曲である。



或る日突然(1969年) 作詞:山上 路夫  作曲:村井 邦彦
空よ(1970年)     作詞:作曲 難波 寛臣
初恋の人に似ている(1970年) 作詞 北山 修 作曲 加藤 和彦
誰もいない海(1971年)      作詞 山口 洋子 作曲 内藤 法美
虹と雪のバラード(1972年)    作詞:河邨文一郎 作曲:村井邦彦
もうひとつの虹と雪のバラード



YouTube で彼らの歌を聴いていたら、コンサートに行きたくなった。
探してみようと思う。
















2008年1月26日土曜日

1:29:300の法則   2008.1.26

             広告      2008.1.24 7:58   みなとみらい


最高気温が10℃を下回る冷えた日が続いている。


寒くなるべき時に寒くなるのは良いことである。
寒くないと何が困るのか?

1.自然界のバランスが崩れる。
  動植物の生態系が乱れる。
2.寒さで成り立つビジネスが成り立たなくなる。
  景気へ与える影響は小さくない。


一方、この厳しい寒さは路上生活者(ホームレス)にとって生命の危機に
さらされる時期であろう。
私はそのことを思うたび、自宅の布団で暖かく眠れることに感謝せざるを得ない。

もっと楽な暮らしを、とか、もっと収入があれば、などなど人間の欲望に限りはない。
日常を退屈に感じて、もっと楽しいことがないのかと思う人もいるだろう。
向上の意欲・前向きのエネルギーでもあるので否定はできないが
そこばかり見ていては幸福感が損なわれてしまうだろう。
衣食住の基本が平均的なレベルで満たされていたならばまずはそのことに
感謝したほうが良いと思う。



仕事の面では、今週から繁忙期が始まった感触がある。
年度末の需要期が開始したのだ。
顧客やパートナー企業から、思いも寄らぬさまざまな案件が突然舞い込んでくる。
この時期は同時並行で複数の案件が進むので、ミス・モレのないよう進捗から
目を離さない必要がある。


今週もヒヤッとすることが発生した。
先週受注して喜んだ大型案件に”事件”が起きた。
今週になって仕入先に発注したら、見積時点の仕入価格と現在のそれが
大きくかけ離れていることがわかったのだ。
このままでは大きな損失を招いてしまう。
幸い顧客との信頼関係が良好のため事なきを得たが、肝を冷やす
できごとだった。


最近、ハインリッヒの法則を思うことが多い。
1つの重大事故の陰に29の軽い事故が潜んでいる。
さらに300のヒヤリとする事件が起きている、というものだ。
1:29:300の法則」ともいう。


単なるスローガンでは事件事故は防げない。
事前防止、危険回避の仕組みをシステム化しておく必要がある。

2008年1月24日木曜日

雪(2008.1.23)   2008.1.24


             2008.1.23 11:55     長津田駅ホームから



雪景色が好きだ。
雪が積もると見慣れた景観が一変する。
この違いが新鮮で、いくつになっても魅せられている。



雪が降ると自然と口ずさむ歌がある。

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
昔むかしよ 燃えろよペチカ(作詞:北原白秋)

雪でした 貴方のあとをなんとなく 
ついて行きたかった(作詞:吉田拓郎)





雪予報聞けば今でも胸躍る
幼き記憶石油ストーブ  天祐








2008年1月22日火曜日

品川       2008.1.22

             2008.1.21 15:31


             2008.1.21 17:25 品川イースト・ワン・タワーのロビー




ここ10年の間に急激に発展した地域が東京にはいくつかある。
恵比寿、大崎、汐留、品川、秋葉原、六本木などがその代表格
ではないだろうか。



昨日、品川に用事があり立ち寄ることになった。
改めて、その変貌振りに隔世の感を抱いた。
私の記憶には18歳の頃の品川しかない。
東京のポテンシャルはすごいとしか言いようがない。
これから五反田、大久保、高田馬場あたりも再開発されていくかも
しれない。



蒲田が大変貌する日もないとはいえないだろう。

2008年1月20日日曜日

北風(2009.1.11 上井草)     2009.1.20


一部の読者から熱烈なる掲載要望を頂戴いたしましたので
追加掲載いたします。





















2008年1月19日土曜日

信用第一     2008.1.19

             2008.1.19 8:41



すがすがしい気分で週末を迎えている。
休みはこうでなくてはいけない。



木曜日の午後、海老名に行っているときにPHSで連絡を受け、
ある顧客へ提出した見積が商品違いであることを知った。
既に前日、その顧客から受注済みの案件である。
ウチが見積もって受注した商品をAとすると、本来の商品はBだったと
いうことである。AとBの価格差も大きい。


瞬間的に「これは厄介なことになったな」と感じた。
間違った理由は仕入先のミスなのだが、顧客からみればウチのミスで
あることに変わりはない。
顧客がウチに発注を出すということは顧客内で決裁書類が回り、承認を得た
案件である。基本的には間違いはあってはならないし、間違った場合には
現場責任者にきちんと説明するのが筋というものである。
ところが現場責任者とは過去にいろいろあり、完全にはしっくりいっていない
方(かた)なのである。ことによってはこじれる可能性があった。


海老名から事務所へ戻り、事実確認したうえで顧客へ電話をしたが、
夕方遅い時間だったため既に顧客担当者は事務所にいなかった。
翌日に持ち越したくなかったが仕方がない。
一夜持ち越しになってしまった。



こんな時は帰宅してもそのことが頭を離れないものだ。
あれこれ想定されるケースを考えたり、最悪のシナリオもシミュレーション
してしまう。
鬱々とした気分で寝床に入り眠ったが、夜中にうなされてしまった。
怖い夢を見て助けを求めようとするのだが、声が出ない。
やっと出す声は大声の叫び声になる。
最近は少なくなったが、私は時たまうなされて家族にからかわれることがある。



明けた金曜日の朝、私は会社には寄らず顧客に直行した。
理由を説明しお詫びを申し上げたら納得してくれた。
ようやく心に引っかかる重荷から解放された。



私が全力で解決に当たった理由はただひとつ。
商売の鉄則である信用第一を優先したからに他ならない。
CS(顧客満足:Customer Satisfaction)もコンプライアンスもJ-SOXも
大切だが、それ以上に大切なのは信用である。
信用さえ維持・確保してさえいればビジネスはなんとかなるものだ。
健康あっての人生と同様、信用あってのビジネスなのである。
信用の上に販促策やさまざまな工夫を施していけばよい。



という訳で、今日はすがすがしい休日を迎えることができている。
寒かったけれど、寒さのほどを体感したくて2時間ほど散歩してきた。
顔が痛いくらい寒かったけれど、さらにすがすがしい気分だ。

2008年1月16日水曜日

風呂    2008.1.16



立川駅周辺     2008.1.16 14:49 by DoCoMo D506i



今日も予報どおり空気が冷えて寒い一日となった。
日本列島上空に強い寒気がやってきているという。



昼前に横浜を発ち、渋谷・新宿経由で武蔵境へ。
食事をしながら打ち合わせ。その後、中央線で立川へ移動し別の
打ち合わせを済ませ、南武線経由で横浜に戻ったのが五時過ぎ。
つまり半日間は外出していた。



終日、事務所内で過ごす場合と比較して外出すると身体は何時の間にか
冷えている。
そんな時考えることは、帰宅して入る暖かい風呂のことである。
毎日、励み(働く動機)が風呂になっている。



帰宅して着替えたらすぐに風呂場へ直行する。
コレが楽しみで働いているから、私は食事の前に入る。
時間にして30分は風呂場にいると思う。
湯船に浸かりながら41℃の湯を追い炊きして43℃程度まで上げていく。
お湯をかきまぜながら浸かっているうちに、冷えた身体が温まっていく。
寒さで収縮した筋肉、関節、骨が拡がっていく気がする。



汗をかくまで暖まったら、今度は冷えた廊下でクールダウンさせる。
汗が引いたら食卓でビールを飲みながらおかずを食べる。
ビールも本物のビールではなくキリンの「のどごし生」である。
これで充分うまい。私は安く楽しむことができるのである。




明日はさらに寒い一日になるようだ。
風呂を楽しみに一日頑張ろうと思っている。

2008年1月15日火曜日

阪神大震災     2008.1.15



寒い日が続いている。
今朝の通勤時は凍えた。



一年の中でこの時期が一番寒いそうである。
この寒さを迎えるとあのことを否が応でも思い出す。
明日はマスコミのニュースメニューの一つになることだろう。
13年前の1月17日未明に阪神・淡路地方は突然の大揺れに襲われた。
阪神大震災である。



当時、私は豊中市西緑丘に住んでいた。
千里中央から新大阪で乗り換え、1時間半かけて神戸・三宮に通勤する
毎日を送っていた。39歳の働き盛りである。
地震の時はまだ布団の中にいた。
すでに覚醒し、うとうとしていた記憶がある。
グオーンという地鳴りのあと、激しい上下の揺れに襲われた。
経験したことのない揺れに翻弄されながら「これで死ぬかもしれない」と
本気で思った。
今でもアパートが崩壊しなかったのは、揺れが40秒ほどで収まったからだと
信じて疑わない。あのまま揺れ続けていたらもたなかったはずだ。



地震直後は情報が乏しく、神戸が壊滅的打撃を受けていることを
知らされなかった。ただ、かなり大きな地震が神戸・淡路を襲ったことだけは
テレビで報道された。
いつものように通勤するためバスで最寄り駅へ行き、そこで鉄道網が破壊
されていることを知った。仕方なくバスで自宅へ戻った。
帰りに近所のミニ・コープ(生協)で水、パンを購入した。
食料がなくなってしまう不安を感じたからだった。



会社事務所はもちろんのこと、直属上司とも地震当日(月曜日)から
木曜日まではまったく連絡が付かなかった。
ようやく木曜の夜、上司から自宅へ電話があった。
「無事だったか? 明日、尼崎の事務所に来れるか?」
尼崎は大阪に最も近い場所に位置する。
つまり兵庫県のなかでは比較的被害が小さく、事務所も無事だった
のである。


一週間ほどは尼崎に出勤し、社員の安否確認を手伝った。
その後、三宮本社の復旧を急ぐことになり本社へ通勤することになったが、
交通網が分断されたなかの通勤は不便だった。
JRは西宮までしか通じていなかったから、西宮から三宮まではバスに
乗り換えなければならない。
傾いた家屋群を眺めながらバス停までの徒歩がひどく寒かった。
ところが2月近くなった時、早朝の寒さがぐっと緩んだ。
寒さは1月下旬までが最も厳しいことを身を持って知った。



災害時の人間性に関する領域でいろいろ嫌なこと、辛いこともあり
13年の年月が経過した今でも、当時のことはできれば思い出したくない。
おそらく一生この状態は変わらないのではないかと思う。

2008年1月13日日曜日

新年会 2008.1.13

             九絵(くえ)のうす造り      2008.1.12 17:24
新宿 土佐料理 祢保希 住友ビル店
http://r.gnavi.co.jp/g348507/



B Spirits中野店 2008.1.12 20:08

http://r.gnavi.co.jp/b719500/




昨日、大学ラグビー決勝戦が国立競技場で行なわれた。



戦前の予想通り早大をノートライに抑えて優勝。
(スコア 26-6)
ノーサイド(試合終了)後、早大の選手達は歓喜感涙を爆発させた。
昨シーズン、早大有利だといわれた決勝で関東学院大学に敗れてから、
この日を目標に厳しい練習に明け暮れてきた。
中竹監督、権丈主将はじめ選手達に敬意を表したい。



この試合はスタンド観戦するつもりで事前にチケットを購入していた。
しかし、冷たい風雨のなかスタンド観戦する自信がなく急遽、テレビ観戦に
切り替えた。
チケット(¥3,000)は無駄になるが、気力・体力を考えれば仕方ないことと
割り切った。昔のように若くはない。健康を優先したのである。



テレビ観戦を終え、新年会に合流すると参加者面々から
「どうしてスタンド観戦しなかったのか?」
「絶対、何かあったんだろう」などなどと追求された。
私がスタンド観戦をキャンセルしたことは結構な驚きだったようだ。
事前にチケットを買いながらだからなおさらである。


観戦した者は冷たい風雨にさらされ厳しい状況だったはずだが、
みえみえの虚勢を張る。
「スタンドは意外と暖かく、小春日和(こはるびより)だった」
「あまりに暖かいので、うとうと居眠りする者が続出した」


そんなネタを肴に酒食を囲んだ。
上記の写真は、夜に新宿および中野(二次会)で行なった新年会のものである。

2008年1月11日金曜日

ラグビーシーズン(決勝前練習 早大ラグビー部)   2008.1.11

選手達の決意表明    2008.1.11 14:04 (読者提供)


             ラインアウト    2008.1.11 14:55


タックル      2008.1.11    15:02


2008.1.11   15:03


五郎丸歩      2008.1.11 15:03





中竹竜二監督     2008.1.11 15:06


スクラム       2008.1.11 15:16

年始挨拶まわり    2008.1.11

            1月8日   12:32   小田急本厚木駅

休み明け二日目から今日まで四日間、年始挨拶まわりで忙殺されていた。
これで休み明けの倦怠感、憂鬱感は吹き飛んだ。


年始挨拶はアポなしで堂々と顧客訪問できる貴重な時期である。
アポなし訪問のことを私は「襲う」と呼んでおり、一部の例外を除いては
推奨していない。
普段は事前にアポをとったうえで訪問しないと空振りに終わる可能性が
あるし、訪問される側(顧客)にとっても突然襲われては仕事の邪魔になり
迷惑な場合も多いだろう。


イヌや猫は散歩する時、自らのテリトリーであることを示すために、
ところどころで自分の匂いを付けていく。
この行為をマーキングというが、我々の年始挨拶まわりもマーキングと
同類だと思っている。
顧客に忘れられないよう印象付けして、必要な時に思い出してもらうように
しなければならないのだ。


今年は年賀タオルを用意してみた。
営業マンたちが顧客に喜んでもらいたかったし、マーキングをより効果的に
したかったからである。狙い通り好評だった。
モノをもらうということは嬉しいことなのだと改めて確認した。


今週を外すと年始挨拶にふさわしい時期が終わってしまうから休む間もなく
多くの訪問件数をこなした。
さらに昨晩は接待もあり帰宅が遅かった。
今夜はさすがに疲れを感じている。
しかし計画以上にマーキングに成功した感触があるので精神的には
満足できる一週間だった。
今夜はゆっくり休みたい。

2008年1月7日月曜日

仕事始め(働くということ)  2008.1.7


2008年の仕事始めを終えて帰宅した。

企業の従業員になって30年経過するが、何年やっても休み明けは
心理的に辛い。(休み明け)前日の夜が特に最悪である。憂鬱な気分は当日の朝まで続く。つまり今朝まで気持が重たかったことになる。本当に、何年やってもこのパターンは不変だ。
もともと今の仕事と職場自体は嫌いではないので1日出勤すれば憂鬱病は
ケロっと治ってしまう。
今日一日を終えたので、明日からは普通に出勤できるだろう。
心理的にしんどいのは前日午後と当日だけのことである。
おそらく「5日働いて2日休む」生活リズムが崩れることと気楽な生活に未練が
あるからだと思う。
時間やミッションに拘束される生活に戻るのが嫌なのだ。
休みの魅力はこうした拘束から解放されるところにある。
つかの間の現実逃避感覚に浸っていた気もする。
この程度のことで憂鬱になったなら、健康で働けるということの幸せに思いを
馳(は)せなければならない。
朝きちんと起きて仕事に行くという、普通の人にとって当たり前なことがどれだけ
大切な習慣かを私は知っている。
仕事をするということは生活の糧のみならず、社会に参加するという
人間としての尊厳にまで関わる大切なファクターなのである。
私の実兄はここを誤って人生を狂わせてしまった。
そのおぞましい事例から、確信を持ってそう言える。
さぁ、ブツブツ言わず明日からまた仕事だ。

写真   御殿場から見た富士山(読者提供)