2008年9月30日火曜日

普通の生活の尊さ  2008.9.30

普通の生活の尊さを改めて知る。



布団で寝ることのできる有難さ。
食事ができる有難さ。
風呂に入れる有難さ。
家族のいる有難さ。
寒さ、暑さをしのげる有難さ。
仕事のある有難さ。
ささやかなる楽しみのある有難さ。



”当たり前”を大切にして生きていかなければ。



追伸


昨日の夕方、兄から電話があり連絡がつきました。
会社を早退して、久が原で久しぶりに会い、喫茶店で
あれこれ話しました。
ガリガリに痩せこけたホームレスでした。

2008年9月28日日曜日

実兄のこと  2008.9.28

読者の皆さんは今朝、どこで目覚めただろうか?
もちろん自宅だと思う。
当たり前、当然のことであえて尋ねるまでもない。
しかし、私の実兄は自宅を失っており公園などの野外で
夜を越しているはずである。



彼は入居している賃貸住宅の家賃を滞納し、9月17日付で
住宅に立ち入る権利を失っていることが判明した。
私がその事実を知ったのは今月の21日のことだ。
たまたま入居にあたって仲介した不動産業者(蒲田)に別件で
連絡を取ったときに知らされて仰天した。



18日に不動産業者のところに顔を出し、「昨夜野宿をした。
泊まるお金もないので貸して欲しい」と言ってきたそうだ。
業者からお金を借りた後は連絡はないという。



携帯電話にかけても通じない。
こちらも滞納して通話を止められているのだろう。
昨日、私は彼の現れそうな場所3件および警察署を廻ってきた。
警察に行ったのは、彼の身に何かあった場合に備えてのことである。



ひとまず不動産業者、親戚など、彼が現れたら私の携帯電話に
連絡するよう依頼してきたが、今もって彼から連絡はない。



彼がこんな状態になった理由といきさつは身内の恥でもあり
省略させて頂きたい。
様々な要因で正常な金銭感覚が破壊された結果である。



今、私は無事であることを祈りながら彼からの連絡を待っている。
徐々に外の気温が下がってきているのが不安感を増幅させている。

2008年9月27日土曜日

政権交代の予感   2008.9.27

麻生内閣が発足した。
国民の信を問う衆議院議員選挙が11月にも行われる
とのこと。



私は今回の選挙は自民党にとって大変危険な選挙だと
思っている。
民主党にスキャンダル、内紛など何らかのミスがない限り
ひょっとすると政権交代が起きる予感がするのだ。
古くは古賀議員の学歴詐称問題、永田議員の偽メール事件
など、やらなくてもよいミスで国民をあきれさせた前科がある。
党幹部も高い授業料を払ってきたから、今回は脇を固めて
いることであろう。


一方、自民党はライバルの攻撃材料を手を尽くして探して
いるに違いない。
それは民主党も同じ。
事務所経費をはじめ、大臣の周辺に狙いを定めて調査して
いるはずだ。



政権交代自体は悪いこととは思わない。
デモクラシーのあるべき姿とも言える。
問題は交代した新政権が長続きしない場合、政治が不安定に
なることにある。
国家の手がける事業はそれなりの時間とお金を必要とするから
政策の軸がブレると結局は国民にそのツケがまわってくる。



企業も適度な組織変更・人事異動は必要だが、あまりいじくり
まわすとロクな結果にはならない。
従業員が浮ついて、つまり「どうせまた変わるだろう」と考えて
腰をすえて業務に取り組まなくなるのである。



安倍政権、福田政権は短命で脆かった。
政治の不安定をもたらした責任は重い。
それだけに今回の選挙では、政権交代が起こる可能性を
感じるのだ。

2008年9月25日木曜日

たそがれの銀座  2008.9.25




夏から秋への移り変わりが足早に起きている。
暑いような涼しいような。
色で言えば中間色を行き来している状態だ。



デジタルで表現すれば、もう秋だろう。
空を眺めればわかる。
この写真の空は、すでにもう秋なのである。

2008年9月23日火曜日

秋分の日  2008.9,23

             つくつくぼうし   撮影 9月23日


秋分の日である。



休日だが自宅で仕事をしていた。
先日のイベント関連データの整理である。
ゆっくり休みたかったのだが仕方がない。



昨晩は疲れていたから、残業せずにすぐに帰宅した。
能率が上がらないだろうと思ったからである。



朝、目覚まし代わりに歩いてきた。
空や木々に秋の気配を感じた。
つくつくぼうし(セミ)がまだ鳴いていた。



まだ仕事が残っている。
残念だが、今日はここまで。












2008年9月20日土曜日

いつも音楽と共に生きてきた(誰もいない海) 2008.9.20

撮影   9月13日


昨日、今日の二日間、取引先のイベントで忙殺されていた。
二ヶ月前からコツコツ準備してきた大切なイベントである。


従来は先輩社員が取り仕切ってきたが、後を引き継いだ私が
全てを取り仕切ることになった。
つまり私にとっては初めての体験であった。
つまらない失敗をしたくないので、この二ヶ月間はずっと軽い緊張を
強いられてきた。



なんとかかんとか終了して、今夜ようやく重圧から解放された。
そんな今、疲弊した私の心を癒すのがトワ・エ・モアの「誰もいない海」
である。
たまたま先日部屋の掃除をしていて音源を見つけたのだ。
私はこの歌が好きだ。
こんないい歌はなかなかない。




誰もいない海   作詞:山口洋子

今はもう秋 誰もいない海
知らん顔して 人がゆきすぎても
私は忘れない 海に約束したから
つらくても つらくても死にはしないと


今はもう秋 誰もいない海
たった一つの 夢が破れても
私は忘れない 砂に約束したから
淋しくても 淋しくても死にはしないと


今はもう秋 誰もいない海
いとしい面影 帰らなくても
私は忘れない 空に約束したから
ひとりでも ひとりでも死にはしないと



以前、トワ・エ・モアが好きだと書いたが、私の中のベストは
やはりこの歌である。
夏にあれだけ賑わった海岸が、秋を迎えて人影が消える。
辛いことがあっても生きていくんだ、と海を見ながら誓ったから
負けることはない・・・
当時、中学生だった私はこの詞の素晴らしさに感激した。



ちょっぴり疲れた今夜、滲みて滲みて仕方がない。
もちろん山室英美子の美声あってこその「誰もいない海」である。

2008年9月15日月曜日

部屋の整理  2008.9.15

             撮影:9月13日 夕方




三連休もあっという間に終わった。
休みは短く感じるものである。



休み前の金曜日に22時半まで会社で仕事をしていたせいか
連休初日はかなりの疲れを感じていた。
毎回書くのだが、年齢(とし)には勝てない。
身体は正直である。
この三連休は睡眠時間が長かった。



今日は一念発起して部屋の掃除に取り組んだ。
不要なものを捨てたり、個人情報を含む書類や会社情報は
シュレッダーで切り刻んだ。
それでも物理的に収納不能であると悟り、ニトリ家具へ行って
本棚を注文してきた。
九州のメーカーなので配送は24日になるという。



掃除は取り掛かるまで億劫だが、済ませるとすっきりするもの
である。
所有していたことを忘れている品物を見つけたりすると得した
気分になる。
これから月に一回は整理整頓するのも悪くない。
そう感じた午後だった。


2008年9月14日日曜日

銭湯へ行く(松葉浴場) 2008.9.14




銭湯へ出かけた。
流行のスーパー銭湯ではなく、普通の銭湯だ。



自宅からクルマで約15分。
川崎市麻生区百合丘に松葉浴場がある。
かつては頻繁に通ったこともあったが、ここ数年行くことは
なかった。
先週あたりから無性に行きたくなり、今日ようやく実現した。



ここの売りは露天風呂とサウナ(オプション:300円)だ。
サウナでたっぷり汗をかいて、水風呂で身体を冷やす。
これを数回繰り返すのだ。
脱水症状が怖いから風呂場の飲料水は充分に飲む。



今日はサウナ → 水風呂を5回繰り返した。
流れ出す汗とともに会社でのストレスも一緒に体内から消えて
いく気がする。
最後は泡の出るジェット風呂でゆったりと手足を伸ばして
くつろいできた。
燃料代高騰を理由に露天風呂が利用できなかったのは残念だった。
ここの露天風呂には、3メートルの高さからお湯が落ちてくる
「うたせ湯」がある。
肩や腰に浴びるとマッサージと同じ効果があり気持よい。



ここのところ会社でのストレス、しかも性質(たち)の悪いストレスを
自覚していた。
数日前から松葉浴場に行きたくなっていたのはそのせいだ。



入浴料450円、サウナ300円、合計750円で楽しむことができる。
会社でのストレスは当分続くであろうから、松葉浴場へ通う機会が
多くなるかもしれない。




             駐車場







2008年9月11日木曜日

米国同時多発テロ  2008.9.11

            早朝の銀座   撮影:2008年6月



米国同時多発テロから7年が経過した。
あの日(2001年9月11日)の夜は鮮明に覚えている。



当時の私は勤務先が千葉市内で、横浜市青葉区から
朝晩二時間以上かけて通勤していた時期である。
あの晩は翌朝、銀座で新製品勉強会があるため自宅で
ゆったりとくつろいでいた。
千葉へ出勤する必要がないから、早朝に起床しなくても
よかったからである。



そんなくつろいだ気分でテレビを観ていた時に、ニュース
速報が入った。
「ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が突入し
爆発炎上」というような第一報だった。
これは大変だとは思ったが、まさか計画的なテロだとは
思いもしなかった。
テレビを観ていた人は誰しもそうだったと思う。



あの事件を引き金に世界は変わった。
ブッシュ大統領は「これはテロではなく戦争だ」と発言した。
米国は躊躇することなく、タリバーンへの報復のためアフガン戦争
開始の意思決定を行った。
旅客機乗客への厳重な検査も常態化した。



歴史に残る大事件を、多くの人がライブ放映で確認したきわめて
特異なケースでもあった
犠牲になった罪のない方々の冥福を祈るとともに、二度と起きて
欲しくないと切に願う。

2008年9月8日月曜日

勤続30年   2008.9.8




企業従業員になってこの春で30年を迎えた。




山あり谷あり、天国あり地獄ありの30年だったが、
私の中であるターニングポイントが存在したことを忘れる
ことはない。
それは自らの人生観、価値観を変えるような体験だった。



35歳の頃、関西の販売子会社に出向した時のことである。
販売会社に出向するのは初めての経験だった。
実際の顧客に対し、自社製品を人並みに販売できるかどうか
最初は不安で不安で仕方がなかった。
出向する前日の晩、不安感にいたたまれず寝る前の布団に
正座して私は真剣に祈ったものである。



出向してからは、不安を打ち消すために朝から晩まで仕事に
没頭した。
必要があれば土日を犠牲にすることも平気だった。


法人訪問販売の成果は努力に比例する。
最初の三ヶ月で思った以上の成果が出た。
成果が出ると今度はその状態を維持したいという気持になり、
ますます頑張った。
運にも恵まれたのだと思う。
一年目を終わってみたら、自分でも驚くくらいの成績を残すことが
できていた。



販売会社は成果をあげた者にあつい報奨で報いる。
5月にハワイ報奨旅行が待っていた。
旅費、宿泊費は会社持ち。数万円の小遣いまで出た。
ゴルフをしたり観光をしたり、実に楽しい報奨旅行だった。
一年間、身を粉にして頑張った努力が報われたと感じた
ものである。
報奨旅行に選ばれた自分が誇らしくもあった。



ハワイに行って三日目くらいの夕方だったと思う。
ホテルのベランダから浜辺を眺めていた時のことだ。
ワイキキの浜辺を欧米人がゆったりと散歩する姿を目にした。
その瞬間に私は悟った。
こんな素晴らしい場所でくつろぐためにヒトは一生懸命働くのだ、と。



それまでの私は単なる仕事中毒だった。
仕事の中に喜びを感じ、仕事の成果を出すことに最大の価値観を
置いていた。

本当の幸福はそこにあるのではない。
地上の楽園のような場所で心と身体を遊ばせる・・・
そのために仕事に励むのだと、その時に気付いたのだ。



ついつい仕事に夢中になりがちな自分だが、この気持は今に
至るまで変わっていない。

仕事は仕事。
それは幸福になる手段であって、目的になってしまっては悲しい。

2008年9月7日日曜日

野口英世  2008.9.7







小学校低学年の頃、野口英世の伝記を繰り返し読んだ。





猪苗代湖近くの貧しい家庭に生まれた彼は、食べていくのが
やっとの経済事情のなかで一生懸命学業に励んだ。
幼い頃、囲炉裏に落ちて火傷を負い指が不自由になるという
ハンディも背負った。
学校では級友に指のことをからかわれた経験を持つ。
さまざまな支援者に支えられ、やがて東京へ出て研究者として
身を立て、最後はアフリカで黄熱病を発症し亡くなった、というのが
大まかな彼の生涯である。


当時は亡くなる場面が悔しくて、読み返すたびに内容が変わって
欲しいと思ったものだ。


今思うと、この伝記を繰り返し読んだことで、ものごとに努力するという
価値観が私の中に埋め込まれた気がする。
新しい仕事に取り組むとなかなか上手にこなせない自分がいる。
それでもなんとか打開しようと努力するのだが、そんな時、心の芯に
野口英世がいることを感じるのである。






2008年9月3日水曜日

政変、再び   2008.9.3

福田総理の辞任は予想していなかっただけに驚かされたし、
意外だった。
うかつにも9月1日の晩はニュースを観なかったので、総理の
辞任を知ったのは翌朝だった。



忘れもしない昨年9月12日の安倍総理辞任に続いて、これで
任期途中での退場が連続する結果となった。
自公政権にとっては正真正銘の危機である。
次は麻生さんが有力視されているようだ。



同じ辞任でも、安倍さんと福田さんでは状況が違っている。

◆安倍さん◆

参議院議員選挙で大敗したが、そのまま続投したのが
たたったと思う。
内部からも野党からも選挙敗北責任を問う声はなかなか
収まらなかった。
若いから将来があり、相当無理をしたようである。
最後は食欲まで落ち、おかゆしか食べられなくなった。
心身ともに疲労困憊し、まさに矢折れ刀つきた感があった。


◆福田さん◆

辞任の真相はわからない。
私はこう推測している。

①参院で妥協と我慢を強いられ、政局運営が困難だった。
②高齢だから自分の将来にこだわりが薄く、安倍さんのように
  ボロボロになるまで我慢する動機が薄い。
③定額減税は彼のシナリオには全くなかった。
  これでやめる決心が確固たるものになった。



総裁選に小池さんが立候補するかもしれない。
仮に手を挙げても今回は難しいと思う。
しかし、自民党総裁選は立候補すること自体に意義がある。
小泉さんもそうだったように、何度か候補として立つうちに
やがて選出されるのが自民党のシステムである。
つまり将来を見据えた行動なのである。

 

2008年9月1日月曜日

いつも音楽と共に生きてきた(ビリー・バンバン) 2008.9.1

林     撮影 8月31日




ビリー・バンバンのアルバムは持っていない。
コンサートに行ったこともない。
けれども彼らの歌う「白いブランコ」はいつも私の心のなかにある。




白いブランコ  作詞:小平なほみ

君はおぼえているかしら
あの白いブランコ
風に吹かれて ふたりでゆれた
あの白いブランコ
日暮はいつも淋しいと
小さな肩をふるわせた
君にくちづけした時に
やさしくゆれた 白い白いブランコ



私の思い出の中に白いブランコは存在していない。
風に吹かれながら一緒に揺られた彼女がいた事実もない。
ましてや、ブランコのそばでくちづけをしたことは一切ない。
つまり、自分の記憶とダブるから感じ入っているのではない
のである。



この歌を聴くたびに分析してしまう。
きっと若い頃から、こんな恋愛体験を持ちたかったという
憧れの姿を歌っているから好きなのだ、と。
そういう歌は多い。
「あの素晴らしい愛をもう一度」もそんな歌のひとつだ。



あの時 風が流れても
変わらないといった 二人の心と心が
今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
(作詞:北山 修)



たとえ同一経験がなくとも心に響く歌は確かにある。
だから、歌って素晴らしい。
今夜も「白いブランコ」を聴きながら、しみじみとした
気分になっている自分がいる。