2008年11月27日木曜日

実兄のこと その後  2008.11.27

11月もまもなく終わる。
いつもの繰り返しになるが、月日の経過スピードは実に速い。
またたく間に1年がたってしまう。



昨日、会社を午後早退して兄の入院に付き添った。
入院先は三鷹市内の精神科病院である。
ここまでたどり着くまでに結構な時間を要してしまった。



兄がホームレスになったことを知ったのは9月下旬である。
彼の行動範囲に網を張った結果、連絡がつき再会を
果たしたのが9月末のことだ。
ここ3年ほど私と兄は絶縁状態だった。



再会して2ヶ月のうち、はじめの1ヶ月は数少ないアテを求めて
さまよう彼を、なんとか生活保護のルートへ導くために費やした。
ホームレスになる前、つまりお金に余裕のあった時期に金銭を
施した人のところへ救済を求めに行ったり、いよいよ困り果てて
親戚の家に転がり込んだり、彼もサバイバルにもがいていた。
いつまでも親戚の家に世話になれない以上、そこから彼を
追い出して一刻も早く行政の生活保護下におかないと寒い冬を
迎えてしまう。
私も内心、焦っていた。



紆余曲折の末、なんとか生活保護の流れに乗ったのが
10月28日のことである。
都の路上生活者緊急保護センター(世田谷区喜多見)に
役所の誘導で彼は入所した。
入所する前日、本人から私に連絡が入りそのことを知った。
私もひとりで役所に足を運び、スタッフからどんな施設なのかを
情報収集した。


これでひと安心かと思ったのも、つかの間。
事態はそんなに甘くなかった。
役所スタッフから私に連絡が入ったのは保護センター入所の
わずか1週間後だった。
他の入居者とうまくやっていけず退去させられてしまったことを
告げられた。
その後、やはり役所の紹介でNPO法人が経営する福祉施設に
入所するも、そこでもトラブルを起こして2泊で退去させられた。

その後は役所が川崎市の簡易宿泊所(俗称:ドヤ)へ彼を
泊まらせたが、そこでもトラブルを起こし一晩で宿泊を断られて
しまった。

この時点で、役所の係員からは精神科入院のプラン
勧められた。
あちらこちらでトラブルを起こす彼の精神的疾患を感じ取った
からである。入院には弟である私の同意が必要だが、無条件で
そのプランに賛成した。
ここ数年の彼の不可解な行動は精神疾患によるものだと
確信していたからである。



彼と再会してちょうど2ヶ月になる昨日、精神科病棟に入院
できたことになる。
はじめの1ヶ月で生活保護の流れに乗り、2ヶ月で精神疾患
治癒の徒についた。



まだまだ先は長いと思う。
でも私は彼の再起に希望を抱いている。
彼にはもう、かつてのような贅沢な生活は待ってはいない。
しかし、彼の残された時間を穏やかな心で、静かに慎ましく
送ってもらいたいと心から願っているし、それは可能だと
信じているのである。