2013年8月16日金曜日

人生を語る   2013.8.16

上野恩賜公園    by GR DIGITAL Ⅲ
 
 
 
 
吉田拓郎が「今はまだ人生を語らず」をリリースしたのは1974年のこと。
彼の年齢はおそらく25くらいだっただろう。
当時18歳で若かった私は、なんと素晴らしい詩だろうかと
とても感動したものだ。
そうだよな、まだ未来を見て進まなくちゃ。振り返るには
まだ早い、と彼の曲をレコード針が擦り切れるほど聴きかえした。
未来に良いことがあるはずという、漠然たる夢があった。
 
 
 
そんな私も今は58歳。
人生を語る年齢になった。
だからこのサイトで日々、ささやかなる人生の断片を書き綴っている。
 
まだ現役の企業従業員ゆえ、書けることと書けないことはある。
人として書いてよいこと、書いてはいけないこともある。
大人だから当たり前のことだ。
 
 
 
中学生の時のあの選択。
高校でのあの振る舞い。
大学でのあの行動や選択。
致命的ではないけど賢明ではなかったなと悔やむことがある。
大袈裟ではなく、今に至るまでずっと引きずって私の性格の一部を
形成していることが存在する。
 
 
 
そもそも進んだ大学の選択は正しかったのか。
今でも答えは出ないし、死ぬまで出ることはないだろう。
18の春。
浪人して別の選択肢にかける自由は持っていた。
 
 
よしんば大学の選択が正しかったとしても、大学生活の送り方、
選んだ語学、バイト、部活動・・・
明らかな打ち手のミスは多い。
 
 
 
今の企業に入ってから35年以上の歳月がたつ。
たまたま選んだ会社の業績が伸び盛りの、恵まれた35年だった。
この幸運には感謝するしかない。
会社人生、馬鹿だったと反省する判断や行動もあった。
我ながらよくやれたと誇れる時期ももちろんあった。
今でも許せない上司もひとりふたりいた。
感謝にたえない上司のほうが多いが。
 
 
 
嫁の選択も正しかったと確信している。
おかげで楽しく堅実に歩んでくることができた。
 
 
 
ここ最近の判断と選択には結構満足できている。
積み重ねてきた過去の失敗、そこから導き出した教訓が
仕事、趣味、交友、金銭など多方面に活きてきていることを実感している。
少しは賢くなったのかもしれない。
 
 
 
これから先をいかに充実して暮らすか。
これが肝心。
過去は変えられないが未来は意識によって創ることができる。
今から60歳代の10数年はまだ身体の自由がきく貴重な時間だ。
健康と事故に注意して、落ち着いて穏やかに送りたい。
身の丈に合った楽しみ、充実した時間を追求していきたい。