アルザス地方(そしてロレーヌ地方の一部)は、近代史における独仏の国境紛争の象徴的な地域です。時系列で解説します。
アルザスはもともと神聖ローマ帝国の一部で、住民の多くはドイツ語系のアルザス語(アレマン語系方言)を話す人々でした。文化的・言語的にはドイツ寄りでしたが、歴史の中でフランスに編入されていきます。
フランスへの編入(17世紀)
三十年戦争(1618-1648年)の結果であるウェストファリア条約(1648年)で、アルザスの大部分がフランス王国領となりました。
その後、ルイ14世の時代にストラスブールなども併合され、17世紀末までにアルザスはほぼ完全にフランス領となります。
普仏戦争とドイツ帝国への割譲(1871年)
普仏戦争(1870-1871年)でフランスがプロイセンに敗北。
フランクフルト条約(1871年)により、アルザスとロレーヌの一部(ドイツ語で「エルザス=ロートリンゲン」)がドイツ帝国に割譲されました。
この喪失はフランスにとって大きな屈辱となり、以後「失われた州」として国民感情に深く刻まれ、第一次大戦へ向かうナショナリズムの一因ともなります。
第一次世界大戦後、フランスへ復帰(1918年)
ドイツの敗戦により、ヴェルサイユ条約(1919年)でアルザス=ロレーヌはフランスに返還されました。
第二次世界大戦中、再びドイツへ(1940年)
ナチス・ドイツがフランスを占領した際、アルザスは事実上ドイツに再併合されました。
現地の若者は強制的にドイツ国防軍やSSに徴兵され(通称「マルグレ・ヌー」=「意に反して」)、これは戦後もアルザスの人々にとって痛ましい記憶として残っています。
戦後、フランスへ最終的に復帰(1945年)
ドイツの敗戦とともにアルザスはフランスに戻り、以後現在までフランス領です。
現在の姿
数世紀にわたる領有権の変遷の結果、アルザスは独仏両方の文化が混ざり合った独特の地域性を持っています。
建築様式(木骨造りの家々など)はドイツ的な雰囲気を色濃く残す
料理(シュークルート、フラムクーヘンなど)も独仏折衷
地名や人名にドイツ語由来のものが多い
一方で言語・行政・アイデンティティは完全にフランス
こうした歴史的背景があるからこそ、カイゼルスベルグのような町の景観は、フランスというよりむしろ「ドイツの寓話に出てきそうな村」に見えるわけです。この地域は独仏和解の象徴ともされ、現在はEU統合の理念(欧州議会がストラスブールに置かれているのもその一環)とも結びついています。
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