2009年9月5日土曜日

顔は心の鏡  2009.9.5


                  赤いAudi(彫刻の森美術館)


顔について書いてみる。


自分の顔を気にしない人はいないだろう。
毎朝、鏡で対面しながら「俺も随分と老けてしまったな」とか「もう少しいい顔で
生まれたかったな」などと考える。
また、うれしいことがあった時は生き生きとした表情をしているものだし、逆に
悩みの渦中にいる時は生気の乏しい表情になっている。
まさに顔は心の鏡である。



顔は人の人生に大きな影響を与える。
美男美女に生まれた人は、うまく人生を運べば生涯を通じていろいろ利点は
大きいと思う。
少なくとも若いうちのアドバンテージはかなりのものがあるだろう。
あたかも親から大きな金銭的財産を受け継いだようなものだ。
しかし、親からの財産を生かしきれず、人生に成功できない人がいるように
たとえ美男美女に生まれても、そのアドバンテージだけでは幸福に生き抜いて
いけない人もいる。



両親から受け継いだ生まれつきの顔に、長い間に形成される考え方とか
生き方そのものが人の顔には刻まれていく。
40歳以上の顔には責任を持て、と言ったのはリンカーンだっただろうか。
ワシントンだっただろうか。
誰が言ったにせよ、その意見には同感だ。



顔は心の鏡だから日常思っていることが日々一刻一秒、刻まれていく。

いつもイジワルなことを考えている人はイジワル顔になっていく。
親切な気持で生きている人は親切な顔になっていく。
尊大な気持で生きていると尊大な、偉そうな顔になっていく。
暗い考え方で生きている人は暗い顔つきになっていく。

そういうものだ。
今まで生きてきて多くの人に接してきたが、一人として外れたためしはない。
長い年月を経ると、人の顔にはしっかりと生き方・考え方が刻まれている。



整髪や化粧に気を使うことは基本的身だしなみ、マナーの領域に属することと
して必要なことだ。
しかし、それ以上に大切なのは日常、心の中に流れる考え方をどう制御して
いくかだと思う。
喜怒哀楽は尽きないし、他人の不幸は蜜の味という感情も沸くことだってある。
他人と我が身を較べて嫉妬心がもたげることもある。
人間とはそういうものである。



大切なのはその事実を受け止めながら、下向きの感情にとらわれることなく
心をきれいにする努力を怠らず、真摯に生きていくことだと思う。
世の中を甘く見たり、他人を恨んでばかりいたり、否定的にばかりみていると
そんな顔になってしまうのだ。



逮捕された押尾学の映像を見ていると、美形、イケメンであることは間違いない。
しかし、その顔には尊大さ、ズルさが色濃く刻まれていることに気付く。
顔は正直である。