2007年6月10日日曜日

いつも音楽とともに生きてきた  大瀧詠一      2007.6.10


私が音楽との関わりあいを語るときに、大瀧詠一
はずすことができない存在だろう。

彼の豊かな才能に初めて触れたのは23歳の頃。社会人1年目の札幌においてである。(1978年)当時、高校時代の同級生 H.K が北大生4年で在学しており、仕事の合い間をぬってちょくちょく一緒に遊んでいた。H.K から教えてもらったアルバムが「NIAGARA CALENDER '78」だった。

1月から12月まで計12曲が収録されたアルバムを聴いて、音楽センス・ユーモアセンスにたちまち魅了された。これはすごいぞ本物だ、と思った。

SIDE A
1月  Rock'n Roll お年玉
2月  Blue Valentine Day
3月  お花見メレンゲ
4月  Baseball Crazy
5月  五月雨
6月  青空のように

SIDE B
7月  泳げカナヅチ君
8月  真夏の夜の夢
9月  名月赤坂マンション
10月 座 読書
11月 想い出は霧の中
12月 クリスマス音頭

これら曲の中で私に「すごい、本物だ」と思わせたのは、「Blue Valentine Day
青空のように」、「真夏の夜の夢」「座 読書」である。
H.K は「座 読書」の歌詞中の「・・・落ちる餅・・・」というフレーズがお気に入りだった。
真夏の夜の夢」を聴いていたファンなら、後の名盤「A LONG VACATION」の
大ヒットは当然のこととして受け止めることができたはずだ。

SIDE A
君は天然色
Velvet Motel
カナリア諸島にて
Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語
我が心のピンボール
SIDE B
雨のウェンズデイ
スピーチ・バルーン
恋するカレン
FUN×4
さらばシベリア鉄道

この名盤によって大瀧詠一は一気に有名になり、伝説になった。
おそらく巨額の印税を手にしたことであろう。
その後の彼は、多くの歌手へ曲を提供してヒットを量産する。

風立ちぬ    松田聖子
冬のリヴィエラ 森進一
熱き心に    小林旭
夢で逢えたら  吉田美奈子

残念なことに、最近は彼の名前を聞くことも少なくなってしまった。
10年前、「幸せの結末」で復活して喜んだのもつかの間、また
「勉強家」生活へ戻ってしまったのだろうか。
2011年に復活するとの噂があり、先の楽しみとして残しておきたい。

素晴らしきかな この才能。 大瀧詠一は本物だ。