カタヤキソバ(日高屋)
昭和30年代の高幡不動の賑わいについて、Gemini に尋ねてみた。
さすがは Gemini 、あなたは何でも知っている。
質問
今から65年~60年前のこと。日野市の高幡不動まで電車を乗り継ぎ、そばを流れる川で日帰り避暑に行った記憶がある。当時は避暑客がそこそこいたのでしょうか?
回答
今から60〜65年前というと、昭和30年代後半から昭和40年代初頭(1960年代)にあたります。
結論からお伝えすると、当時の高幡不動周辺や浅川(あさかわ)の河原は、都心や近隣から手軽に行ける日帰りの行楽地・水遊び場として、多くの人でにぎわっていました。 記憶の通り、当時の避暑客や行楽客は確実にたくさん訪れていました。
当時の様子や背景には、以下のような特徴があります。
1. 浅川(浅川河川敷)での水遊びと涼み
高幡不動尊のすぐ北側には、多摩川の支流である浅川が流れています。
当時の浅川は、現在よりも川幅が広々と感じられ、綺麗な水流と広い砂利浜(河原)が広がっていました。
避暑・水遊びの定番: 当時はエアコン(クーラー)が一般家庭に普及しておらず(昭和30年代後半で普及率はわずか数%)、夏の暑さをしのぐために「綺麗な川で足を浸す・泳ぐ・涼む」という日帰り行楽が非常に人気でした。
水泳場・遊泳場として: 当時の浅川は近所の子どもたちや都心から電車でやってくる家族連れの水遊び場となっており、スイカを川の水で冷やして食べるような光景が日常的に見られました。
2. 京王線沿線の行楽地としての賑わい
1960年代は、京王線沿線の開発が進む一方で、高幡不動や多摩川・浅川沿いは「都心から電車一本で行ける身近な行楽・ハイキングコース」として定着していました。
新宿などから京王線に乗って日帰りできるアクセス性の良さから、夏場は涼と自然を求める行楽客が電車を乗り継いで集まっていました。
高幡不動尊参拝とあわせて、川辺で涼んだり、裏山の高幡山で木陰の涼を楽しんだりするスタイルが人気を集めていました。
3. 昭和30〜40年代の行楽スタイル
当時は遠出の旅行(信州や箱根など)は一苦労だったため、電車で1時間程度で行ける「多摩地域の川辺」(浅川、多摩川の関戸橋付近、秋川渓谷など)は、庶民にとって最高の夏のレジャースポットでした。
川のせせらぎや風に当たりながら涼んだ当時の記憶は、まさに昭和の東京郊外における活気ある夏の風物詩そのものです。当時の賑わいは、気のせいではなく間違いなく本物の光景でした。