2008年9月23日火曜日

秋分の日  2008.9,23

             つくつくぼうし   撮影 9月23日


秋分の日である。



休日だが自宅で仕事をしていた。
先日のイベント関連データの整理である。
ゆっくり休みたかったのだが仕方がない。



昨晩は疲れていたから、残業せずにすぐに帰宅した。
能率が上がらないだろうと思ったからである。



朝、目覚まし代わりに歩いてきた。
空や木々に秋の気配を感じた。
つくつくぼうし(セミ)がまだ鳴いていた。



まだ仕事が残っている。
残念だが、今日はここまで。












2008年9月20日土曜日

いつも音楽と共に生きてきた(誰もいない海) 2008.9.20

撮影   9月13日


昨日、今日の二日間、取引先のイベントで忙殺されていた。
二ヶ月前からコツコツ準備してきた大切なイベントである。


従来は先輩社員が取り仕切ってきたが、後を引き継いだ私が
全てを取り仕切ることになった。
つまり私にとっては初めての体験であった。
つまらない失敗をしたくないので、この二ヶ月間はずっと軽い緊張を
強いられてきた。



なんとかかんとか終了して、今夜ようやく重圧から解放された。
そんな今、疲弊した私の心を癒すのがトワ・エ・モアの「誰もいない海」
である。
たまたま先日部屋の掃除をしていて音源を見つけたのだ。
私はこの歌が好きだ。
こんないい歌はなかなかない。




誰もいない海   作詞:山口洋子

今はもう秋 誰もいない海
知らん顔して 人がゆきすぎても
私は忘れない 海に約束したから
つらくても つらくても死にはしないと


今はもう秋 誰もいない海
たった一つの 夢が破れても
私は忘れない 砂に約束したから
淋しくても 淋しくても死にはしないと


今はもう秋 誰もいない海
いとしい面影 帰らなくても
私は忘れない 空に約束したから
ひとりでも ひとりでも死にはしないと



以前、トワ・エ・モアが好きだと書いたが、私の中のベストは
やはりこの歌である。
夏にあれだけ賑わった海岸が、秋を迎えて人影が消える。
辛いことがあっても生きていくんだ、と海を見ながら誓ったから
負けることはない・・・
当時、中学生だった私はこの詞の素晴らしさに感激した。



ちょっぴり疲れた今夜、滲みて滲みて仕方がない。
もちろん山室英美子の美声あってこその「誰もいない海」である。

2008年9月15日月曜日

部屋の整理  2008.9.15

             撮影:9月13日 夕方




三連休もあっという間に終わった。
休みは短く感じるものである。



休み前の金曜日に22時半まで会社で仕事をしていたせいか
連休初日はかなりの疲れを感じていた。
毎回書くのだが、年齢(とし)には勝てない。
身体は正直である。
この三連休は睡眠時間が長かった。



今日は一念発起して部屋の掃除に取り組んだ。
不要なものを捨てたり、個人情報を含む書類や会社情報は
シュレッダーで切り刻んだ。
それでも物理的に収納不能であると悟り、ニトリ家具へ行って
本棚を注文してきた。
九州のメーカーなので配送は24日になるという。



掃除は取り掛かるまで億劫だが、済ませるとすっきりするもの
である。
所有していたことを忘れている品物を見つけたりすると得した
気分になる。
これから月に一回は整理整頓するのも悪くない。
そう感じた午後だった。


2008年9月14日日曜日

銭湯へ行く(松葉浴場) 2008.9.14




銭湯へ出かけた。
流行のスーパー銭湯ではなく、普通の銭湯だ。



自宅からクルマで約15分。
川崎市麻生区百合丘に松葉浴場がある。
かつては頻繁に通ったこともあったが、ここ数年行くことは
なかった。
先週あたりから無性に行きたくなり、今日ようやく実現した。



ここの売りは露天風呂とサウナ(オプション:300円)だ。
サウナでたっぷり汗をかいて、水風呂で身体を冷やす。
これを数回繰り返すのだ。
脱水症状が怖いから風呂場の飲料水は充分に飲む。



今日はサウナ → 水風呂を5回繰り返した。
流れ出す汗とともに会社でのストレスも一緒に体内から消えて
いく気がする。
最後は泡の出るジェット風呂でゆったりと手足を伸ばして
くつろいできた。
燃料代高騰を理由に露天風呂が利用できなかったのは残念だった。
ここの露天風呂には、3メートルの高さからお湯が落ちてくる
「うたせ湯」がある。
肩や腰に浴びるとマッサージと同じ効果があり気持よい。



ここのところ会社でのストレス、しかも性質(たち)の悪いストレスを
自覚していた。
数日前から松葉浴場に行きたくなっていたのはそのせいだ。



入浴料450円、サウナ300円、合計750円で楽しむことができる。
会社でのストレスは当分続くであろうから、松葉浴場へ通う機会が
多くなるかもしれない。




             駐車場







2008年9月11日木曜日

米国同時多発テロ  2008.9.11

            早朝の銀座   撮影:2008年6月



米国同時多発テロから7年が経過した。
あの日(2001年9月11日)の夜は鮮明に覚えている。



当時の私は勤務先が千葉市内で、横浜市青葉区から
朝晩二時間以上かけて通勤していた時期である。
あの晩は翌朝、銀座で新製品勉強会があるため自宅で
ゆったりとくつろいでいた。
千葉へ出勤する必要がないから、早朝に起床しなくても
よかったからである。



そんなくつろいだ気分でテレビを観ていた時に、ニュース
速報が入った。
「ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が突入し
爆発炎上」というような第一報だった。
これは大変だとは思ったが、まさか計画的なテロだとは
思いもしなかった。
テレビを観ていた人は誰しもそうだったと思う。



あの事件を引き金に世界は変わった。
ブッシュ大統領は「これはテロではなく戦争だ」と発言した。
米国は躊躇することなく、タリバーンへの報復のためアフガン戦争
開始の意思決定を行った。
旅客機乗客への厳重な検査も常態化した。



歴史に残る大事件を、多くの人がライブ放映で確認したきわめて
特異なケースでもあった
犠牲になった罪のない方々の冥福を祈るとともに、二度と起きて
欲しくないと切に願う。

2008年9月8日月曜日

勤続30年   2008.9.8




企業従業員になってこの春で30年を迎えた。




山あり谷あり、天国あり地獄ありの30年だったが、
私の中であるターニングポイントが存在したことを忘れる
ことはない。
それは自らの人生観、価値観を変えるような体験だった。



35歳の頃、関西の販売子会社に出向した時のことである。
販売会社に出向するのは初めての経験だった。
実際の顧客に対し、自社製品を人並みに販売できるかどうか
最初は不安で不安で仕方がなかった。
出向する前日の晩、不安感にいたたまれず寝る前の布団に
正座して私は真剣に祈ったものである。



出向してからは、不安を打ち消すために朝から晩まで仕事に
没頭した。
必要があれば土日を犠牲にすることも平気だった。


法人訪問販売の成果は努力に比例する。
最初の三ヶ月で思った以上の成果が出た。
成果が出ると今度はその状態を維持したいという気持になり、
ますます頑張った。
運にも恵まれたのだと思う。
一年目を終わってみたら、自分でも驚くくらいの成績を残すことが
できていた。



販売会社は成果をあげた者にあつい報奨で報いる。
5月にハワイ報奨旅行が待っていた。
旅費、宿泊費は会社持ち。数万円の小遣いまで出た。
ゴルフをしたり観光をしたり、実に楽しい報奨旅行だった。
一年間、身を粉にして頑張った努力が報われたと感じた
ものである。
報奨旅行に選ばれた自分が誇らしくもあった。



ハワイに行って三日目くらいの夕方だったと思う。
ホテルのベランダから浜辺を眺めていた時のことだ。
ワイキキの浜辺を欧米人がゆったりと散歩する姿を目にした。
その瞬間に私は悟った。
こんな素晴らしい場所でくつろぐためにヒトは一生懸命働くのだ、と。



それまでの私は単なる仕事中毒だった。
仕事の中に喜びを感じ、仕事の成果を出すことに最大の価値観を
置いていた。

本当の幸福はそこにあるのではない。
地上の楽園のような場所で心と身体を遊ばせる・・・
そのために仕事に励むのだと、その時に気付いたのだ。



ついつい仕事に夢中になりがちな自分だが、この気持は今に
至るまで変わっていない。

仕事は仕事。
それは幸福になる手段であって、目的になってしまっては悲しい。

2008年9月7日日曜日

野口英世  2008.9.7







小学校低学年の頃、野口英世の伝記を繰り返し読んだ。





猪苗代湖近くの貧しい家庭に生まれた彼は、食べていくのが
やっとの経済事情のなかで一生懸命学業に励んだ。
幼い頃、囲炉裏に落ちて火傷を負い指が不自由になるという
ハンディも背負った。
学校では級友に指のことをからかわれた経験を持つ。
さまざまな支援者に支えられ、やがて東京へ出て研究者として
身を立て、最後はアフリカで黄熱病を発症し亡くなった、というのが
大まかな彼の生涯である。


当時は亡くなる場面が悔しくて、読み返すたびに内容が変わって
欲しいと思ったものだ。


今思うと、この伝記を繰り返し読んだことで、ものごとに努力するという
価値観が私の中に埋め込まれた気がする。
新しい仕事に取り組むとなかなか上手にこなせない自分がいる。
それでもなんとか打開しようと努力するのだが、そんな時、心の芯に
野口英世がいることを感じるのである。






2008年9月3日水曜日

政変、再び   2008.9.3

福田総理の辞任は予想していなかっただけに驚かされたし、
意外だった。
うかつにも9月1日の晩はニュースを観なかったので、総理の
辞任を知ったのは翌朝だった。



忘れもしない昨年9月12日の安倍総理辞任に続いて、これで
任期途中での退場が連続する結果となった。
自公政権にとっては正真正銘の危機である。
次は麻生さんが有力視されているようだ。



同じ辞任でも、安倍さんと福田さんでは状況が違っている。

◆安倍さん◆

参議院議員選挙で大敗したが、そのまま続投したのが
たたったと思う。
内部からも野党からも選挙敗北責任を問う声はなかなか
収まらなかった。
若いから将来があり、相当無理をしたようである。
最後は食欲まで落ち、おかゆしか食べられなくなった。
心身ともに疲労困憊し、まさに矢折れ刀つきた感があった。


◆福田さん◆

辞任の真相はわからない。
私はこう推測している。

①参院で妥協と我慢を強いられ、政局運営が困難だった。
②高齢だから自分の将来にこだわりが薄く、安倍さんのように
  ボロボロになるまで我慢する動機が薄い。
③定額減税は彼のシナリオには全くなかった。
  これでやめる決心が確固たるものになった。



総裁選に小池さんが立候補するかもしれない。
仮に手を挙げても今回は難しいと思う。
しかし、自民党総裁選は立候補すること自体に意義がある。
小泉さんもそうだったように、何度か候補として立つうちに
やがて選出されるのが自民党のシステムである。
つまり将来を見据えた行動なのである。

 

2008年9月1日月曜日

いつも音楽と共に生きてきた(ビリー・バンバン) 2008.9.1

林     撮影 8月31日




ビリー・バンバンのアルバムは持っていない。
コンサートに行ったこともない。
けれども彼らの歌う「白いブランコ」はいつも私の心のなかにある。




白いブランコ  作詞:小平なほみ

君はおぼえているかしら
あの白いブランコ
風に吹かれて ふたりでゆれた
あの白いブランコ
日暮はいつも淋しいと
小さな肩をふるわせた
君にくちづけした時に
やさしくゆれた 白い白いブランコ



私の思い出の中に白いブランコは存在していない。
風に吹かれながら一緒に揺られた彼女がいた事実もない。
ましてや、ブランコのそばでくちづけをしたことは一切ない。
つまり、自分の記憶とダブるから感じ入っているのではない
のである。



この歌を聴くたびに分析してしまう。
きっと若い頃から、こんな恋愛体験を持ちたかったという
憧れの姿を歌っているから好きなのだ、と。
そういう歌は多い。
「あの素晴らしい愛をもう一度」もそんな歌のひとつだ。



あの時 風が流れても
変わらないといった 二人の心と心が
今はもう通わない
あの素晴らしい愛をもう一度
(作詞:北山 修)



たとえ同一経験がなくとも心に響く歌は確かにある。
だから、歌って素晴らしい。
今夜も「白いブランコ」を聴きながら、しみじみとした
気分になっている自分がいる。

2008年8月31日日曜日

おそ松くんと書道塾    2008.8.31

             青空と雲   撮影:8月31日




記憶の底に沈み、長らく忘れていたことを突然思い出す
ことがある。
今日は漫画家・赤塚不二夫氏の訃報をきっかけに、蘇った
ことを書いてみたい。



小学校一年か二年の頃、思いたって近所の書道塾に
通いだした。老夫婦が営む、町の習字塾である。
二年~三年は続いたと思う。
習字塾に行こうと思ったきっかけが、赤塚不二夫の漫画
「おそ松くん」なのである。



少年サンデーに連載されていた「おそ松くん」は大好きな漫画の
ひとつだった。
なにしろ登場人物がユニークだった。
イヤミ、ちび太、デカパン、ハタ坊、ダ・ヨーンのおじさん・・・

とくにデカパンは好きだった。
大きなパンツの中から必要なものをなんでも出してくる。
おでんに目のないちび太のリクエストに応えて、パンツの中から
おでんを出したこともあった。
おもしろかったし、夢があった。
「・・・ダス」という語尾も好きだった。



私を習字塾に導いたのはイヤミである。
詳細は覚えていないが、その場面はしっかり覚えている。

①イヤミが人を逆さに抱えた。
②髪の毛をバケツに入っている墨汁に浸した。
③「お習字ザンス」と言いながら、新聞紙か模造紙のような
  大きな紙に字を書いた。

このシーンが当時の私にはおもしろくてたまらなかったのだ。
それが習字への興味につながり、母に「習字塾に行きたい」と
申し入れることになった。


今思うと私も単純だったとは思う。
しかし、赤塚不二夫の漫画が幼い私の行動に影響を与えた
ことは事実だったのである。




2008年8月30日土曜日

明日、ニッポン放送で  2008.8.30




日本列島に前線が停滞し、大雨をもたらしている。
昨晩は、私の住む横浜市青葉区も多量の雨が音を立てて
降った。
今晩も神奈川県全域に大雨警報が出ている。
大好きな散歩は明日もお預けかもしれない。



昨日、ノムラさんから連絡をもらった。
明日(8月31日)、午後1時から3時までニッポン放送に
吉田拓郎が出るとのこと。
ファンの方は聞き逃さないように願いたい。

2008年8月26日火曜日

厳しい時代  2008.8.26

             お祭り



涼しい日々が続いている。
朝の通勤電車では冷房が寒く感じるくらいだ。
明日からは上着を着用するつもりである。
冷房の寒さで体調を崩したくはない。



原油価格や工業製品の原材料高騰、農作物の高騰が
止まらない。
すでに多くの分野で最終消費者価格への転嫁(値上げ)が
始まっている。
一方、企業は従来のような業績を作れず厳しい状況が
続いている。



モノ・サービスの価格が上がるということは、実質所得が
下がるということに等しい。
今まで1,000円で買えたものが1,500円になれば、財布の
お金は早く減っていく。
さらに企業業績が良くない、ということは企業従業員への
還元が悪くなるということである。
つまり、給料・ボーナスが下がる可能性がある。
ダブルパンチである。



この状況が続くとすると、これからの日本はいばらの道が
待っていると言わざるを得ない。
蓄え(貯金、有価証券、不動産などの財産)がある人はいいが、
給与所得のみに依存している人・家庭の将来は明るくない。
生活水準を徐々に徐々に落としていかなければならないのでは
ないか。



企業が生き残るためには、どこでも誰でもできる製品・サービス
ではなく、お客様がお金を支払う気になる競争力の高い領域を
持つことが大切になろう。
トヨタのプリウス、任天堂のゲーム機、アップルのiPodなど
「他にない」製品を持っている企業は強い。



個人は生活を見直して不要な無駄を切り詰め、企業は
強い製品・サービスの開発に注力して、消費者に”選ばれる”
努力が今まで以上に必要だ。



厳しい時代を迎えているのである。
前提条件が変わらない以上、早めにそのことを自覚したほうが
良いと私は真面目に思っている。



2008年8月23日土曜日

大石八重子先生  2008.8.23

             白石サイクリングロードより   撮影:8月17日



特技、とまで言うと大袈裟だが私は魚を綺麗に食べるのが
上手である。
骨と頭だけを残し、身や皮を残さず食べる。
上手になったのは子供の頃に理由がある。
今でも魚を食べるたびに思い出すことがある。


小学生1年か2年の給食の時間に、担任の先生から
「か●●●くんはお魚(さかな)を食べるのが上手ね」と
褒められた。
それが当時とても嬉しかったのである。
そのことがきっかけで、もっと上手に食べられるようになろう、
という気になった。



褒めて伸ばせ、という教育の典型例だったのだと思っている。
先生はそんなつもりで言ったのではなかったのかもしれないが。

先生の名は大石八重子先生。
若くて色白のやさしい先生だった。
中学に進学した直後に、川崎市生田の自宅へ級友と遊びに
行った記憶がある。

今もお元気だろうか。
消息は知らない。
もしもお会いできたら、このエピソードをお話してみたい。

子供の頃の教育者の影響は計り知れないくらい大きいことを
実感する。
あの時、先生に褒められたことを私は生涯忘れないだろう。




2008年8月22日金曜日

人間ドック  2008.8.22

             函館美術館    撮影:8月11日



毎年、誕生月の8月に人間ドックを受けている。
今年も火曜日に受診した。



胸部レントゲン、バリウムによる胃の検診、超音波に
よる内臓検査、採血による検査、はては視力、聴力に
いたるまで全般的に検査する。
しかも会社負担である。
受診するたびに、ありがたい気持になる。



今年は肥満という以外は、ほぼ心配ない結果とのこと。
4月以降、従来にない若干のストレスを抱えて生活して
きたから少し心配ではあった。
胃部検診後、「とてもきれいで心配ありません」と言われ
ほっとした。



願わくばいつまでも心身とも健康でいたいものである。
明日のことは誰にもわからない。
健康維持への意識と努力だけは惜しまないつもりである。




2008年8月21日木曜日

夏の終り  2008.8.21

             夕暮れ    撮影:8月10日   ニセコにて



会社から帰る時、上空を黒い雨雲が覆っていた。
あざみ野駅に降りる頃には、すでに強い雨が降り空が
ピカピカ光り、雷がドン・ズドンと鳴り響いていた。



傘は持っているが、この雨ではモノの役にたたないことは
明らかだった。
駅構内で音楽(iPod)を聴きながら雨宿りをすることにした。



強い夕立は降り止むのも早い。
1時間もしないうちに小降りになったのでバスに乗って
自宅へと帰った。
いったん覚悟を決めてしまえば雨宿りも苦にならない
ものだ。



今週になって、朝晩が随分涼しくなったと感じる。
季節はもう夏の終りを迎えている。
子供の頃は夏が終わるのがとても寂しかった。
今では寂しさも皆無ではないが、過ごしやすさを喜ぶ
気持のほうが勝っている。







2008年8月19日火曜日

北京オリンピック  2008.8.19

白石サイクリングロード 撮影:8月17日




北京オリンピックもあと少しで終わる。
鍛え抜かれたアスリート達がしのぎを削る競技を
観るのは楽しい。



生きているうちに一度は現場で観戦してみたい。
アテネ大会の時もそう思った。
できれば勝負が速い陸上、水泳、柔道がいい。



今回、私が最も感激したのは女子レスリング48kg級の
銀メダリスト 伊調 千春が決勝で敗れた後のコメントである。
「馨と一緒に歩んだ日々は私の誇りです」



彼女は「姉妹で金」を合言葉に、アテネ大会後の4年間を
レスリングに捧げた 。
しかし、決勝でその夢はついえた。
さぞやがっかりしているかと思いきや、晴れ晴れとした笑顔を
浮かべているではないか。



本人のコメントにもあったが、やるべきことをすべてやった自負が
あるから結果を超越できる心理状態になれたのだと思う。
「私の誇りです」・・・なかなか言える言葉ではない。
彼女のこれからの人生に幸あれと祈る気持である。




             すすき




野イチゴ






2008年8月17日日曜日

いつも音楽と共に生きてきた(ローリングストーンズ) 2008.8.17

白石サイクリングロード(札幌市)の休憩所にて
             撮影:8月17日



小学校3年生で Beatles の素晴らしさに目覚め、以来いつも
私の音感、音楽観の中心をなしてきた。



小学校5~6年の頃、英米で  The Rolling Stones が台頭してきた
ことを知った。
Beatles が彼らに抜かれてしまうことは嫌だったので、当時は心が
穏やかではなかった。
だが、Stones にも好きな曲は多い。
今でも彼らの曲が頭の中を流れることがある。


Tell Me
Satisfaction
Paint It Black
As Tears Go By
Let's Spend The Night Together
Ruby Tuesday
Mother's Little Helper
Under My Thumb
Lady Jane
Jumpin Jack Flash
Sympathy For The Devil
Street Fighting Man
Angie



とくに好きなのが Ruby Tuesday。
Stones を象徴する曲だと思う。