2020年6月10日水曜日

上谷本町    2020.6.10


案内板(横浜市青葉区)     撮影:6月7日




今朝の横浜線(上り)は実に”密”だった。


電車が駅に到着した時点で降りる客は少なく、混んだ車内の隙間を見つけて乗り込まなければならない。
この感覚は久しぶりである。
何らかの運行トラブルがあり、乗客が駅に溜まってしまった結果のようだ。
日常が戻ってくると、こんなことも覚悟しなければならない。


さて、愛する散歩道の話題へ。

谷本川の名称由来は上谷本町からであることがわかった。
鶴見川河口から26kmあたり、川に沿って細長く続く一帯が上谷本町である。
長男は隣接する地域のみたけ台中学校へ通っていたのだが、上谷本町の名称は知らなかった。


私たちが大阪・豊中から青葉区に引越してきたのは1995年。
阪神大震災の爪痕がまだ生々しかった頃、豊中を離れた。
長男は小学校を卒業したばかり。
みたけ台中学校の入学式に家内と共に付き添ったが、誰一人知る者のいない中学校
に放り込まれて可哀想だった。
周りの生徒たちは地域の小学校から進学しているので互いに周知の関係。
長男が強い孤独を感じていたことは、彼の青ざめた顔から読み取れた。


入学式から3年間。
徒歩30分もかかる通学も不平不満ひとつ言ったことはない。
私にはない強さが彼には備わっている。
上谷本町あたりをウォーキングするたび、そんなことが頭を去来する。