2007年8月9日木曜日

夏 PartⅡ     2007.8.9

クイーンズタワーから眺める夕陽     2007.8.8 18:26


夏の朝   横浜湾      2007.8.8 7:48


             大井町の夏     2007.8.9 12:04


大井町の夏 2 2007.8.9 12:05

2007年8月7日火曜日

夏    2007.8.7

8月6日  15:29 銀座8丁目の夏


             7月20日   20:47       横浜港の夏


              8月7日   10:40      本厚木駅の夏


              7月18日  10:47      木陰


             7月24日    12:41    JR相原駅のステンドグラス

2007年8月5日日曜日

愛する散歩道 8月    2007.8.5

公園とベンチ       2007.8.4 6:56


花壇     2007.8.4 6:21


キリギリス ? トノサマバッタ?    2007.8.4 6:30

お知らせとお詫び 2007.8.5

お知らせとお詫び

ずっとGoogleが不調で、投稿ができませんでした。
8月2日の投稿を見ることができない、というある読者の知らせを聞き
不調を知りました。
私のPCからはそれが見えますが、読者からは7月29日が最終との
ことでした。そういえば7月29日以降、投稿しようとしても画面が投稿
画面に到達できず困っていました。



今朝、久しぶりに快調に投稿画面にアクセスできましたので
直ったかもしれません。

ということで、これはテスト画面です。

2007年8月2日木曜日

参院選     2007.8.2

写真   花火大会に集まった人 人 人 
            撮影    2007.8.1     18:17  桜木町


参議院選挙の結果は衝撃だった。
あまりの結果にしばらくブログをアップデートする気になれなかった。


それはウソである。
Googleのサーバーが不調?で、投稿画面に辿り着けない日々が
続いていただけである。



直前の新聞予想で与党の苦戦が予想されてはいたが、
そうした予想をはるかに上回る惨敗であった。
私の7月12日付け予想「スーダラ参院選予想」は文字通り大はずれ。
スーダラ(=無責任)なものとなった。


外れるはずである。
なんせ1人区はなんだかんだ言って自民党が強いという固定観念が
私にはあった。ほとんどの選挙区で自民党勝利で予想したが、
1人区での自民党の弱さは私の想像を越えるものだった。
イメージ、ムードとは恐ろしい。
強かったはずの自民党、公明党をここまで負けさせてしまうのだ。



理由は単一ではなく、複合的なものなのだろう。

1.直前の国会での与党強行採決
2.相次ぐ大臣の失言
3.事務所経費不正疑惑
4.松岡大臣自殺
5.赤城大臣のばんそうこう
6.セレブ(お嬢)な首相夫人がマスコミに出すぎ
7.首相の大臣任命責任             etc


これだけマイナスイメージが強いと、現政権=自民党=ダメ という
「わかりやすさ」が生まれ、それじゃ対抗馬の民主党に投票しようという、
これまたわかりやすい行動に有権者がなだれを打ったのだと思う。


思えば一昨年の衆議院議員選挙もわかりやすかった。
小泉さんが「郵政民営化 賛成か反対か」と二者択一を有権者に迫って
自民党が圧勝した。
国民は日常生活では政治を意識することなんかないから選挙においては
”わかりやすさ”が重要なファクターになる。


小沢・民主党が訴求した政策もわかりやすかった。

①年金
②児童手当
③小規模農家への補助金


一方、安倍さんの話は抽象的=わかりずらいものが多い。
「戦後レジームからの脱却」「美しい日本」「憲法改正」などなど思いの強さは
うかがえるものの、どれも抽象的でピンとこない。


安倍首相続投方針だがその道はかなり険しい。
この先、次の選挙に勝てそうもないとなったらマスコミががやがや言う以前に、
自民党・公明党がスパっと切るだろう。
業績責任を常に問われる企業トップとその点ではまったく変わらない。

責任を取るためにトップは存在するのである。

2007年7月29日日曜日

大人のマナー   2007.7.29

参議院議員選挙の投票日を迎えた。
この投稿を終えたら投票所に向かおう、と思いながらPCを
立ち上げている。


今朝の日経新聞に目を通していたら、大変参考になる記事を
見つけた。若者から見た(熟年世代の)マナー違反である。
マナーができていないのは若者、と昔から相場は決まっている。
しかしその彼らから我々世代を見た時に、なんとかしてくれよと
感じていることがあるのだ。


①電車内の態度  例:電車で「席を譲れ」とばかりに、にらまれた
②横断歩道以外で渡ろうとする老人
③若者、店員へのごう慢で尊大な態度
④大声での会話
⑤駅、バス停、スーパーでの割り込み


①電車内の態度

足を開いて大きく座る男性はかなり多い。
結果、6人がけの座席なのに5人しか座れない状態を作っていても
素知らぬ顔をしている。日本は先進国だからこうしたマナーは改善
したほうが”美しい国”になる。


③若者、店員へのごう慢で尊大な態度

居酒屋で注文品がなかなか出てこないときなどは、私もこのモードに
入ることがある。気をつけたい。



⑤駅、バス停、スーパーでの割り込み

私はあまり経験はないが、ずうずうしい輩(やから)はどこにでもいる。
20年前のある日、JR大宮駅でのこと。
私は精算所の列に、乗り越し清算をするため並んでいた。
私の順番が来た瞬間に、横から私より年上と見受けられるビジネスマンが
スッと割り込んできた。

その前までの挙動から割り込みは予測できたので警戒はしていた。
また、同時に怖そうな人ではないことも確認していた。(ここは大事である)
そして、予測どおり割り込んできた瞬間に私は彼の腕をつかんで言った。
「順番を守りたまえ」

男はきまり悪そうに「すいません」と引き下がった。
が、後味の良くない、嫌な体験だった。



この他に私が日頃感じる大人のマナー違反を書いてみる。


①人が流れる場所での通行妨害迷惑

・人通りのかなりあるビルの通路などで、立ち止まって話に夢中になり
 他人の通行を妨害する輩。
 邪魔にならない場所まで移動して話せないのか?
・駅の改札口入口付近で定期券などを探して立ち止まり、他人の通行を
 妨害する輩。
 君がそこで立ち止まると後ろがつかえるのだ。

②よれて歩く通行妨害迷惑

前を歩く人がまっすぐに歩いてくれないことがある。
ブレるというか、よれるのである。
追い越そうとするとその方向によれてくる。
追い越そうにも追い越せない。
最近は、よれる予感がする人が前を歩いていたら、いったん大きく
左右に離れてから追い抜くクセがついた。


③歩きタバコ

論外である。昔は私もしていた。恥ずかしいと今は思う。


何故か、すべて通行時に関連するものばかりである。
私がせっかちなのか、あるいは歩き方が早いのかもしれない。
しかし毎日、心の中で舌打ちすることが多いのは事実だ。

2007年7月24日火曜日

梅雨明け5景      2007.7.24

             渋谷の梅雨明け       9:14



           半蔵門駅付近の梅雨明け       9:32

            市ヶ谷駅の梅雨明け      11:30


           四ッ谷駅の梅雨明け     11:36


          相原駅(JR横浜線)の梅雨明け    12:38

タバコ 2007.7.24

タバコをやめて8年になる。
今、私の生活は喫煙とは無縁である。
あの時、決断してやめておいて本当に良かったと思っている。



喫煙は趣味・嗜好、つまり嗜(たしな)むという優雅なものではなく
その本質は「ニコチン依存症」である。
タバコがないと精神的・肉体的に安定できない状態なのである。
それは人間がタバコというものにコントロールされていることを意味する。

喫煙によって体内に入ったニコチンは、脳に化学的変化を引き起こし、
ニコチンを補給しないと本来の正常な機能が営めない状態にしてしまう。
程度こそ違うが、麻薬などの薬物依存と同類である。
だからいったん習慣化すると簡単にはやめることができなくなる。
そこが怖いし、厄介だ。



喫煙は他人迷惑な側面も備える。
空気を汚す、吸殻を散らかす、他人に火を押し付けてしまうこともある。
私は中学生か高校生の頃、品川駅の階段で歩きタバコをしていた人に
すれ違いざまタバコの火を手に付けられた経験を持っている。
付けられた瞬間、熱さではなく「痛い!」と感じたことを忘れない。

かつて都内に勤務していた頃、狭い事務所で喫煙するということが
いかに他人迷惑かを実感したことがある。
当時の私は喫煙者だったが、誰かが喫煙すると文字通り煙が目にしみて
辛いのである。
責任者に改善要望を出したが、その責任者自体が喫煙者だったため
彼との関係も悪くなってしまった。


その時、私の中には公衆での喫煙に関してイメージができあがった。
それは昔、川の水を共同使用しているイメージだ。
上流から流れてくる水を村人が共に使っていたとする。
食事、洗濯、飲み水として。
そこに誰かが小便をしたとしたら、村人全員が迷惑を蒙ることになる。
空間を汚染する公衆での喫煙はそれと同じである。
汚れをブロードキャスト(拡散)させてしまうのである。


2003年に健康増進法第25条が制定された意義はきわめて大きい。
喫煙者の出す煙を、結果的に他人に吸引させる環境が許されなくなった。
事務所、学校、食堂などの施設管理者に受動喫煙の防止措置を講ずる
義務が法令化されたのである。
私の勤務する会社でも、喫煙者は喫煙ルームなる隔離された空間でしか
喫煙できなくなった。



続きは次回に。
書きたいことが多過ぎて、一回に収めるには厳しくなったから。

2007年7月21日土曜日

夏休み    2007.7.21

             写真     汐留シティセンター 1階の絵画
                                (港区東新橋1-5-2)


                撮影     2007.7.13




小・中・高等学校では夏休み期間に入った。
この時期は子供達が乗らない分、通勤電車が空くのでありがたい。



小学生の時代、夏休みは圧倒的な魅力を持っていた。
なにしろ休日が連続するのである。
しかも40日間という、気が遠くなりそうな長さだ。
学校へ行くことは、大人が勤めることと同じで子供にとっての勤めである。
誰もそこから逃げることはできない。
そうした束縛から40日間も解放されるのである。
嬉しくないはずがない。


友人といくらでも遊べる。どんなに遊んでも、翌日も休みだ。
学校の授業という時間的束縛もない。夜、明日の宿題をやらなくてよい。
自分の裁量で夏休みの宿題消化スケジュールを立てればよい。
好きなだけテレビを観てもよい。
いつもはできない夜更かしだってできる。(親に禁止されなければ)



夏だからプールや海水浴にも行ける。
私は両親に京浜急行で金沢八景や馬堀海岸に連れていってもらった。
海の家で食べるかき氷が好きだった。
萩中公園のプールは10円払えば無制限に楽しむことができた。
学校のプールとは違って、自由があるから好きだった。
私の右ひざには、不注意で萩中公園プールのコンクリートにぶつけた傷が
今でも残っているが、それすらもなつかしい記憶だ。



田舎に泊まりに行ける。
行けば小遣いももらえるだろう。
いつもと違う環境の中に飛び込むことができる。
パターン化された日常からの脱出である。
子供だってマンネリから離れたいものだ。


夏休みって、なんて素晴らしいんだろう!



しかし、長い長い休みも必ず終わる。
子供達は学ぶ。永遠に休みは続かないということを。
宿題も先に片付けておかないと、最後にツケがやってくることを。
休みを満喫したあとは、もとの日常生活に戻らなければいけないということを。



改めて夏休みを考えてみると、楽ばかりはできないという人生の
大原則を学んでいたことに気付く。



子供達が大切なことを学ぶ夏休みが今年も始まった。
おおいに学んでもらいたいと思う。
いや、大人が押し付けなくても通過すれば自然と学べることなのである。




夏休み> 作詞・作曲 吉田拓郎

姉さん先生 もういない
きれいな先生 もういない
それでも待ってる 夏休み















2007年7月19日木曜日

雨雲のなか     2007.7.19

撮影   7月17日 14:40
             場所   横浜みなとみらい クイーンズタワー


仕事中にエレベーターホールから外を見たら、街全体が雲の中だった。



2007年7月16日月曜日

台風一過(愛する散歩道)   2007.7.16

            写真①    緑まぶしく 7:17


             写真②     今朝の定点観測地  7:29


             写真③     墓地公園の朝 7:38


             写真④      遊歩道と水たまり    7:52


             写真⑤      いつまでも残して欲しい雑木林  8:44





             台風が過ぎ去りし朝新聞に集中できず外が気になる
                                             天祐

2007年7月15日日曜日

クルマ    2007.7.15

             写真   雨模様の朝

             撮影   7月14日 8:55






三連休である。台風4号接近であいにくの天気となってしまった。
今朝はクルマについて書く。


クルマに興味と関心を失って久しい。
かつて寝ても醒めても「あのクルマが欲しい」と思う時期もあった。
今は全くといっていいほど関心がなくなった。
文字通り、眼中にないのである。


社会人になって初めてクルマを購入したのは、勤め始めて二年目
の札幌勤務時代である。当時の仕事の知り合いから中古車を紹介
されて買ったのが最初のクルマだった。
スバルレオーネ(富士重工業)のオンボロ車で30万円で譲り受けた。
両親がクルマとは縁のない生活だったので、オンボロとはいえ所有した
ことにとても感激した。
今考えてもかなりのボロ車で、売る側からすればいいカモだったと
思う。知識なし、言い値のお客だった。
ボロではあったが、今の家内と北海道一周ドライブ旅行もした思い出の
クルマである。
しかし真冬にエンジンがかからないなどトラブルが多く、随分と手間が
かかった。



家内と結婚してから二台目に乗り換えた。
当時の職場に出入りしていたトヨタ系販売店のセールスマンの印象が
悪くなかったので、競合はさせたが彼から購入した。
ターセルという1300ccの小型車である。前輪駆動だから冬の雪道に
強いというのがウリだった。新車だがデザインはダサかった。
あの頃、マツダのファミリア(赤ファミ、青ファミ)がヒットしていて、購入後
ファミリアのほうが良かったかな、とちょっぴり後悔した覚えがある。
レオーネがかなりオンボロだったので、新車という点では満足のいく
クルマだった。エンジントラブルの心配がないだけでも心理的安心感は
大きかった。


1982年の東京転勤にはターセルも伴った。
池上のアパートに住み、引越ししてすぐ長男が生まれた。
長男が夜なかなか寝付かない時、ターセルに乗せて都内を走らせると
寝入ってしまうことがわかり、随分活用したものである。
池上時代の後半にそれほど利用しないことや、駐車場代が高いことを
理由にターセルを手放した。会社同僚に譲ったのである。
したがって数年はクルマなしの生活を送った。


1988年に大阪へ転勤した。
やはりクルマが必要だということになり、ブルーバードを購入した。
今ではほとんど見かけなくなったハードトップ、色は白だった。
街で見かけた後姿が気に入っていたので、迷わずブルーバードを指名
買いした。
兵庫県が仕事のテリトリーだったから、仕事でも時々活用し使用頻度は
かなり高かった。購入後1年で1万キロ超えするくらいだった。


1995年の横浜転勤にはブルーバードを伴った。
重宝したブルーバードだったが、この頃の私はドイツ車に乗りたくて
仕方がない時期だった。ベンツ、BMWに憧れたのである。
長い憧れの末にBMW320i を購入したのは1997年のことである。
このクルマとの4年間で、私のドイツ車あこがれ病は治まったといって
よい。
外車お決まりの電気系故障を契機に、トヨタ エスティマに乗り換えて
今に至っている。


ミニバンといわれるカテゴリーのエスティマであるが、そこそこ満足して
6年乗っている。普段は家内の買い物専用で、たまに旅行で使う程度。
6年にもなるのに2万キロそこそこしか乗っていない。
普通車にしては大きく小回りがきかないので、免許を取得した子供達は
まったく乗ろうとしない。いつまでもペーパードライバーである。


しばらくはエスティマを使うことになるだろうが、ゆくゆくはもっと小さく
取り回しの良いクルマに乗り換えるつもりだ。
漠然とではあるが、プリウス(トヨタ)が大きさからも環境対応からも
いいかなと考えてはいるが、先のことはわからない。


生涯に所有できるクルマは何台でもない。
あと何台共にできるのかな、と考えることもある。
何より安全に、大切に乗りたいものである。

2007年7月12日木曜日

スーダラ参院選予想   2007.7.12

スーダラとは無責任の意味である。
私は選挙のプロではない。アマチュア、素人である。
だけども今回の結果予想を当てて、選挙予想のプロとか
神様とか呼ばれてしまうかもしれない。
そんな予感も少しする。


予想は早いうちが華(はな)である。
したがって今日、明記することにした。
読者の皆さんは7月30日に判明する結果を楽しみに
してください。



私の予想① 【選挙区】

自民  42
民主  24
公明   5
共産   1
その他  1

私の予想② 【比例区】

自民  16
民主  16
公明   7
共産   4
その他  5


私の予想③ 【合計】

自民  58
民主  40
公明  12
共産   5
その他  6



今回の勝敗ラインは与党(自民党 + 公明党)が過半数を確保
できるかだ、と言われている。

過半数 = 122 = 非改選(58) + 改選(64)

したがって与党が64議席を占めることができるか、に着目すれば
よいのである。


私の予想は自民党 58、公明党 12 であるから、自民党は敗北
すれども与党は手堅く過半数を確保する。
民主党は選挙前の勢力が81 に対して、選挙後は89 まで伸ばす。



念のため、算出根拠も明記しておく。

選挙区・・・各選挙区の立候補状況から、1区づつ予想し、最後に
       合計を集計。
比例区・・・現状勢力数に勢い係数を乗じた。


今回の予想にあたり、私の住む地域の選挙区(神奈川選挙区)を
分析していて分かったことがある。
それは民主党の選挙戦術が下手だということだ。


<神奈川選挙区  改選数3>

自民  小林温氏   現職
民主  水戸将史氏  新
     牧山弘恵氏  新
公明  松あきら氏  現職
共産  畑野君枝氏  前
社民  和田茂氏    新
国民  斉藤さちこ氏  新
その他 溝口敏盛氏  新


自民党、公明党は手堅く一人づつしか擁立していないのに
対して、民主党は欲張って二人を立てている。
あわよくば二人当選を狙ってのことだろうが、これは若干
危険だ。なぜなら組織がしっかりしている共産党の畑野氏に
かっさらわれる可能性もあるからだ。
なんだかんだ言って、自民 1 公明 1 は固いだろう。
とすると、ここは共食いを避けて一人を擁立すべきではないか
と思うのだ。


民主党は複数の前身組織から成りたっている寄り合い所帯だ。
妥協の産物とも言える二人擁立に、この党の抱える限界を私は
感じている。


以上、無責任な予想である。
予想はあくまで予想にすぎない。
読者の皆さん。とにかく投票には行きましょう。
投票は国民の権利であり義務だからである。

2007年7月10日火曜日

スティール = steal(盗む) = steel(非情な)   2007.7.10

美しい花畑  撮影 6月20日



ようやく正しい審判が下された。
溜飲が下がるとは、このことである。



7月9日、東京高裁は盗人(スティール・パートナーズ)がブルドックソースの
買収防衛策に対する発動差し止めを求めた申請に対して、その申し立てを
却下した。
判決によると盗人ファンドを乱用的買収者と認定し、ブルドックソースの自己
防衛手段を正当なものと判断した。


これは大変良い判決だ。大歓迎である。
感情的に表現すれば、実にいい気味である。


これで株価をいたずらにつり上げ、もっともらしい理屈を振りかざして
株式市場で売り抜けて暴利を手にして来た手法に待ったがかかることになった。
もっともらしい理屈とは、企業は株主のもの、企業は株主のために企業価値を
最大化しなくてはならないというものである。
この理屈は一面の真実を語ってはいるが、全面的な真実ではない。


企業価値の最大化 = 株価上昇  は企業活動の結果に過ぎない。
企業にとって最も大切なことは、顧客に徹底的に奉仕することである。
これ以上でも、以下でもない。
その結果、利益が上がり株価が上がるなら納得できる。
それがものごとの順番というものである。


盗人たちは違う。
奴らはまず、株主への配当を上げろと要求する。
順序が違うのである。
利益をもたらしてくれる顧客へ、このような方法・戦略で奉仕し
競争者との戦いに勝ちなさいという提案(企業戦略)もない。
ないはずである。
もともとそんなことは考えていない集団だからである。
そんな輩(やから)に対してブルドックソースが納得しなかったのも
当然である。


村上ファンドも同じだった。
ライブドア(堀江)もほぼ同じだった。


顧客の生活や仕事の効率を上げるという付加価値を提供せず
自分達の利益のみ追求する集団を許す社会であってはならない。
ずうずうしい奴らは厚かましくも最高裁に上告するらしい。
そんな行動も、いかにも奴ららしい。
なんとわかりやすい集団なんだろうか。



私は昨晩から今夜にかけて,快哉を叫び続けている。
最高裁でも徹底的に叩きのめして欲しいと願うものである。

2007年7月8日日曜日

選挙   2007.7.8

写真  ブリティッシュパブ B-Spirits
中野区中野5-36-5

お薦め:高品質のギネスビール  泡の美しさと、深い味わいに乾杯!

     ランチメニュー  ¥780~



選挙のシーズンである。



最寄り駅、および通勤で下車する駅では、候補者とスタッフが
拡声器とともに”にこやかに”待ち構えている。
私はこの手の選挙スタッフが大の苦手である。



候補者はマイクを握っているからまだ良いが、困るのはなんとか
ビラを渡そうとするスタッフである。
受け取らなければ良いだけのことなのだが、歩く方向にスタッフが
いるだけでプレッシャーを感じてしまう。
拒否する、断る、無視するというのは結構ストレスをもたらすものなのだ。



ビラ配りならまだいい。
あまり思い出したくない体験も持っている。


数年前のこと。
選挙シーズンの或る日、最寄り駅で帰宅するためバス待ちをしていた
時のことだ。
その日は比較的有名な部類に属する候補者I氏の陣営が駅広場で
運動していた。かつて出雲市の市長を務めた人である。



候補者I氏は街頭演説を終えると、なんとバス待ちで並んでいる人
全員に対して、順番に握手するために歩き始めた。
順番がこの私にも徐々に迫ってくる。悪夢だ。



熱心な候補者であるが、これは明らかに無理がある。
そもそも日本では日常生活で握手するという習慣はない。
ハグにしても握手にしても、身体を接触させるという文化はあちらの国の
習慣なのである。あちらでは、お互い敵ではないということを表現するための
行為として現在まで続いてきたはずだ。
日本では幼い子供と親、恋人同士以外はやらない。
それなのに候補者I氏は、バスを待つ人ひとりひとりと握手しようとしている。


結局、どうしたか?
その場の雰囲気に負けて私も候補者I氏と握手をしてしまった。
だが、とても気恥ずかしかった記憶が残っている。



今回の選挙ではバス待ち・順番握手強要だけは避けたいと思う。
ただし、とびきりの美人候補がいればその限りではない。
まぁ、そんな美人ならわざわざ政治の世界には入ってこないだろう。

註:I氏は当選し、現在も衆議院議員をやっている。

2007年7月7日土曜日

とんと御無沙汰    2007.7.7

写真   やはり壮大なランドマークタワー

撮影   2007.7.6 13:58


<とんと御無沙汰>
作詞:阿木燿子 作曲:吉田拓郎

慌ただしい時に追われ 
孤独にさえ気付かない夜
人は嘘を自分につき
年のせいにしてみたりする


とんと御無沙汰
どうしてました?
気にはしてても 
ついつい気後れ 臆病風

外は雨 外は雪 外は晴 外は鬼


とんと御無沙汰 
ぼくの内なる恋心




聴けば聴くほど、歌えば歌うほど好きになる類の
歌がある。
私にとって、「とんと御無沙汰」がそれにあたるだろう。


好きになったきっかけは、昨年11月10日。
日本武道館でのコンサートだ。
このコンサートで1曲目に吉田拓郎が選んだのが
この曲である。


武道館のすみずみまで響き渡る彼の声。
肺ガンの手術から生還し、元気に満員の観衆の前で
高らかに歌い上げる彼の姿に、ファンである私は心の底から
感動したものである。
最近、いろいろな場でよく使われる表現だが「鳥肌がたった」と
言っても大袈裟ではないくらいの彼だった。


それ以来、この歌の深さに魅せられ続けている。


今日も三次会で11月10日の彼になりきって歌ってみた。
満員の武道館で、大観衆の前で高らかに歌う彼に
なったつもりで。

なんだかいつもより上手に歌えたと思ったのは
気のせいだっただろうか?


とんと御無沙汰
僕の内なる 夢見人
(作詞:阿木燿子)



素晴らしい詞だ。
私はこの歌から当分離れられそうにない。



追伸


なつかしい 友と巡りて はるかなる
時空を越えて あの日に戻りぬ

2007.7.7 天祐

2007年7月3日火曜日

春関東 写真    2007.7.3


今年の春関東は早大の完勝となった。スコアは 38 対 0。
関東学院大学にとっては、今年は辛いシーズンになりそうだ。
選手権決勝に駒を進める可能性は低い、と私は見た。


善戦ならまだしも春に圧倒されると結局のところ、冬までその差が
埋まらないという過去のデータがある。
このことをコアなファンは「春完敗に王座なしの法則」と呼んで
いる。


おそらく歴史は繰り返すだろう。


写真①    2007.7.1     16:31 試合開始前30分のバックスタンド

写真②       2007.7.1     16:41   試合前の練習風景

写真③   2007.7.1    18:20 ナイター照明に照らされる三ツ沢G

写真④    2007.7.1    18:35 ノーサイド  立ち上がる大観衆

2007年7月1日日曜日

春関東    2007.7.1



<写真>

撮影   2007.1.12

早大ラグビー部上井草グラウンド




今日は春関東(はるかんとう)の日である。
と言っても、何のことだかわからない人が圧倒的だろう。
春関東を知らなくても心配無用だ。安心してよい。
日本ではマイナーなスポーツの、ラグビーに関する話題である。
そのマイナーなラグビー界において比較的人気がある大学ラグビーに
通じた人だけにわかるニッチな話である。


春関東とは、大学ラグビー界の両雄 関東学院大学ラグビー部と
早稲田大学ラグビー部が戦う試合のことである。
今日、三ツ沢競技場で昨年の覇者・関東学院大学ラグビー部とライバル 
早稲田大学ラグビー部の春のオープン戦が行われる。
早大側からはこの試合を称して春関東、と呼んでいる。


早大ラグビー部のホームページからは、この試合への意気込みの
強さが伝わってくる。
今年の1月に行われた大学選手権決勝で、早大有利の予想を
裏切り関東学院大学に敗れたことが伏線にある。
昨年度の敵(かたき)討ちと位置づけている選手が多い。


かつて、このイベントは存在していなかった。
両校が毎年この時期に戦うようになったのは、今から七年前、
清宮克幸氏が早大ラグビー部の監督に就任してからだ。

1990年代の長い低迷期を脱するべく、早大ラグビー部が清宮氏に
監督就任を要請したのは2001年早春のことだ。
監督に就任すると、すぐに釜利谷(横浜市金沢区)の関東学院大学
グラウンドへ春口監督を訪ね、春の練習試合を申し込んだ。
大学日本一奪還 = 関東学院大学に勝つこと と定義し、ターゲットを
関東に絞ったのだ。
ちなみにそれまでの早大監督は、先方から練習試合を頼まれる
ことはあっても、自分から頼み込むことはなかったようだ。
大学ラグビー界の名門・早大の監督は低迷してはいても
偉かったのである。


氏は監督就任以来、数々のチーム改革を行って早大ラグビー部を
復活させた功労者であり、2005年のシーズンを最後に勇退して現在、
サントリーラグビー部監督を務めている。


春関東には興味深い法則を見ることができる。
両校は夏にも菅平で練習試合を行うが、春に勝つと夏も勝ち、そのまま
選手権でも勝つという3連勝パターンがあるのだ。
この法則は2001年から2005年まで続いた。
(去年だけはこの法則が乱れている)


春関東で私の記憶に鮮明なのは、2003年の試合である。
前年に11年ぶりの優勝を勝ち取った早大だったが、この日は関東に
コテンパンにやられてしまった。
前年優勝したチームが関東にまるで歯が立たない、という試合に私は
少なくない衝撃を受けたものである。
結局、この年は夏も関東が勝ち、選手権も関東が勝つことになる。


今年の春関東はどんなゲームになるだろう。
この試合を観れば今年の両校の力関係がわかる。
ファンにとっては見逃すことのできない試合である。
試合は夕方5時から行なわれる。
ちなみに、マイナーだからテレビ神奈川でも放送されない。


【参考データ】

過去六回の大学選手権における成績は以下の通り。


2001年 優勝:関東学院大学  準優勝:早稲田大学
2002年 優勝:早稲田大学   準優勝:関東学院大学
2003年 優勝:関東学院大学  準優勝:早稲田大学
2004年 優勝:早稲田大学   準優勝:関東学院大学
2005年 優勝:早稲田大学   準優勝:関東学院大学
2006年 優勝:関東学院大学  準優勝:早稲田大学


まさに両雄である。

2007年6月30日土曜日

1Q終了    2007.6.30

<写真>  

消えていくもの -電話ボックス-

撮影   6月23日 8:58






6月度も昨日で終了した。
今期の前半3ヶ月、第一四半期(1Q)が終わったことになる。


「企業のグローバル化」ということが言われだして久しい。
目に見える形では、活動領域を国内に限定せず海外で生産・販売
サービス活動を行うことを指しているが、「企業のグローバル化」は
それだけを意味しているわけではない。
そもそも海外での企業活動は今に始まったことではなく、かなり従来から
行われていたことである。


「企業のグローバル化」という場合、海外の投資家にも評価・判断できる
ように、日本でしか通用しないローカルルールの会計方式ではなく、
米国の会計基準を採用しましょうということを意味する場合が多いようだ。
私も詳しいことはわからないが、業績公開スパンを3ヶ月単位で行うことも
そのひとつに含まれる。


私の勤める会社も数年前から採用するようになり、決算発表を3ヶ月単位で
行うようになっている。
営業部門でも従来は月単位/半期(半年)単位/年間単位での業績把握
だったのが、最近は3ヶ月単位も浸透しつつある。

米英では3ヶ月は1年の四分の一だから、Quarter (Q)と表現する。

私の勤務する会社においてはこうなる。

1Q   4月~6月
2Q   7月~9月
3Q   10月~12月
4Q   1月~3月 

流通業界は2月決算が多いから 1Qは3月~5月を指すことになる。
セブンアイ・ホールディングスの1Qは予想以上の利益を計上した、と
報道されたりする。 


私の従事する部門は大学が顧客であり、顧客層としては大手に属する。
大手の場合、大学に限らず年度会計で運営しており
物品・サービスの導入にあたっては

   導入検討 → 次年度の予算化作業 → 次年度にて購入 

というプロセスを踏むのが普通だ。
欲しいからすぐ導入します、という訳にはいかないのである。
販売する側からすれば、瞬発力を発揮しづらい市場ともいえる。


そうした市場を担当する私達にとって、1Q,2Qでの評価単位は大歓迎である。
単月だけを見つめられて評価判断されても困るし、半年単位でも
逆に長すぎる。3ヶ月、Quarter が最適なのである。


1Qは予定通り(予定以上)で推移することができ、つかの間の満足感を
味わっている。しかし、この満足感は長くは続かないこともわかっている。
当たり前の話だが、次の Quarter が来週から始まるのだ。
油断している余裕はない。
業績責任はその役割から外れるまでエンドレスで続く。


それでも今日と明日くらいは、自分に休息を与えよう。
わずかな時間であっても、今だけはこの小さな喜びに浸っていたい。
心底、そう思うのである。

2007年6月27日水曜日

業績責任     2007.6.27


<写真>
雨雲に煙るランドマークタワー
撮影 6月26日 7:19




梅雨のようで梅雨でないような、はっきりしない天気が続いている。
昨日、今日と二日続けて、汗ばむ陽気だった。
汗かきの私はタオル持参での出勤である。

女性下着販売会社・シャルレの代表執行役社長・三屋裕子氏が
創業家一族から社長解任動議を突きつけられた。
さきほどのニュースで本日、株主総会で解任されたことを知る。
業績不振がその理由と報道されている。

女子バレーボール界のスターであった彼女が、創業家(林一族)に
請われてシャルレの社長に就任したのは3年前のことだ。
私は二重の意味でこのニュースに関心があった。
ひとつは、私がかつて在籍した神戸の現地法人の顧客だったこと。
当時は収益の高い、地場優良企業という評判だった。
もうひとつは、バレー界から転身して会社経営ができるのかという
疑問からであった。

私は三屋氏の仕事ぶりや経営能力は知るよしもない。
厳しいスポーツ界で成功した彼女のことだから、もちろん
全力を尽くしただろうことは容易に想像がつく。それも人一倍。

こうなった今、私が思うのはただ一点。
三屋裕子氏も誰も彼も、責任者は等しく業績責任から逃れる事は
できないという事実だ。
考えてみればマクドナルドの店長も、ファミレスの店長も、ドトールや
スタバの店長も、およそ企業のフロアマネージャーは一人の例外なく
業績責任と日々戦っている。
宝石店の店長も、イトーヨーカ堂の店長も、誰も彼も一人残らず。
プロ野球の監督、プロ・サッカーの監督などは、さらに厳しい。
塾経営者、講師陣も。
世の中の責任者は皆、終わりのない重圧と格闘している。

三屋氏くらい有名になると、就任した時が晴れやかなだけに
解任時の落差が大きく、その心中察するに余りある。
厳しいけれど、皆、「明日は我が身」である。
プレッシャーに負けない精神力が求められるし、プレッシャーを
上手にかわすコツと努力も必要だろう。
私が休日に散歩したりブログを書くのもその意味合いが強い。
三屋氏ほどのプレッシャーはないけれど。

「人生は勝者には楽しく、敗者には悲惨な道である。」 
                   (大塚商会 大塚実氏)
今夜も、この言葉を噛み締める。

追伸

唯一のおめでたい例外は公務員だ。
マスコミを騒がしている社会保険庁のずさんな仕事ぶりが代表例だ。
役所の外郭団体も、お気楽そのものでコメントするのも馬鹿馬鹿しくなる。
住む世界が違うのである。

2007年6月24日日曜日

ボクシング    2007.6.24

小学生の頃から今に至るまで、ボクシング観戦には強い興味がある。


ボクシングが好きになったきっかけは、ファイティング原田
エデル・ジョフレ(ブラジル)を破って世界バンタム級チャンピオンに
なったことだったと思う。
記録をひもとくと1965年5月18日のことで、
当時私は小学校四年生であった。


ハワイ出身で日系3世の藤猛(ふじ たけし)も短命だったが
破壊的な強打で人気が高かった。
勝利インタビューでの「オカヤマのおばあちゃん」というコメントが
流行語になったのを覚えている人も多いはずだ。


無名の西城正三がフェザー級王座についたのは
1968年9月27日。(中学一年)
彼が異色だったのはその端正なマスクに加えて、日本人ボクサー
で初めて海外で世界タイトルを取ったことだ。
ノンタイトル戦でラウル・ロハスを破ってチャンスをつかみ、
その勢いでベルトまで取ってしまった。
クロフォードとの防衛戦では初回にダウンを奪われたものの、
その後挽回して勝っている。
防御面に不安はあったが、軽快なフットワークとチャンス時の
ラッシュを見て、チャンピオンになるだけのことはあると私は
納得したものである。
ファイティング原田との対戦をファンはかなり望んだが実現する
ことはなかった。
私には原田側が対戦を避けているように感じられた。
もし負けたら、彼が築き上げた名声に傷がつくのを恐れたのでは
ないかと今でも思っている。


中学生の頃(1968-1970)日本のボクシング界は黄金時代と呼ばれた。
大場政夫沼田義明小林弘柴田国明などのスターが活躍した。


一方、海の向こうでは、カシアス・クレイ(後のモハメッド・アリ)が
ベトナム戦争への徴兵拒否で話題になっていた。
アリのいない間にチャンピオンに君臨したジョー・フレイザーと、
カムバックしたアリの対戦は私の関心を掻き立ててやまなかった。
この対戦は1970年に実現し、結局、脂の乗ったジョー・フレイザーが
ブランクの長いアリに判定勝ちして決着した。
(その後、この2人は二度対戦して今度はアリが
二度とも判定勝ちしている)


当時のヘビー級はビック・イベントに事欠かなかった。
チャンピオン ジョー・フレイザーと、メキシコ・オリンピック(1968年)の
ヘビー級金メダリスト ジョージ・フォアマンの対決が待っていた。
1973年のことである。


当時、高校2年生だった私は秋葉原の電気店でこの試合を観た。
なぜ秋葉原にいたのかは覚えていない。
待望の対戦であったが、ジョー・フレイザーがわずか2ラウンドで
フォアマンの強打の前にマットに沈んだのは衝撃的だった。
誰を出してもフォアマンに適(かな)う相手はいないと感じた
ものである。


そのフォアマンをアリが破る”奇跡”を起こすのは1974年。
これだからボクシング観戦はやめられない。


大好きなボクシングだが、最近、K-1などの格闘技人気に押され気味だ。
テレビ中継もめっきり少なくなってしまった。
そのことを私は大変残念に思っている。

2007年6月23日土曜日

写真集      2007.6.23

写真①   銀座の夕暮  撮影 6月19日 19:07


写真②    愛する散歩道  撮影 6月23日 7:41

写真③   青い空と白い雲  撮影 6月23日 7:58

写真④   鮮やかに咲くあじさいの花   撮影6月23日 8:19

写真⑤   野球場  撮影6月23日 8:47

2007年6月20日水曜日

会社は誰のもの?   2007.6.20


写真    

東海大学湘南キャンパス
撮影 6月20日 10:48




企業の敵対的買収が日常的になってきた感がある。


ライブドア  to  ニッポン放送
楽天  to  TBS
村上ファンド  to  阪神電鉄
スティール・パートナーズ to 明星食品
スティール・パートナーズ to サッポロビール
スティール・パートナーズ to ブルドックソース


明星食品は日清食品の傘下に入り終結したが、その過程で
スティール・パートナーズ(以下、盗賊S社)は高くなった明星食品株を
売り抜けて、まんまと巨額の富を得た。
私はこうした悪質な投資ファンドが跋扈(ばっこ)するたびに、
資本主義は皮肉なものだと痛感する。
資金さえあれば合法的に株の売り抜けができてしまうのだ。
こんなことがいつまでも許されてよいはずがない。


悪人どもの手口は共通している。

①狙いの会社の株を買い増ししていき、或る日突然「経営に参加したい
のでさらに株を買い集めます」と宣言。 
狙いの会社にプレッシャーをかける。 
大量取得する方法としてTOB(公開買い付け)がある。 
TOBとは、「A社の株をお持ちの皆さん! 私達は今なら200円のA社株を
400円で買いますよ。 売りませんか?!」と言って買い集める方法である。
A社株を持つ人にとっては高く売れるから、魅力ある提案になる。


②狙われた会社は投資ファンドに買われるよりも同業他社に吸収・合併された
ほうがマシと考え ホワイトナイト(お助け会社)を求める。 
サッポロにはアサヒがホワイトナイトになるのでは、と報道された。


③ホワイトナイトは「私どもにA社株を売ってくれるなら、盗賊S社よりも高い
500円で買いますよ」と宣言し A社株を集めてA社を傘下に治めることになる。
 その過程でA社株をたくさん持つ盗賊S社も500円で売るから、結局、
盗賊S社は儲かって笑いが止まらない 。


狙われた会社にしてみたら、将棋で言うところの王手をかけられたも
同然である。
盗賊に買われるか、ホワイトナイトに買われるかの二つにひとつだ。
私は遠からず悪質投資ファンドには天罰が下される、と確信している。

ライブドアと村上ファンドは日本政府の手により放逐された。
世の中に付加価値を提供しない恫喝的手法のマネーゲーム。
それで富を蓄えることが許される社会ではいけない。
盗賊たちは「合法的だ」と言うのだろうがそれは間違っている。
悪人どもの悪知恵に法律が追いついていないだけだ。



遠からず、必ず法は整備されると思う。



こうした盗賊から会社を守る方法。
①自社株を盗賊が買えないようにする。
上場廃止する会社が出てきているのはそのためである。

②高い業績を維持して自社株価を高くし、盗賊が「高すぎて買えねえや」と
思わす。

③市中株を買い戻して自社保有比率を高めておく。



悪人達は「企業は株主のもの」と主張する。
一見、その通りと考えがちだが私は明らかに間違っていると思う。
企業は株主だけのものではない

その会社を支持しユーザーとなっている顧客のものでもある。
その顧客に献身的に奉仕する従業員のものでもある。
そうした従業員を管理・監督する経営陣のものでもある。
そして、スポンサーである株主のものでもある。

これが正しい。


人生、金だけにあらず。
企業もしかり。
私のこの信念に揺らぎはない。

2007年6月16日土曜日

水虫    2007.6.16

水虫の唄      作詞:山田進一

どんなにどんなに 離れていても
僕は君を 忘れはしない
夏になると 想い出す
君と歩いた あの渚




二週間くらい前から突然、足指の水虫が悪化しだした。
指と指の間の皮膚が赤くただれ、じくじくと痛かゆくなってきた。
このまま放置しておくとばい菌が入って危険かなと思い、今朝
皮膚科の門をたたいた。


土曜日のせいだろうか。
朝一番に行ったのだが、待ち順番が既に13番目だったのには
驚いた。診療開始時間前なのに13番目である。
これだけの患者が押しかけるこの皮膚科は随分と儲かるだろうな、
と感心した。


小学生の頃、蓮沼の中井皮膚科にはちょくちょく通っていた。
注射をされることもないし、治療自体が怖いものではないので
子供心に結構おもしろがって通っていた。
通院目的はいつも魚の目と水虫だった。


魚の目は貼り薬で皮膚をふやかして、ナイフで削る治療。
水虫は半球状のライト(紫色の光線)で患部を照射したあと
液状の塗り薬を塗ってもらう。
これがくすぐったくて気持ちよく好きだった。


魚の目も水虫も根気のいる治療なので、結局完治した記憶がない。
そもそも完治させる気持ちもなかったと思う。
皮膚科に通うこと自体が一種の楽しみだったのである。


現代の皮膚科治療は40年前のそれとは全く異なるものだった。
まず、爪の断片をピンセットで剥がして、顕微鏡で診断する。
いきなり塗り薬を塗るような事はしない。
私の場合、爪自体が水虫菌(白癬菌 はくせんきん という)に感染していた。


①1日1回、ラミシールという錠剤を飲む。(28日分)
②アセチロール軟膏を1日数回塗る。
③赤くただれた部分にグリメサゾン軟膏/亜鉛華単軟膏を塗る

これが処方である。
まさか皮膚科で飲み薬を服用されるとは思わなかった。
効いてくると爪自体がきれいになるらしい。
完治まで半年は覚悟しなくてはならない。


仕事中は革靴から逃れられないから、どうしても水虫になりやすい。
私は今回、徹底的にこの水虫を治療することに決めた。


生きるということはコストがかかるものである。

2007年6月14日木曜日

入梅(つゆいり)    2007.6.14


天気予報通りに今日、関東地方は梅雨入りしたようだ。
シトシト、と形容する以上に、かなりの量の雨が今も降っている。
草木の成長(二酸化炭素を光合成で酸素に換えてくれる)と、
首都圏の水がめには恵みの雨といえるだろう。
この時期の雨は、適量が降ってもらわないと困るのである。
うっとうしい、などと言っている場合ではない。


ところで、雨と音楽とは切っても切れない関係にある。
昔から雨は格好の歌詞題材として、多くの名曲を生んできた。
以下に私の好きな”雨”歌を紹介する。


1.悲しき雨音     カスケーズ(Cascades)

原題は Rhythm of the Rain 。リリースは1963年。


2. 雨に濡れても   B.J.トーマス(BJ Thomas)

原題は Raindrops Keep Falling On My Head 。
リリースは1970年。
この歌を聴くと御園中学3年時を思い出さずにいられない。
きれいなメロディである。

3.雨に消えた初恋  ザ・カウシルズ(The Cowsills)

原題は The Rain, The Park And Other Things 。
リリースは1967年。この曲も名曲だ。
大橋巨泉、星加ルミ子がさかんに「牛(Cow)も知ってる
カウシルズ」と言っていたのがなつかしい。

4.雨の日と月曜日は  カーペンターズ(Carpenters)

原題はRainy Days And Mondays 。
リリースは1972年。

5.レイン         ビートルズ

ジョン・レノンの太いボーカルと、ポールのベースギターが
かなり脂っこい。
英国に旅行して、かの国の雨が日本のとは違うことを知った。
突然降り出して、すぐやむのである。

6.雨           三善英史

1972年リリース。三善はクネクネしていて少しカマっぽかったが
歌は良かった。

作詞:千家和也

道行く人は誰一人も 見向きもしない
恋はいつの日も 捧げるものだから
じっと耐えるのが つとめと信じてる

7.雨のウエンズデイ   大瀧詠一


作詞:松本隆

壊れかけたワーゲンの
ボンネットに腰かけて
何か少し喋りなよ
静かすぎるから
海が見たいわって
言い出したのは君の方さ
降る雨は菫色(すみれいろ)
Tシャツも濡れたまま

ニクい詞を書く人がいたものである。脱帽。

8.バチェラーガール    大瀧詠一

この曲も作詞は松本隆。
なんとまぁ、素晴らしい詞を書く人だろう。
失恋ソングである。
稲垣潤一も歌った。

作詞:松本隆

雨は壊れたピアノさ
心は乱れたメロディ
マイ バチェラーガール



自然の美は花鳥風月にある、と昔の人は言った。
雨もまた人を詩人にさせるのである。

2007年6月10日日曜日

いつも音楽とともに生きてきた  大瀧詠一      2007.6.10


私が音楽との関わりあいを語るときに、大瀧詠一
はずすことができない存在だろう。

彼の豊かな才能に初めて触れたのは23歳の頃。社会人1年目の札幌においてである。(1978年)当時、高校時代の同級生 H.K が北大生4年で在学しており、仕事の合い間をぬってちょくちょく一緒に遊んでいた。H.K から教えてもらったアルバムが「NIAGARA CALENDER '78」だった。

1月から12月まで計12曲が収録されたアルバムを聴いて、音楽センス・ユーモアセンスにたちまち魅了された。これはすごいぞ本物だ、と思った。

SIDE A
1月  Rock'n Roll お年玉
2月  Blue Valentine Day
3月  お花見メレンゲ
4月  Baseball Crazy
5月  五月雨
6月  青空のように

SIDE B
7月  泳げカナヅチ君
8月  真夏の夜の夢
9月  名月赤坂マンション
10月 座 読書
11月 想い出は霧の中
12月 クリスマス音頭

これら曲の中で私に「すごい、本物だ」と思わせたのは、「Blue Valentine Day
青空のように」、「真夏の夜の夢」「座 読書」である。
H.K は「座 読書」の歌詞中の「・・・落ちる餅・・・」というフレーズがお気に入りだった。
真夏の夜の夢」を聴いていたファンなら、後の名盤「A LONG VACATION」の
大ヒットは当然のこととして受け止めることができたはずだ。

SIDE A
君は天然色
Velvet Motel
カナリア諸島にて
Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語
我が心のピンボール
SIDE B
雨のウェンズデイ
スピーチ・バルーン
恋するカレン
FUN×4
さらばシベリア鉄道

この名盤によって大瀧詠一は一気に有名になり、伝説になった。
おそらく巨額の印税を手にしたことであろう。
その後の彼は、多くの歌手へ曲を提供してヒットを量産する。

風立ちぬ    松田聖子
冬のリヴィエラ 森進一
熱き心に    小林旭
夢で逢えたら  吉田美奈子

残念なことに、最近は彼の名前を聞くことも少なくなってしまった。
10年前、「幸せの結末」で復活して喜んだのもつかの間、また
「勉強家」生活へ戻ってしまったのだろうか。
2011年に復活するとの噂があり、先の楽しみとして残しておきたい。

素晴らしきかな この才能。 大瀧詠一は本物だ。  

2007年6月9日土曜日

クールビズ   2007.6.9


関東地方は来週末にも梅雨入り、と報道された。
これから約1ヶ月は雨模様の日々が続くことになる。


職場では6月1日からクールビズ期間に突入。
この制度も3年目を迎えた。意見を聞いてみると、男性社員は一人残らずクールビズを歓迎しているようだ。半袖・長袖問わず、ノーネクタイは首周りが楽で、しかも涼しい。
その代わり、事務所の冷房温度は28°C に設定され、省エネと地球温暖化抑制に貢献する。実際、半袖シャツでノーネクタイなら28°Cでも苦にならない。


実施1年目は顧客へ与える印象がどうなのか懸念されたが、政府主導に
よる国民運動のせいか、どの顧客からも好意を持って迎えて頂き
ほっとした。
もちろん、顧客訪問時は「クールビズ期間ですので失礼します」と
一言(ひとこと)お断りすることも忘れないようにしている。
ただし、さすがに冠婚葬祭だけはどんなに暑くともノーネクタイで行く
勇気はない。やはりTPOは大切だと思う。
まだ経験はないが、クレーム対応時も迷うところだ。
今の私なら、7 : 3 でノーネクタイと判断するだろう。
クレームの程度にもよるだろうが。


クールビズは2005年の夏、小泉内閣時代に始まった制度だ。
小泉内閣の功罪が語られる時、「格差」とか「中韓関係悪化」など
マイナス要素が挙げられやすい。
私は「功」の筆頭にクールビズを挙げる。
日本人男性会社員の夏を楽にさせ、能率をアップさせた功績は未来永劫
讃えられてよい。


政治、政権と言うと、判で押したように批判トークを展開する風潮が
この国にはある。
批判は言論の自由だし尊重するが、是々非々の精神は忘れたくない。
良いことを良いと言い、悪いことは悪いと言える判断力を持ちたいものだ。

2007年6月4日月曜日

いつも音楽とともに生きてきた   Liverpoolへの旅   2007.6.4  

今朝、通勤バスに揺られていたら突然思い出した。
そういえば9年前の今頃、英国を一人旅していたんだ、と。


1998年の5月最終週から6月第一週にかけて、私は勤続20年に
与えられた2週間の休暇を利用して、かねてからの夢であった
英国旅行へ出かけた。
それは、ビートルズを生んだLiverpoolへの旅である。
以下に、その記録を綴ってみたい。


◆期間  1998.5.24 ~ 6.5◆

5.24 London着。Victoria Station そばの B&B 泊。

5.25 日本人観光ガイドに案内されて London市内を巡回。
    もちろんAbbey Roadなど、ビートルズに関係するスポットに
    限定したもの。

5.26 会社の英国法人を訪問。日本人責任者に歓待される。
    THE WHITE HOUSE LONDON 泊。

5.27 再度、別ルートでの London市内巡回ツアーに参加。
    ビートルズ関連スポットであることは同じ。

5.28 特急に2時間揺られて Liverpool 入り。
    唯一の日本人公認ガイド阿部さんに市内案内してもらう。
    Penny LaneStrawberry Fields を訪ねる。
    とうとう来てしまった。現地 B&B 泊。

5.29 Liverpool二日目。港にあるビートルズ記念館を訪ねる。
    記念グッズを多数購入。

5.30 Cavern Club訪問。ここで出世する前のビートルズは
    夜な夜なライブを行っていた。ファンにとっての聖地。

5.31 London へ戻る。現地で人気のそっくりさんバンド
    Bootleg ライブを観る。
    THE WHITE HOUSE LONDON 泊。

6.1  南の観光地 Plymouth(プリマス)へ移動する。
    Londonから特急で3時間。現地のB&B泊。

6.2  レンタカーで Land's Endを訪れる。
    オーストラリアからのヒッチハイカーと同行。

6.3 Plymouth 市内巡回。

6.4  London へ戻る。日本料理屋でラーメン・餃子を
    食べる。宿も在英日本人経営のB&B泊。

6.5  ヒースロー空港から日本へ。



今こうして振り返ってみても、実に楽しい旅だった。
子供の頃から大好きだったビートルズ。彼らの故郷をこれ以上
ないくらい、細かく訪ねることができた充実感は実に大きいものが
あった。
あれから早いものでもう9年が経つ。
願わくば、生きているうちにもう一度訪ねてみたい。


今度はデジカメを持って。(前回は使い捨てカメラだった)

2007年6月3日日曜日

私の愛する散歩道      バラが咲いた

「バラが咲いた」   散歩途中の公園に咲くバラ  撮影 6月3日
必勝祈願    近所の神社に神頼み  撮影 6月3日

あじさい    これからの季節の主役  撮影 6月3日

雑木林    いつまでも残してほしい  撮影6月3日

日曜日の野球グラウンド   雲を見て夏が近いことを知る 撮影6月3日

火事場の馬鹿力     2007.6.3


月末、月初と続いた先週は珍しくハードな一週間となった。


5月度の売上計上をしくじってはならないという
意識がベースにあり緊張しながらも、片方ではヤマを迎えた大型商談に
勝ち抜くべく関係者と折衝・調整を続ける毎日となった。
すべてを完了した水曜日(5月30日)の晩は
気持が昂(たか)ぶっているのが自分でもわかるほどだった。
いわゆるハイテンション状態である。


しかし、この年齢になるとやはり無理は続かない。
翌・木曜日(5月31日)の午後から注意が散漫になり、これ以上続けても能率は
上がらないと悟り、仕事をやめてさっさと帰宅した。
夕食を終えソファに横たわると、あっという間に寝入ってしまっていた。
翌翌・金曜日(6月1日)も疲れを持ち越しているのがわかった。


そんな疲労からようやく回復したな、と感じたのは今朝である。
自宅近くの小さな神社に商談成功を祈念したあと、いつもの散歩道を歩いてきた。
歩きながらあれこれ思いをめぐらせる。
なかなかピリっとしない大型商談関係者に厳しく接したことへの反省とともに、
同じ轍を踏まないための体制、方策を考える。
テンションが下がって冷静になり、この一週間を振り返る余裕が出たのだ。


動物は獲物を前にしてテンションを上げる。
外敵を前にしても同様だ。
それはいつもの能力以上に力を発揮するため神から授かった本能であろう。


先週の私はそんな状態にあったと思えば納得できる。
集中力が異常に高まり、意識が研ぎ澄まされていた。
しかしそれは非常時であるから、長くは続かない。
それでも目先の問題解決には不可欠な力である。


昔の人はこれを火事場の馬鹿力と呼んだ。
先週、私にはこの力が天から降りてきたのである。