2011年6月5日日曜日

東京スカイツリー  2011.6.5




義母が来ているので土産話になれば、と東京スカイツリー見物へと
連れ出した。
私自身は実物を見るのは一年ぶり、二回目になる。


まだ上層部にクレーンは残っているものの、高さ634m の外観は
できあがっている。
やはり高く、その姿は壮観である。


ただ残念なのは、隣接して建設された高層ビルが景観を損ねて
いることだ。
できれば東京スカイツリーだけがそびえたつほうが見映えはよい。
集まっていた見物客の一人も「ビルが邪魔だな」と言っていた。


今でもかなりの人が見物に来ているから、オープンしたら東京の
新たな観光名所になることは間違いない。
隣接するビルに「上を向いて がんばろう日本」と書いてあった。
世界一高いツリーができることはなんだかんだ言っても国民の誇りに
なる。
オープンが待ち遠しい。





2011年6月4日土曜日

山を登り終えて  2011.06.04


ザ・プリンス パークタワー東京



自宅PCに向かうのは久しぶりである。
昨日、足かけ4か月にわたって取り組んできたプロジェクトが終了した。
大きなプロジェクトであるだけに、最後の1週間は精神的にだけでなく
肉体的にもハードだった。


重圧から解放された気分はいいものである。
まさに肩から重いものを降ろした、というのがふさわしい。
これでようやく普通のペースで仕事ができる。
毎晩遅くまで会社に残る必要もなくなった。


初めて取り組んだテーマを完遂して、大きな山を登った感覚がある。
なんとかかんとかやり遂げたことは自信になる。
ミスや無駄も多くあった。
忘れないうちに全工程を再チェックして、次にはもっと上手にできるよう
記録、記憶に残しておこうと思う。





2011年5月28日土曜日

休日出勤  2011.5.28

雨模様の土曜日となった。
台風二号が接近している。


来週金曜日の仕事に向けて毎日追い込んでいる。
今日も休日ではあるが、午後から出勤した。
休みで周り(関係区)の動きが止まっている間に、落ち着いて
準備作業が行える。
普段はメールや電話で中断されて、なかなか一つのタスクに集中
することができない。
今日は格段と能率があがり、重要な作業がはかどった。


来週金曜日に意識が集中しているので、休日出勤もまったく
苦にならない。
最後の追い込みだから明日(日曜日)も出勤する。
来週金曜日が終われば解放されるから、あと少し頑張ればよい。

2011年5月22日日曜日

長男と仕事  2011.5.22




晴れてはいるが風の強い日曜になった。


私事ではあるが筆者の長男はシステムエンジニアとして、ある
企業に勤務している。
勤め始めてすでに6年目になる。
システムエンジニアはシステム完成納期に向けて、勤務形態が過酷
なことは業界の常識となっている。


あるプロジェクトの一員に組み込まれた長男の、ゴールデンウィーク
前後の働きぶりは親として心配するくらい大変だった。

毎晩、帰宅が夜中になる。
ゴールデンウィーク期間の休日は皆無。
帰宅せずにホテルに泊まった日も少なくない。


私は彼の心身疲労が心配でならなかった。
自分ならとても無理、と思われる連続勤務だったからだ。
しかしこちらは何もすることはできない。
ジレンマである。
過保護と言われるかもしれないが、心配だったのは事実である。



そんなプロジェクトもようやく収束したようで、先週は帰宅時刻が
平常に戻った。
今日も休みで、朝から元気に遊びに出かけて行った。
そんな彼を見てほっとしている。
また、別のプロジェクトが始まるまで心と身体をのびのびと解放して
ほしいと願うばかりである。

2011年5月20日金曜日

内閣不信任案   2011.5.20




昼間は気温が上がり、エアコンのスイッチをまだ入れていない
会社事務所はけっこう暑い。
これからますます暑くなっていくことは間違いない。
いつ、エアコンに ゴーサインが出るのか気になるところである。


政界では菅内閣への不信任案がテーマになっているという。
私にはまったく理解を超えている。
なぜなら今、日本はかつてない難局の真っただ中にあり、現政権は
それなりの布陣でそれなりに一生懸命取り組んでいる。
「菅内閣はダメだ」という理由は、私にはどうしてもピンと来ないのである。


ダメだという勢力の動機は、つまるところ政権の足を引っ張ることに
あることは疑いがない。
どうして政権に力を貸して国難に向き合うことができないのだろうか。
この難局に際して戯言(たわごと)を言っている勢力を我々はよく
覚えておくべきである。




2011年5月17日火曜日

お知らせ 2011.5.17




久しぶりに仕事に追いかけられる日々を過ごしている。
来月上旬のイベントに向けて、追い込んでいる状況だ。
細かく、かつ間違いがあってはならないタスクなので、用心
しながら作業を進めている。


このタスクを終えるまでは投稿ペースが上がらないと思う。
読者の皆さんには、あらかじめお知らせしておきます。
浜岡原発の停止など、書いてみたいテーマはありますが
仕事から解放されて心に余裕が出たら元のペースで書き出し
ますので、しばらくご容赦をお願いします。


と、書いておきながらも予想以上に余裕があれば書きます。
状況次第です。

2011年5月14日土曜日

たばこ

                           



新聞にJT(日本たばこ)の広告記事が掲載されていた。
震災で生産が滞っていたお詫びと、商品別にいつ供給される見通しかを
告知する内容の広告だ。
たばこを吸わない私には無関係なのだが、驚きとともに読みふけった。


私がその広告を見て驚いたのはマイルドセブンの種類の多さだ。

マイルドセブン
マイルドセブン・ボックス
マイルドセブン・100’s・ボックス
マイルドセブン・ライト
マイルドセブンライト・ボックス
マイルドセブンライト・100s・ボックス
マイルドセブン・スーパーライト
マイルドセブン・スーパーライト・ボックス
マイルドセブン・スーパーライト・100s・ボックス

マイルドセブン・エクストラライト
マイルドセブン・エクストラライト・ボックス
マイルドセブン・エクストラライト・100s・ボックス

マイルドセブン・ワン
マイルドセブン・ワン・ボックス
マイルドセブン・ワン・100s・ボックス

マイルドセブン・ディースペック・スーパーライト・ボックス
マイルドセブン・ディースペック・ワン・100s・ボックス
マイルドセブン・インパクト・ワン・100s・ボックス

マイルドセブン・インパクト・ワン・メンソール・ボックス
マイルドセブン・アクア・メンソール・スーパーライト・ボックス
マイルドセブン・アクア・メンソール・ワン・100s・ボックス


なんと21種類もある。
生産、販売、商品管理に携わったことのある人ならわかると思うが、
商品アイテム数は少ないほうが何かと効率がよい。
日本たばこ、販売店の間で受発注業務に間違いは起こらないのだろうか。
当然、商品別にコード化していて発注ミスを防ぐ手立てはあるのだろうが
業務は大変だと察する。


もう一つの疑問。
消費者にとって、こんなにたくさんアイテムが必要なのだろうか。
どうしてこんなにたくさん細分化した商品ラインアップをそろえて
しまったのだろうか。
日本たばこという会社には「選択と集中」の概念がないのではなかろうか。


他人事(ひとごと)ながら考えさせられてしまった。
これってきっと良し悪しでいえば、良くない状態だと直感的に思う。

2011年5月10日火曜日

蒸し暑い季節  2011.5.10

雨が降ってきて蒸し暑い午後になった。
すでにクールビズ期間なのでネクタイなしで勤務しているが、
午後になって暑苦しさを感じた。


帰りの電車もこれまた蒸し暑かった。
まだ五月だというのに、早くも暑さに負けそうになっている。
明日の気温次第では、半袖シャツを着るかもしれない。
 

これから梅雨、そして夏に向かう。
9月までの4か月は我慢の時期だ。
今年は暑さが大の苦手な私にとって、本当に厳しくなりそうだ。
かなり憂鬱である。

2011年5月7日土曜日

一年前の今頃 2011.5.7

大震災があったせいか、すっかり記憶から消えていた。
今日たまたまテレビで仲井真沖縄県知事を見て、こつ然と思い出した。
一年前の今頃のことを。


あの頃は米軍沖縄基地の移転問題が我が国の大きな事案だった。
五月末までに結論を出す・・・。
鳩山首相(当時)の唐突な「腹案」、それに振り回された徳之島・・・。
挙句の果ては鳩山首相の退陣、というドタバタ劇を見せられたのが
ほんの一年前のこととは信じられない。
もっと昔のことのように思える。


また、大震災を経験した今、米軍沖縄基地問題がとても矮小な事案に
思えてくるから不思議だ。
基地問題は、それはそれで日本国民にとって重要な問題なのだが、
そう感じるほど東日本大震災は生活の激変をもたらす大事件だった。
これから先の人生においても、今回ほど影響の強いできごとはないかも
しれない。
多くの人々の人生観を変えてしまうほど、生涯に一回あるかないかの
大きなできごとだった。


大震災を忘れて日常を取り戻したいと言いつつ、またこの話題に触れて
しまった。

ラミシール  2011.5.7




雨模様でパッとしない天気だから、写真だけは華やかにしてみた。


今日、明日を休めば今年のゴールデンウィークも終了する。
毎年のことだが、休みの歓びは迎える前にある。
終わってしまえばあっけなく、かつ早いものである。


午前中は皮膚科へ。
足の水虫がぶり返したので、3か月前から月一回通っている。
通っているといっても、月一回、一か月分の薬をもらいに行くだけである。
ラミシールという飲み薬を毎日一錠、三か月服用してきた。


ラミシールの効果で私の水虫もすっかり良くなった。
今日、医師から完治のお墨付きをもらってきた。
読者の皆さんも、水虫に悩まされている人がいたらこの薬を病院で
処方してもらうことをお勧めする。
塗り薬につきものの面倒臭さがなく、かつ、効果絶大である。
ただし、人によっては副作用が出る場合があるので毎月血液検査を
必須とする。

2011年5月4日水曜日

連休の日本 2011.5.4





再び三連休に入った。
昨日は天気がいま一つだったが、今日は朝から晴れている。
晴れているだけでも気分はかなり違うものだ。


ここ数日、身体に感じる地震(余震)がない。
大地震後、度重なる余震で調整を繰り返した日本列島の地殻が
ようやく安定してきたのかな、と思う。
テレビの緊急地震速報は精神安定上よろしくない。
ドキドキさせられた挙句にさほど揺れないことが多く嫌だ。


AC広告も少なくなった。
AC は大震災後の重苦しい気分を呼び起こすので嫌いだ。
暗い雰囲気にうんざりさせられる。
とくに「こだまでしょうか。いいえ誰でも」は暗すぎる。
有名サッカー選手が出てくる「ニッポン、ニッポン」も、無理に
元気づけようとされているみたいに感じる。
見たくない。


連休で観光地にもそこそこ人出があるようだ。
テレビ局にインタビューされる人たちが「自粛をやめて日本を元気に
したいから」といった発言をすることが多い。
そんな発言を聞くたびに、日本はまだまだ普通の状態ではないのだな
と感じる。



2011年4月29日金曜日

サプライチェーンの寸断 2011.4.29

たんぽぽ



ゴールデンウィークを迎えた。
今日から三連休、月曜日に出勤したら再び三連休、そして
金曜日に出勤して土日(連休)、というのが今年の暦だ。
例年通り遠出はせず、のんびり好きなことをして過ごす予定だ。



4月の自動車販売は前年比5割を超える減少見通しであることが
今朝の新聞で報道された。
部品不足でクルマの製造が滞っているからだ。
知人の話だが、車検が迫っているため買い替えようとディーラーに
出掛けた。
大衆車ヴィッツを求めたかったのだが、納車が年内は無理と
言われたそうだ。
実態はここまでひどくなっていたのだ。


「原料資材購入 → 部品製造 → 完成車組み立て」という一連の
流れを経済用語でサプライチェーンという。
クルマに限らず、あらゆる製造業での用語として使われている。
ここ十年くらい、経済界ではサプライチェーンの改革が改善テーマの
ひとつだった。
作り過ぎ(過剰生産)、品不足(過少生産)がないよう、受注情報に
即した生産が行われることを是とした改善活動が行われてきた。


今回の大震災では工場の被災により、部品製造が滞った結果
サプライチェーンが寸断されてしまった業界が多々ある。
その代表格が自動車業界である。
身近な例では、ペットボトルのキャップが不足して飲料水の製造が
滞っているという話もある。


以前も書いたが、世の中は多くの会社、工場が互いに関わり合い
モノづくりが行われていることを痛感した。
今回の大震災で教えられた。


2011年4月27日水曜日

厳しい季節の到来   2011.4.27

チューリップ


4月末にもなると暑くなってくるものだ。
今日午後、ビルの中にある事務所で今年初めて暑苦しさを
感じた。
我慢できないほどではないが、ネクタイを絞めた首まわりが
少し汗ばむ感覚を覚えた。


今からこんなにも暑いと、迎え来る夏が思いやられる。
電力不足に伴う節電が必須だから、昨年までのようにエアコンを
存分には使うことができない。
通勤電車も今日時点では冷房は入れずに送風だけだった。
窓開けで対応するよう車内アナウンスが流れていた。


まだ実感を伴わないが、相当厳しい夏になると覚悟しておいたほうが
よさそうだ。
今までになく厳しい季節を迎えている。
我慢と工夫で乗り切るしかないのだ。

2011年4月24日日曜日

新緑   2011.4.24





新緑を渡りゆく風香ばしくどこぞ林に鶯は鳴く      天祐









2011年4月23日土曜日

東京電力  2011.4.23

東京電力の清水社長が福島県を訪れ、県庁、町役場、震災避難所など
各地でお詫び行脚をした。
原発事故を引き起こした会社の責任者としての責務を尽くしている。
立場、役割とはいえ、なんと大変な時に社長を務めている人なのだろう。



当然ながら、清水社長が事故を招いたわけではない。
設計上、重大なる過失があったわけでもない。
原発建設当時から今に至るまで、考えうる限りの安全策を講じて稼働
させてきたが、想定をはるかに超える津波があの日に福島第一原発を
襲ったがためである。



事故が起きた後になって冷却用電源設備をあれこれしておけば
よかった、というのは後出しジャンケンである。
想定外があってはならない、という意見もあるが、私は世の中には
想定外はつきものだと考える。
人間はそこまで賢くはないし、自然の猛威は時として人智など軽々と
越えて牙をむく。



私は東京電力に事故の責任がなかったと言っているのではない。
事故の収束努力や巨額に及ぶ賠償も責任のうちである。
社長が関係区に頭を下げるのも仕事に伴う責務である。
しかし、大地震→大津波→原発事故の因果関係の中で、あらゆる
責任を東京電力にかぶせるのはいかがなものかと感じている。
しらばっくれているが、かつての自民党政権にも責任はあるだろう。
テレビで解説している学者にも全く責任はないのだろうか。



昨日夕方、たまたま東京電力本社の前を歩いて通った。
テレビ局のマイクロバスにまじって警視庁の車両も警戒にあたっており
ものものしい雰囲気だった。
同社に集中する非難のなかで、あってはならない事件を未然に防ごうと
いう意思なのであろう。



すべての責任を東電に負わせることには反対である。
不幸にも起きてしまった今回の事故を教訓に変えて、より安全な原発へと
進化させるべきである。
日本の電力の30%は原発から生み出されている。
原発なくして日本の経済、人々の豊かな生活は成り立たないのである。

仕事がはかどった夜  2011.4.23

内幸町にて  撮影:4月22日


思いのほか仕事がはかどった昨日の金曜日。
夕方、早めに会社事務所をひけて帰路につく。


最寄駅(銀座)に向かう足取りが軽い。
「そうだ、こんな日こそ少し歩いて頭を切り替えよう。週末でも
あるし」と思い、新橋・虎の門方面へ歩くことにした。


思えば大地震の朝に歩いた以来の道のりである。
あの日以来、虎の門から銀座まで歩くのをやめていた。
先を争うように電車に乗って、まっすぐ帰る日が多くなっていた。
久しぶりに歩いてみると、オグラ氏の元職場(ビル)が建て替えの
工事をしている。
飲食店の店先を見て歩くだけでも楽しい。


疲れも感じなかったので、虎ノ門を越して溜池山王まで歩いた。
会社を出て約40分。
暑くもなく寒くもなく快適な歩行ができた。
電車に乗ったら、なんだかとても気分がスッキリしている。
やはり歩くということは心身の栄養になる、と再認識した夜だった。
 

2011年4月20日水曜日

震災躁 2011.4.20

暖かくなったと思ったら、今日は朝晩冷えた。
コートが必要なほどではないが、少し身体が縮じこまる感覚を
味わった一日だった。


大震災に見舞われてから私自身で変わったことがある。
それはかなりしばらく続いた変化だった。
まず、食欲が旺盛になった。
とにかく腹が空き、たくさん食べられるようになった。
会社の同僚にも同じことを言った者がいた。
彼曰く、生命の危機に瀕した時の自己防衛本能なのではないかと。


もう一つの変化は、夜寝るのが遅くなったことである。
以前は疲れてさっさと寝ていたのだが、地震の後はおそらく興奮して
いたせいだろう、毎晩24時をまわる日が続いた。
しかも翌日、疲れを感じない。


4月5日の朝日新聞夕刊に作家・池澤夏樹氏のコラムが掲載された。
そのなかに「震災躁の後で、震災鬱がやってくる。」というくだりがある。
そうなのだ。私の変化は震災躁という言葉で説明できると思った。
精神がファイティングポーズを取っている状態である。
心身が妙に活性化されているため、ハラも減るし夜も眠くならない
躁状態に入っていたのだ。


躁状態は知らず知らずのうちに身体に負荷がかかるから、いつまでも
続くものではない。
さすがに今週くらいから、以前のように夜22時をまわると眠くなるように
なった。
日中も、昼食後などが特に眠い。
鬱にはならないが、躁状態は終わったのだ。


身体というものはきっちりバランスを取るものなんだなと感じる。
ここ1か月近く、私はまさしく震災躁状態にあったのだなと思う。

2011年4月17日日曜日

政権の対応を支持する  2011.4.17

浜離宮


好天の休日を迎えた。
マンションの窓から見える銀杏の木々には緑の新芽が芽吹き
それが日に日に成長しているのがわかる。
冬物のコート類も昨日クリーニングに出した。


今回の大震災に際して政府の対応を批判する声があがっていると
報道されている。
自民党はもちろんのこと、同じ民主党内でも小沢氏が批判の声を
強めているらしい。
私はこのことに強い違和感と不快感を感じている。


大地震の翌日、菅総理は自衛隊機で被災地を空から視察した。
震災の大きさを確認すると、すぐに10万人の自衛官を被災地に
派遣することを決めた。
当初は5万人規模を考えていたが、自らの目で見て決断した。
報道されている通り、自衛官たちは現地で被災者の救援や復旧
活動に貢献した。
10万人規模の派遣を決めたのは菅総理である。


福島第一原発事故に対して東電に檄を飛ばしたのも菅総理である。
政府のスポークスマンとして枝野氏の活躍も素晴らしかった。
もともと地味だが「できる男」であることを証明し男をあげた。


計画停電の了承など個々の判断が万全だったかは今はまだ判断
できない。
結果的に間違ったジャッジも混じっているだろうと思う。
しかし、未曽有の大震災に見舞われた非常時・混乱時でのことである。
すべてがベストに運べるほどヒトは賢くない。


私が社会人になりたての頃に教わったことがある。
「他人を批判することは、批判する相手の10%の能力があればできる」
ということだ。
こんな事態に際してもなお、時の政権を批判することしかできない
一部政治家には失望を禁じ得ない。
私は民主党びいきではないが、菅総理をはじめとする政権の奮闘を
強く支持するものである。

2011年4月13日水曜日

がんばろう!日本  2011.4.13

浜離宮の桜


すっかり暖かくなった。
季節は完全に春へと移行した。


大地震のことは忘れてしまいたいのだが、連日襲ってくる余震が
そうはさせてくれない。
一昨日(4月11日)夕方には大きな揺れがあり、昨日も二度ほど
身体に感じる強い揺れがあった。
こんなに頻繁に揺さぶられるから、私の地震酔いは治りそうにない。
四六時中、揺れているような錯覚に悩まされている。


その一方で、生活必需品のモノ不足はほぼ解消したようだ。
米、パン、牛乳、納豆などは潤沢にスーパーの棚に並んでいる。
飲料水が足りないくらいだろうか。
ガソリンスタンドに、クルマが列をなすことはもうない。


被災地が復興するまでには気の遠くなるくらいの時間が必要だろう。
福島第一原発事故の収束もかなりの時間を要することが確実視
されている。
余震がおさまり、人々が普通にお金を使って経済が活性化するまで
どのくらいかかるだろうか。
余震を感じるたびに悲観的な気分に捉われてしまうが、希望を捨てず
前を向いて生きていきたいと思う。
まさに、がんばろう!日本である。

2011年4月10日日曜日

大震災から一か月  2011.4.10





大震災から一か月が経過する。
列島では余震が発生しない日がない状態が続いている。
揺れを感じるたびに、いったいいつまで続くのだろうかと不安になる。


私は毎晩寝る前に祈っている。
寝ている間に大きな余震が来ないことを。
家族・友人・会社の仲間が無事でいられるように。


本当に恐れているのは余震もさることながら、首都圏直下型の
大地震だ。
これが本当に怖い。


大地はどっしりとしていてほしい。
グラグラ揺れてほしくない。
テンプターズの曲ではないが、神様お願いという心境である。

2011年4月7日木曜日

春来たる 2011.4.7

昨日、今日と俄然暖かくなってきた。
開花が例年より遅かった桜の花も、今を盛りと咲き誇っている。
春がやってきたのだ。


今週は勤務時間中に余震を感じることがなくなり、ようやく業務に
集中できるようになった。
少しずつ日常が戻りつつあることを感じる。
しかし、その一方で、日増しに震災の影響の大きさを実感する
ことも多い。


被災地で行われていた各種部品製造が滞ることにより、最終製品の
生産にまで影響を与えている。
その代表格がクルマだ。
米国メーカーの生産までもが影響を受けているという。
紙製品、インク類も足りないため、印刷に悪影響を及ぼしている。
企業活動がいかに多くの協力工場がからみあって成り立っているかを
思い知った。


我が国の経済がしばらく縮小・停滞することはやむを得まい。
やがて部品製造が立ち直り、最終製品の生産も回復していくことだろう。
個人の消費も国内経済に占める割合は高い。
いま大切なのは、何でもかんでも自粛しないで皆で普通にお金を使うこと。
義援金を収めた後は、今まで通り普通にモノを買い飲み食いすることだ。
まさに「お金は天下のまわりもの」なのだから。

2011年4月3日日曜日

いつも音楽と共に生きてきた(モンキーズ)  2011.4.3

 桜の花をついばむ野鳥 




Wikipedia によるとモンキーズの「恋の終列車」(Last Train to Clarksville)は
1966年10月にリリースされた。筆者が小学校5年生の頃である。


当時、ビートルズは難解な音楽へと傾斜していた時だった。
それだけにビートが効いてシンプルなモンキーズのサウンドは、聴いていて
耳にとても心地よかった記憶がある。
かっこいいリードギターのイントロで始まるこの曲は大いにヒットした。
(リードギターを弾いているのはベンチャーズのジェリー・マギーである)
 
 
ビートルズの真似をした米国の「作られた」バンド、楽器が弾けないなど
よく言われない面があったことも事実だった。
しかし、彼らの曲は今聴いても素晴らしい。
小学生の頃の淡い思い出とともにいつまでも忘れることはできない。
 
 
ちなみに私は Davy Jones が唄う I Wanna Be Free が大好きである。
カラオケ向きな曲は Daydream Believer だ。結構、盛り上がる。



 
なつかしいモンキーズナンバーを聴いてみてください ↓
 
恋の終列車(Last Train to Clarksville)
I'm A Beleaver
Daydream Believer
Valleri
I Wanna Be Free
 
 
 



2011年4月1日金曜日

期末、期初  2011.4.1




昨日(3月31日)は社会人になって、まる33年が経過した日である。
昨朝、出勤するとき「よく続いたものだな」と小さな感激があった。
一言で33年といえども、振り返れば山あり谷ありの日々だった。



明けて今日。
新たな年度がスタートした。
期初は何年やっていても心新たな気持ちになる。



大地震から3週間が経過した。
あの恐怖はなかなか消えないけれども、怯えていても何も変わらない。
心配な福島第一原発も、米軍や諸外国の支援も受けながら関係者が
懸命に事態を鎮静化させようと努力を続けてくれている。
我々が心配しても事態は改善しない。


今朝の天声人語(朝日新聞)で、そろそろ震災から普通の日常へ
戻ろうという提言があった。
私も普通に生活して、普通にお金を使いたいと思った。
今朝、東急・田園都市線に乗ったら車内アナウンスで「明日から
急行電車が走り、来週月曜から朝夕は通常ダイヤで運行する」ことを
知った。
震災から気持ちを切り替える、リセットの時期を迎えている。










2011年3月28日月曜日

大前研一氏からの最新情報  2011.3.28

大前さんからの新たな情報がアップされました。

こちら ↓
http://ow.ly/4nAm2

2011年3月26日土曜日

私の愛する散歩道  2011.3.26

撮影:3月26日



土曜日を迎えた。


大地震発生以来、ずっと緊張して生活してきたせいだろう。
昨晩は疲れを感じると共に、強い眠気に襲われてバタンと眠って
しまった。
そろそろ平常時のペースに切り替えるタイミングが来ているのでは
ないだろうか。


そう思ったから午前中、川べりまで散歩に出てみた。
大気中の放射線量は通常よりやや多いのかもしれないが、
気にしていては何もできない。
実際に気にするほどのデータではないだろう。
あいにく風こそ強かったが、久しぶりに散歩道を歩いてスッキリとした
気分を味わった。


一週間前の土曜日(19日)はガソリンスタンドに長い車列ができた。
スーパーから米、パン、牛乳などの生活物資が消えていた。
実際に絶対量も少なかったのだろうが、パニックだったのだと思う。
今日のガソリンスタンドは何事もなかったかのように空いている。


一週間前の不安な気持ちがウソのようである。
生活必需品の購入に不安がなくなればパニックもなくなる。
今は飲料水が売り場からすっかり消えている。
木曜日に東京都の浄水場で放射能が検出された影響である。


だが、これも一時的な現象だろう。
福島第一原発が安定冷却できるようになり、大気や水の放射能濃度が
低くなれば収まるはずだ。
早くそのステージになることを切に願っている。




ランニング練習する大学生

2011年3月25日金曜日

ITの勝利  2011.3.25

今日は身体に感じる地震がない一日だった。
揺れがないだけでも心が落ち着く。


東日本大震災で自分に何ができるのか。
仕事があるからボランティアには参加できない。
人さまざまだと思うが、私自身にできることは義援金を送ることだと
考えた。
そう考え、ネットで日本赤十字社を検索してみた。
するとクレジットカード決済で募金できることがわかった。


郵便局へ行って振り込むことをイメージしていたが、自宅のPCから
簡単に義援金を送ることができた。
便利な時代である。
ITって本当に素晴らしい。
改めて実感した。


アクセスはこちらです。 ↓
http://www.jrc.or.jp/contribute/help/l4/Vcms4_00002074.html

2011年3月24日木曜日

二回目の夜間停電  2011.3.24

         戻れ、平穏な日々  撮影:3月5日



昨晩(3月23日)、私の住む地域で夜間の計画停電が行われた。
夜の停電は計画停電を開始してから二回目になる。


会社から最寄駅に戻った時間は夜の7時過ぎ。
駅に降りると「地域では計画停電中です。皆様、お気をつけて
お帰りください」というアナウンスが流れる。


バス乗り場では東急の係員2名が混乱のないように誘導していた。
駅周辺ではパトカーも赤色灯を回して待機している。
やがて走り出したバスの窓から見る商店街は、明かりがなく
いつもの景観ではない。
電気が消えるとこんなにも変わってしまうものなのか。
改めて大地震後の非常事態であることを実感した。


停電そのものは予定より早く、8時には終了した。
時間にして約1時間半。
先の見えない日々が続く。


追伸

ご参考まで(3/21投稿関連:大前研一氏 総理官邸へ入る) ↓
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110324/plc11032402580000-n1.htm

2011年3月21日月曜日

福島第一原発の今、今後  2011.3.21

福島第一原発で起きていること、今後についてはやはり大前さんが
最もわかりやく解説してくれていることがわかった。



かなり参考になります。 → http://ow.ly/4ipDu


氏は、社会人のスタートを日立製作所の原子力技術者として送った経験の
持ち主であることはよく知られている。

2011年3月20日日曜日

買い物事情  2011.3.20

ガソリンスタンド給油待ちの列  撮影:3月19日 8:48



テレビ報道は大震災一辺倒の時期を終え、通常の放送に移行しつつ
ある。
福島第一原発への対処も困難な状況のなか措置が行われ、事態が
改善の方向に動いている。
震災、原発情報は定時のニュースにて流されるようになった。
まだ、テレビコマーシャルはほとんど流されていない。



私の住む地域ではガソリンを購入するクルマがスタンドに列をなしている。
しかも1台あたり2,000円までしか購入できない。
昨日は昼過ぎに売り切れている。

先ほど近所のスーパーに歩いて買い物へ行ったが、道を走る車の数が
目に見えて少なかった。
ドライバーたちがガソリンを大事にしているせいだろう。
スーパーでは相変わらず食パンがなかった。
菓子パンも買い占め防止のため一人一個までしか購入ができない。
他所でも同様だと思う。
一時的な品不足だろうが、戦時中の配給を想起させるような状況だ。



新聞報道によると首都圏のガソリン不足は今週中に解消される見通し
とのこと。
徐々に平常時の状況に戻るだろうが、私たちの生活がさまざまな
必需品の潤沢な供給に支えられていることを改めて思い知った。

2011年3月18日金曜日

大地震から一週間  2011.3.18

大地震から一週間が経過した。



テレビでは連日、被災地の詳細情報が報道されている。
大混乱のなか、救援物資を送り込む体制構築や物流経路の
修復が進んでいる。
福島第一原発の「時間との闘い」に関する報道にも目が離せない。
仕事中もちょくちょくYahooニュースを確認する。
祈るような気持、不安な気持で毎日を過ごしている。



今夜には私の住む地域で初めての夜間停電が行われた。
私は勤務を早めに終えて停電前に自宅へ戻った。
18時半から約2時間、電気が遮断されるなかラジオを聞きながら
こたつに足を突っ込んで過ごした。
あらかじめ最長3時間ということがわかっているから我慢できる。
それでも通電された瞬間はホッとした。



現在起きていることが現実ではないのではないか、と受容できて
いない自分がいる。
頭の中がまだ整理できていない。

2011年3月17日木曜日

地震酔い 2011.3.17

今日夕方から大規模停電の可能性がある、と東京電力が発表した。
都内の多くの企業が夕方前に社員へ早めの帰宅を促した結果、
帰りの電車は大混雑を招いてしまった。
一斉に人々が動くと危険だ。
できれば分散帰宅を促すべきだったように思う。



11日の地震以来、私はしばしば揺れている錯覚に悩まされてきた。
会社でPC画面に向き合っている時、腰かけている時に周囲が
ゆらゆら揺れているように感じるのだ。
私が臆病者だからだと思っていたが、今夜の朝日新聞の記事から、
この感覚を「地震酔い」ということを知った。



視覚情報と平衡感覚とのズレが原因とのこと。
今回の地震は揺れた時間が長く、余震の回数も多かったため
この症状を訴える人が少なくないという。
こうしている今もまた、本当の揺れが起きている。
いつまで本当の揺れと錯覚の揺れに悩まされるのだろうか。

2011年3月16日水曜日

計画停電 その後 2011.3.16

昨日(3月15日)と今日、筆者の住む横浜市青葉区では東京電力の
発表通り、計画停電が実施された。
家内によると3時間程度、停電したとのことである。



通勤の足である東急・田園都市線の状況は以下の通りだ。

<昨日(3月15日)>
通常の40%の本数で運行。すべての電車が各駅停車。
混雑を避けようと、1時間早く自宅を出発。
ところが、あざみ野駅で6時15分頃に乗車した電車は身体の自由が
きかないくらい混雑した。
私より30分遅く出発した長女の情報では、たいした混雑はなかった
とのこと。
私の乗った時間帯は早めに出発した乗客が集中して、かえって
混雑を招いてしまったものと思われる。

帰りも青山一丁目での乗車が混雑のため難しく、いったん逆方向へ
戻って神保町から乗車しなければならなかった。

<今日>
通常の80%の本数で運行。
往路では目立った混雑はなかった。
夕方の復路では平常運転に戻っており、急行電車も復活。



今日で通勤の足は回復したようだ。
あとは時折襲ってくる揺れが収まってくれれば、と願う。
昨晩の揺れ(震源地:静岡)も今日昼の揺れ(震源地:千葉・茨城)も
怖かった。

2011年3月14日月曜日

計画停電  2011.3.14

計画停電という言葉があることを初めて知った。
東北関東大震災の影響で、東京電力の電力供給量が需要量に
追いつかない恐れが出たための措置である。
東海道線、横須賀線が終日、全線運休するとは思わなかった。
電力事情がかなりひっ迫していることがうかがえる。



私が利用する東急・田園都市線は朝から運行した。
今朝はいつもより30分早くあざみ野駅から乗車したが、大混雑。
二子玉川から先の渋谷まで、ますます混むのがわかっているので、
溝の口で下車し大井町線に迂回した。



多くの鉄道が運休している影響で、今日出社した人数は半分に
満たなかった。
首都圏は被災地ではないが、通勤の足が多くの場所で奪われている。



夕方は混雑を避けようと会社を4時に出た。
ところが東急・田園都市線が午後1時半から5時半まで全線運休していた。
渋谷で約1時間、電車が動くのを待つ羽目になってしまった。



この事態がいつまで続くのかは不明である。
被災地の方々の苦労を思えば、この程度の不便は我慢しなければならない。

2011年3月13日日曜日

南相馬市の状況 2011.3.13

テレビで報道される東北の惨状は尋常ではなく心が痛む。



福島県南相馬市に津波が襲ったという報道がされている。
筆者の友人オジマ氏が住む地域である。
もしや、と心配でならなかったが昨日夕方、本人から無事を知らせる
返信メールが届いた。
以下、本人からのメールを紹介する。
被災地の状況がリアルに記されている。


-----------メール----------------
家が海から10km離れているので家族全員なんとか大丈夫でした
水は出ませんが電気が通じているので安心です。
海岸地帯は壊滅状態です。死者は300人くらいいるみたいです。
私の母校の原町高校の体育館が遺体安置所になっていますが続々と
運び込まれています。
会社の人の家は津波でなくなりました。
それより安否すらわかりません。


2011年3月12日土曜日

大地震 2011.3.12

会社事務所7Fで勤務中、突然揺れを感じた。

ビル全体がゆさゆさと揺さぶられ、しかもその揺れがどんどん

大きくなる。

恐怖のあまり泣き出す女子社員もいる。

机の下にもぐりながら揺れが収まるのを待った。

「これはダメかもしれない」と揺さぶられながら思った。




余震も怖かった。

もちろん仕事どころではなくなった。

電車もすべてストップしている。

歩いて帰宅する選択肢も頭をよぎったが、早々に諦めて

会社で夜を明かす覚悟を決めた。

「小諸そば」で夕食をとり、コンビニでお茶を買った。

コンビニはレジに20人くらいの列ができていた。




ずっとインターネットの画面を見て電車が回復するのを待った。

9時過ぎくらいだっただろうか、地下鉄銀座線がいち早く復旧した。

11時過ぎに東急線全線が動き出したことを知り、混むのを承知で

帰宅の途についた。

結局、家に帰ったのは夜中の1時半。

会社で夜明かしせずに帰れたのは幸いだった。





2011年3月9日水曜日

前原大臣  2011.3.9

                                   公園   撮影:3月5日



前原外務大臣が辞任した。
外国人から政治献金を受けていた点が法律違反であり、その
責任を取って、とのことである。



献金の金額は20数万円とのこと。
野党にやんやかんや言われてボロボロになる前にさっさと身を
引いたほうが良いだろうという読みだと思われる。
それはそれで正解だろう。



しかし、外国人から政治献金を受けて何が悪いのだろう。
私には法律そのものが間違っているように思える。
また、スキャンダルとして鬼の首を取ったように追及する野党の
程度の低さにもうんざりする。
国民のことなどそっちのけで政権党を攻撃することだけが目的に
なっている。



我が国を評して経済は一流、政治は二流と表現した時代があった。
今でもそれは変わっていないし、政治の質がますます低くなって
いるように筆者には感じられる。
骨太な政治が行われる時代は来るのだろうか。
暗澹とした気持になる。

2011年3月8日火曜日

高級アイスクリーム  2011.3.8






千疋屋のアイスクリームが先日、我が家へ届いた。
昨年獲得したエコポイントを利用したのだ。
このアイスクリームは10個で5,000円もする。
つまり1個あたり何と500円のアイスクリームだ。


ありがたく食べてみたがとても美味しい。
さすがは老舗の千疋屋である。
でも私の感覚からしたらあまりにも値段が高い。
こんな高いアイスクリームはエコポイントでも利用しなければ
食べる機会はないだろう。
贅沢の極みである。

2011年3月6日日曜日

斎藤佑樹の素晴らしさ  2011.3.6

                                   公園  撮影:3月5日



プロ野球のオープン戦が始まっている。
あとひと月もすればシーズン開幕を迎える。
私は斎藤佑樹がプロでどこまで通用するのか少しハラハラしながら
見守っている。



テレビ番組のインタビューからは彼が非凡でないことがうかがえる。
受け答えが実にしっかりしている。
浮ついたところが微塵も見えない。
人気におぼれることなく冷静に自分を見つめている。
堂々とした態度もいい。
いつ見てもほれぼれとしてしまう。



高校、大学で一流だったのだから、プロでも通用する投球術は持って
いると思う。
今はまだ人気先行だが、ぜひとも結果を残して一流のプロ野球選手へ
駆け上がってほしい。

2011年3月4日金曜日

iPad2  2011.3.4

                                   西新橋 撮影:3月4日



アップルがiPad2を発表した。



昨年、初代 iPad を発売してから一年もたたないうちに、もう次の
モデルを出せるところがアップルの素晴らしいところだ。
iPadを追って、数多くのメーカーがタブレット型携帯端末を製品化した。
競合他社が類似品を出してくるなか、突き放すように「次」を出す。
このリリースタイミングは素晴らしい。
なかなかできることではない。



アップルが偉大な点はふたつある。
ひとつは今までになかったモノ(something new)を生み出せる開発力。
iPod、iPhone、iPad・・・出す製品すべてがユニークな製品だ。
さらに、新しいモデルを出すスピードが卓越している。
iPhone4 もライバルが追いかけてきた時点で出して、いまだにヒットを
続けている。



新しい製品を生み出すことは難しいが、トップランナーの地位を
維持することはもっと難しい。
アップル恐るべし、である。

2011年3月1日火曜日

百円貯金  2011.3.1

夕方から冷たい雨が降り出した。
今も外で雨音がする。
冬型高気圧が張り出していた季節は終わり、冬が3/4で
春が1/4をブレンドしたような気候の中にいる。



1年前の今頃から始めた習慣がある。
毎晩帰宅したら100円を貯金するのである。
1ヶ月で3千円、年間3万6千円貯まる計算になる。



実際は不意な出費や遊び代に充当してしまうから計算通りには
貯まらない。
けれども毎日積んでおくといつの間にか貯まっていて助かることが
多い。
このお金で秋から冬のラグビー観戦を金銭の負担感なしに楽しむ
ことができた。
現在でも約1万円くらいの金額が本棚にある。



使うは易く、貯めることは難しい。
毎日、財布からコイン1枚だけを抜き取ればよいのである。
百円貯金習慣は結構お薦めである。

2011年2月27日日曜日

ネオダマ  2011.2.27

                              青葉台方面を望む 撮影:2月13日



かつてコンピュータの世界で「ネオダマ」という言葉が流行した時代が
あった。1992-93年頃である。

まだWindowsが普及する前段階で、家庭でパソコンを持っている人は
少なかった。




「ネオダマ」とはネットワーク、オープン化、ダウンサイジング、
マルチメディアを総称した造語である。

ネットワーク・・・今後はネットワークが当たり前の時代になる。(という予測)
オープン化・・・メーカー独自の”閉ざされた”基本ソフトから、メーカーに
縛られない時代になる。(という予測)
ダウンサイジング・・・大きな筐体のハードウェアから小型化の動きが
起こっていた。(という変化)
マルチメディア・・・CD-ROM、光ディスクなど、さまざまな記憶媒体が
生まれていた。(という変化)



当時は未来予測を含めた「ネオダマ」であったが、今日ではこの言葉の
通りの世界が実現した。
Windows95がネットワークを容易にし、インターネットの普及に寄与した。
その意味ではマイクロソフトの功績は大きい。
ネオダマの「ネオ」は同社が推進したといってよい。



2000年以降は「ネオ」インフラの上で amazon、Google、そしてtwitterなどの
アプリケーションが花開いた。
コンピュータの世界は次々と進化していく。
今後も才能ある人物、企業体がコンピュータの世界を進化させていくだろう。
素晴らしい時代だ。

2011年2月26日土曜日

ときめき 2011.2.26




異性を強く意識するようになったのは中学に進学してからだった。



私の母校・大田区立御園中学校は道塚小学校と相生小学校の
2校卒業生が集う。
私にとって相生小学校は未知の学校である。
相生から入ってきた女子学生がとても新鮮で、美しい少女に心を
ときめかせた。
Yさん、Hさん、Mさん・・・他にもいたかもしれない。



高校生になると異性への興味はさらに高まった。
とくに2年生からはYさんに夢中だった。
四六時中、常に彼女の動向を意識していた。



最近、異性に「ときめく」ことが少なくなった。
この年齢になって振り返ると、あの時代に感じていたときめきが
とてもなつかしい。ときめくのは心が若々しい証拠だ。
ときめいても届かないもどかしさ、苦しさもあったが、ときめきは
本当に素晴らしい心の動きだと思う。

2011年2月23日水曜日

春の訪れを知る 2011.2.23

                          蔵王連峰を望む(撮影:2月23日  東北新幹線車中にて)




午後二時過ぎに出張先から帰京し、有楽町を歩いていた。
陽光が射し、ぽかぽかと暖かい。
街を吹きぬける風はまさしく春の風だった。
今年初めて春の訪れを意識した瞬間である。



もともと春が苦手な私だが、今年はちょっと違う。
今日の暖かさがとてもうれしかったのだ。
今年の冬は例年以上に寒かったからなのか。
いつもとは感じ方の違う自分に少し驚いている。

2011年2月20日日曜日

コロッケの芸  2011.2.20

                                 撮影:2月19日 西伊豆(戸田海岸)



コロッケは昔から注目してきた。



昨年末の12月27日。
NHKで「勝手にやってすみません!~コロッケものまね30年~」が放送
された。
芸能生活30年を記念して、NHKホールで100人超のモノマネを披露した
時のライブが収録されている。
今夜、録画を観なおしてみたが、改めて彼の素晴らしさを再認識した。



得意のレパートリー 五木ひろし、岩崎宏美、谷村新司、野口五郎を
はじめ、沢田研二、石原裕次郎、森山良子などなど数えきれない歌手を
真似ている。
彼のモノマネはよく研究されているだけでなく、笑いを取るのが特徴だ。
可笑しくて吹き出さずにはいられない。
演じる彼自身もどこか楽しんでいるようにも見える。



番組のなかでインタビューに答える彼のコメントは重い。
次々と新しいネタを用意していかなければならないプレッシャーとの
戦いをうかがい知ることができる。
真似をされた側の歌手たちのインタビュー(美川憲一、岩崎宏美、
五木ひろし、北島三郎)を聞くと、彼の研究熱心さに畏敬の念すら
抱いているのがわかる。



これからも独特なモノマネギャグの世界を追及していってほしい。
一流の芸能人の芸は本当に素晴らしい。

2011年2月19日土曜日

沈む夕日(西伊豆) 2011.2.19


                                    撮影:2月18日 西伊豆にて



西伊豆の海はほとんど波がなく穏やかだった。
写真は夕刻5時半に撮影した夕日である。



海に沈む夕日はとても美しく、心を奪われる。
都会では見ることのできない光景を堪能した。

2011年2月18日金曜日

振替休日 2011.2.18




今日は会社を休んでいる。
1月の休日出勤分を振替えたのだ。
おかげでゆっくりと9時近くまで眠ることができた。



朝方は強い雨が降っていたが、今は青空に変わった。
天気が良いのでこれから伊豆方面に出かける。
西伊豆できれいな海岸を眺めてこようと思う。

2011年2月14日月曜日

今夜はソトシロ(外は白い雪の夜)  2011.2.14




午後から降り出した雨が、夜になって雪へと変わった。
これから冷えるところへ降る雪だから、今夜のうちにかなり
積もると予想される。



明日の朝は通勤に困りそうだ。
私は朝から名古屋へ出かけるが、新幹線の遅れなど不自由を
強いられるだろう。
こうなると、なるようにしかならないと諦めるしかない。
自然に逆らうことはできないのだ。

2011年2月13日日曜日

拉致問題はいずこへ  2011.2.13





このところ全く進展を見せないのが北朝鮮の拉致問題だ。
水面下で交渉が行われているのかどうかも聞こえてこない。



小泉首相の時代にこの問題は大きく前進した。
首相自ら北朝鮮に飛んで交渉。
あの時は安倍さんも活躍していた。
その結果、地村さん、蓮池さん、曽我さんらが帰国することができた。
後に曽我さんの夫であるジェンキンスさんも、紆余曲折こそあったが
曽我さんと一緒に日本で暮らすことができるようになった。



横田めぐみさんをはじめ、他の拉致被害者の消息は未だ不明だ。
家族会も高齢化している。
再び拉致問題が解決に向けて前進することを願ってやまない。





2011年2月12日土曜日

スキー  2011.2.12




三連休の初日は雪の降る休日となった。



幸い、積雪というほどではなく歩くのに不自由はない。
雪が積もると長靴がないので、靴の中まで雪が入り込んできて
往生する。



降る雪を見て、ずいぶん長い間スキーをしていないなと思った。
札幌で暮らしていた四年間は冬になるとスキーへ出かけていた。
クルマで30分もあればスキー場へ行けるから手軽だった。
午前中滑ったあと、いったん帰宅して食事を済ませ、午後から
再び出かけることすらあった。



札幌を離れてからは、一度取引先の人たちと長野か新潟へ行った
きり、20年以上スキーとはご無沙汰だ。
昨今のスキー場はスキー客よりもスノーボードを楽しむ人のほうが
多いらしい。
時代は変わったものである。



久しぶりにスキーでも楽しんでみようか。
そんな思いを巡らせた昨日であった。

2011年2月10日木曜日

世の中の変化を知る 2011.2.10




今夜は電車の中で世の中の変化を実感することになった。



渋谷から三軒茶屋までの普通電車のなかでのこと。
椅子に腰かけた30代後半と思われる女性が iPad を操作していた。
じろじろ見ては失礼だからチラ、としか見なかったが、彼女の操作する
画面にはソフトキーボードが表示されていた。
女性は電車の中ですいすいと軽快に iPad を操っていた。
私は急行電車に乗り換えるため三軒茶屋で降りた。




急行電車に乗り換えると、今度は私より若干年下かと思われる男性が
手帳の大きさの電子端末を操作していた。
電子書籍と思われる画面が見えた。
彼が画面の下部を触ると、ひらりとページがめくられたではないか!
私には彼のしていることがかなり格好よく映った。
若い人ならいざ知らず、私とあまり年齢の変わらない人がさりげなく
電子書籍を読んでいるのだ。



今はまだ、こうした光景は珍しいと感じているが、やがて当たり前の
シーンになるのだろうか。
世の中の変化は最初はゆっくりと進む。
かつてのテレフォンカード、携帯電話がそうだった。
気がつくと誰もが当たり前のように使っていた。



私にもスマートフォンで新聞や本を読む日が来るのだろうか。

2011年2月8日火曜日

民主党  2011.2.8




少し寒さが緩んだ日々があったと思ったら、再び寒さが戻ってきた。
まだまだ春は遠い。




今夜は民主党政権について書いておきたい。



一昨年の夏、民主党は衆議院議員選挙で念願の政権交代を果たした。
テレビの開票速報で民主党の躍進ぶりを知り、驚いたことは記憶に新しい。
当時は安倍氏、福田氏、麻生氏の順番で毎年、内閣総理大臣が交代し、
自民党政権は国民の支持を失っていた。
そんな状況の中、子ども手当、高校授業料無償というマニフェストを掲げた
民主党に多くの国民が「一度は政権を取らせてみるか」と考えた結果だった。
(自民党の)敵失、プラス国民の期待がまじりあっていた。



政権の滑り出しは素晴らしかった。
とりわけ八ッ場ダム建設中止、日本航空再建の着手など前原大臣の
活躍ぶりは際立っていた。(国土交通省:当時)
私も「ひょっとするとこの政権はマルかもしれない」と期待した。

初回の事業仕分けも斬新だった。
連日、多くの見物人が仕分け会場に集まった。



昨年7月に行われた参議院議員選挙で民主党は単独過半数を獲得する
ことができなかった。
政権を獲得した時のような民主党ブームは起こらなかった。
国民は移り気である。
選挙直前に菅首相が消費税前向き発言を行ったことも国民には唐突に
感じられた面もあっただろう。
小沢一郎氏が幹事長として地方からの陳情を一手に引き受けるなど
裏で権勢を誇示したことも党にとってマイナスに働いたと思う。



現在は2011年度予算を通すために四苦八苦している状況だ。
菅直人首相もさぞや大変だと思う。
テレビで見る表情も少し暗く硬い。



私が民主党政権について思うことはただ一点に尽きる。
選挙で掲げたマニフェストを見直すのであれば国民の信を問うべきだと
いうこと。
あのマニフェストがあったから民主党に投票した選挙民は多いはずだ。
国民に「甘い言葉」をかけて政権を取った面は否定できない。
そこを翻さざるを得ないのであれば、「これとこれはできたけど、これは
できませんでした。それでも政権を担ってもよろしいか」と選挙で信任を
得るべきである。
それが世の道理、人の道だと私は考える。

2011年2月6日日曜日

アイスクリーム   2011.2.6





食べる頻度は多くないが、アイスクリームは好物だ。



幼少の頃、親からもらった10円玉を握りしめてお菓子屋に走ったことを
思い出す。
アイスクリームが入ったショーケースを開けて、どれにしようか
迷いながら棒アイスを買うのが楽しみの一つだった。
当時、名糖というメーカーもあった。
今も存在するのだろうか。



アイスクリームを代表するのはバニラ、チョコレートだが、どちらも
甲乙つけがたい魅力がある。
最近では抹茶アイスもとてもおいしく感じる。
甘さが抑え気味なのでさっぱりしていてくどくない。



アイスクリームを食べると、いつも「もっと食べたい」と思う。
カップのアイスを食べるたび、量的にモノ足りなく感じるのだ。
ハーゲンダッツはおいしいけど量がかなり少ない。価格も高い。
だからハーゲンダッツを選ぶことは稀だ。
量の多い明治スーパーカップを選択することが多い。
しかし、スーパーカップも1個では食べ足りた気にはならない。


おそらくキリがないのだ。
「もう少し食べたい」というところでやめておくのがいいのだろう。
何ごとも腹八分目がいいのだ。

2011年2月3日木曜日

いつも音楽と共に生きてきた( Crackerbox Palace) 2011.2.3




嫌なことがあったりすると必ず思い出す歌詞がある。

Sometimes good,sometimes bad
That's all part of life
(良いこともあれば悪いこともある。それが人生。)

George Harrison の Crackerbox Palace (←クリック)の一節だ。



George Harrison がその短い生涯を閉じてから、今年の11月で
10年になる。
思えば、とうの昔に亡くなっているのだが私には彼が今でも
生きている気がすることがある。



享年58歳での死は早すぎた。
彼は最初に肺癌に侵され、後に脳に転移した。
最期は米国の友人宅で療養中に息を引き取った。
私は55歳になるが、もしも自分に残された寿命が3年しかないと
したら辛い。



死を覚悟した彼が身内に指示したことが3つある。

1.葬儀は行わない。
2.遺体は火葬する。
3.灰はガンジス川に流す。


ガンジス川に流す、というのはかつてインド音楽に傾倒した名残
だろうか。
いかにも彼らしい意思だと思う。



参考文献:THE LITTLE BOX OF BEATLES (Alan Clayson)

2011年2月1日火曜日

便利な生活を支えるもの  2011.2.1

              青い空、白い雲    撮影:1月30日



昨年末、液晶テレビに買い替えた。
画面の大きさ、画像の美しさに満足している。

2週間前にノートPCを買い替えた。
起動の早さやインターネットの接続が途切れない点に大いに
満足している。



テレビ、パソコン、スマートフォン、iPod、デジカメ・・・
便利な製品に囲まれて私たちは暮らしている。
しかし、これらすべての製品が使えるのは当たり前の話だが
電気のおかげである。
電力の供給が途絶えたら便利な現代生活は成り立たない。



新幹線、通勤電車もしかり。
電力というインフラ(基盤)は決定的に重要である。
水、空気と同様、必要不可欠だ。
安心して電力が供給されていることに感謝しなければいけないと
思う。